あと、美術の「プリミティブ」扱いが難しいことになってるな…と彫刻の前などで放心する事が多々ありますので、ブリュッケから出版の天野知香『装飾/芸術―19‐20世紀フランスにおける「芸術」の位相』『装飾と「他者」ー両大戦間フランスを中心とした装飾の位相と「他者」表象 』を読み始めました
いかにして美術史を語るか、もしくは語らないか──3つの展覧会を中心にして:「TRIO」「シアスター・ゲイツ展」「異文化は共鳴するのか?」(文:菅原伸也)をやっと読んだ
フレデリック・ワイズマンの『至福のレストラン/三つ星トロワグロ』で料理人の動作&伝達&動作&動作を見て、レストラン併設のパン屋に寄り、厨房の奥オーブンの前でオーブンシートに絞り袋から何かを絞ってる人、サーモンを切り分ける人、高級料理の皿に乗っかってる小さくひらひらした謎の具材をバットに用意している人を見物しました。
小説ではミッテラン=専制君主/建築家の関係性がわりあい戯画的に書かれていて、建築事務所を従え国際コンペを勝ち抜く現代のつよつよ建築家は権力者について何かコメントは…とお手軽にググったコールハースのインタビュー。うーん大阪万博
>絶対的な権力をもった建築主を欲しがる建築家など、いるはずがない。心の底の、そのまた一番闇の深い片隅にさえ、そんな考えはあり得ない。最初に権力者の犠牲になるのは、自分達だ。
https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/culture-ja/deep-diving-with-rem-koolhaas?lang=ja
アニメーション・ドキュメンタリー『新凱旋門/La Grande Arche』(2022)予告編
https://www.youtube.com/watch?v=w6rlIvY1Ah4
※絵本『つぼつくりのデイヴ』で知った。文/レイバン・キャリック・ヒル、絵/ブライアン・コリアー、訳/さくまゆみこ、光村教育図書
参考:メトロポリタン美術館の展示
「Hear Me Now: The Black Potters of Old Edgefield, South Carolina」
https://www.metmuseum.org/exhibitions/edgefield/exhibition-objects
展示の最初の方、19世紀に奴隷の陶工として生きたデヴィッド・ドレイク(David Drake)※の署名入り陶器(日本でぼんやり暮らしていて実物が見れるとは思ってなかったガン見)、リチャード・ハントの(公共)彫刻、ハモンドオルガンの演奏パフォーマンス、建築プロジェクトの資料展示、近代化と産業化の歴史を語る常滑のやきもの産業、作家の作陶の黒い形と表面、屋根ふきの技法で作られた大型作品の皮膜…。労働と生活のよろこび、搾取で成り立つ社会、公共的なもの、と展示の筋が通ってました。現在の融合点として置かれた「アフロ民藝」の映えるプレゼンテーションに頭がパーンして持ち時間で立ち直れなかったようです。
展示テキスト“何世紀にもわたる人種的暴力と植民地主義に対し”、のナラティブに帝国主義が指摘される面を持つ社会改革運動としての民藝運動が取り込まれると私がパンクしましたダッシュ40分映像作品はあきらめて見た、しあすたー・げいつ展覚書き
文化村シネマでキリル・セレブレンニコフの『チャイコフスキーの妻』予告編がばんばんかかるのだが、作風からして幻視の中で悪妻アントニーナがチャイコフスキーの乳首をもいだりするのかなあ…とか考えてしまう。フィクションの悪影響(&記憶をお上品に修正していた)であります。
セレブレンニコフの名前はアンドレイ・クルコフ『侵略日記』に“善良なロシア人”のひとりとして出てくるのだった
他の場所に行く気があまりありません