ジョン・バージャーの『第七の男』(黒鳥社)、p.25の時点で「低開発にさせる(to underdevelop)」という他動詞。が出てきて、そうするとサラ・ロイのパレスチナ占領政策の分析「政策的低開発(under-development)」「反開発(de-development)」じゃないか、、となり、一度息継ぎにひーひー出て参りましたとさ
あれはたしか『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の序文の亀、トゥイ・マリラのように見える様にレイアウトされた写真の亀が首をもたげて見る透き通った機械仕掛けの亀の仲間です
7/2、久しぶりに本屋で目当ての本をぱらぱらと立ち読みをすると、第6章 Non-Binary Machinesに「カニコンピューター」とサイバネティクスの亀の図版が載っており、自分に都合の良すぎる世界に移動してしまったのかもと不安になる
ロビン・F・ウィリアムズの絵画、映画の中の“男性の眼差し”を扱っているのは見てすぐ分かるし。などと構えていたら(ペロタンのガラス張りの前を通り『Undying』後で寄ろうと思いその日はもう閉まってた)、作家がクィア/ノンバイナリーであり、明示的に絵に表れる女性の図像は何重かの折り込みになっている。というのを読んでしまったと思っている
この指摘の元となった投稿の中の赤瀬川源平の使い方、前々からのなんだか…なんだかなあ。を強化した
https://x.com/nagasek/status/1804015680154669491?s=46&t=qH9s8lUj_7DT7vOovtaulQ
ファーガス・マカフリー東京のアンゼルム・キーファー「Opus Magnum」、扱っているテーマ(戦後ドイツ)、兵器の形のオブジェクト、からするとぴょんと飛びつきそうででも何か昔からうっすら苦手なんだよな~(プラスして受容にブレが生じる女性のヌードが結構ありますな…)。と家に帰って巨大重石になっている『ART SINCE 1900 図鑑1900年以後の芸術』の当該の部分を読みました。何かはよくわからないままです。
並ぶガラスケースのひとつが、レムのソラリスを読んだ人ならすぐわかる形で引用したもの(裸のハリー)でした。横浜トリエンナーレ、ラファエラ・クリスピーノ《We don’t want other worlds, we want mirrors(われわれは他の世界なんて必要としていない。われわれに必要なのは、鏡なんだ)に続くレム大人気
山形国際ドキュメンタリー映画祭2017、「パレスティナ革命とミリタント映画」
https://www.yidff.jp/2017/cat093/17c095.html
足立正生インタビュー
>今の消費文化の中ではBDS(イスラエルボイコット運動)のほうが、ミリタントの活動より強力なわけです。つまり「スタンバイせよ」、もう一度組み立てようということです。今回上映されるのは、忘れてはならないパレスティナ解放闘争の記録であるとともに、“古い”闘い方のアーカイヴなのです。
https://www.yidff.jp/interviews/2017/17i095-2.html
他の場所に行く気があまりありません