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ここしばらくの南インドカレー、上野御徒町のアーンドラ・キッチンではキッチンの人が歌っていて、幡ヶ谷のタンジャイミールスでは小麦生地の成型作業(平たく伸ばしたあと→ひも状→うずまき。パロタの工程のように見える)をしながら、皿を拭く人の日本の宗教状況についての説明を聞き相槌を打っていた。
「…ChinaからBuddhismが入ってきて…例えば今では日本人の多くが埋葬をBuddhismのやり方で行うけど…Buddhismには関心がなく無知でいられて…聖人の日のお祝いなどもしない…」

まるでハンマースホイの絵のような、背を向けてドアの前に立つ黒いドレスの女の絵図が決定的な、5章「ステラの趣味──『ステラ・ダラス』を読む」は、ヒロインのファッション、彼女の“選好”や“趣味”を自伝的なアプローチで著者自身の母とつなげる文章は、自身の排他的なテイストに基づき日々多少なりとも妙な服を着るべきだ派にはどっかん来ました。

>自分と同じ趣味を持たない人々の趣味に訴えることの不毛さ

ここの「趣味」ってなぜその絵を美しいと判断するのか?の趣味判断について連想をすべきなんでしょうか…

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それでも、日常から離れないところ、その日常は災厄の後の世界だろうと想像されること、これらのメロドラマ映画の女性達は犠牲者として映画の中に現れているのではない、という粘り強い記述がやっぱりなんだか面白くて、字は追ってしまう…無理…

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『涙の果て 知られざる女性のハリウッド・メロドラマ』幸福の追求に続く形で、フェミニスト映画理論(『「新」映画理論集成1,2』を眺めたぐらい)やホモソーシャルの問題により接近してるっぽい…!とうきうき突っ込んで、かいぎろんて何?????そして強力に立ちふさがる精神分析。おおい…無理無理の無理

『帝国の追放者たち――三つの流刑地をゆく』のサハリンパートに、囚人移送船から見る“夢のような日本の海岸線”から、日本の植民地政策の「コリアン・ディアスポラ」の人が出てきて、私には結構な不意打ちでした。○○・ディアスポラ、この言葉自体もごく最近知りました。

3つのパートの内、サハリンでは著者がいきなり犬に嚙まれたり、ラムシュタインのEngelとDu hast しか聞かない(昔の私の事か)強烈キャラが出てきたりします

こちらに署名しました。

群馬の森 朝鮮人追悼碑「記憶 反省そして友好」を残して下さい
docs.google.com/forms/d/e/1FAI

まずまず穏健な形の赤頭巾を買ってみましたが職場に被って行けば「テロリスト?」など言われるのは火を見るより明らか。誰が、どのような文脈で身に着けるか問題含みのファッションアイテムか…「頭を布で包む」って真知子巻からハードル上がってるよな早まったかな。とたそがれていたら、i-Dでサクッと記事になっていました
i-d.vice.com/ja/article/88gvdv

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先日の大寒あたりに、寒いなサウスパークのケニーになりたいな。近年ヘッドウェアブランドから継続で出てたでしょ。など思いつきでセール品を漁ってバラクラバ帽がマストレンドになってることに気が付く

パオロ・パリージのグラフィックノベルは、ビリー・ホリディとコルトレーンの2冊がPヴァインから翻訳され、バスキアが花伝社から出てキース・へリングは未訳。

女性映画は何から離反するのか?――アニエス・ヴァルダとケリー・ライカート
tkira26.hateblo.jp/entry/2022/
> 男性が若い女性にあれこれ「教えたがる」ことを「マンスプレイニング」というが、それは単に知識を利用した支配欲の表れではない。何が教える価値のある知識なのかを男性が構築する行為である。ライカートは『スター・ウォーズ』を観たことがないというが、それは権威的で男性的な映画作法の象徴として捉えられている。ライカートがそれを拒否していったことは、男性的に構築された知の組み換えであった。多彩な「女性映画」に何か共通のものがあるとすれば、まずはそうした知のあり方からの離反にあるだろう。

私の外側で決定される他人の認識により、この世に時々男性として現れているようだ。この不思議

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>世の中のたいていのひとは、「性自認がわかるまでは特定の性別のひととして扱わないようにしよう」という留保さえせず、問答無用で自分の認識に沿って、ひとを女性扱い/男性扱いするのだ。

↑BT、記事からの引用。マンスプレイニングからはズレますが…

「女性扱い/男性扱い」の隙間に落っこちる体験を『エトセトラ VOL.10 特集:男性学』読者アンケートへ、掲載されるにしても適当にピックされるだろうと人に読んでもらう意識を欠いただらだらした文章で回答したらそのまま掲載されてしまい大変お恥ずかしいのでした…

つい最近の2023年末ごろ新宿駅南口からサザンテラスに渡った所でふと上を見上げ、ロゴの形を見た瞬間雷に打たれたように「東急ハンズ買収」を知る(ロゴリニューアル2022年)

文字を打ち込んでいる間にカーテンが引かれ、猫(部分)は見えなくなった。今日は珍しくタワーから白い尻尾が垂れていたのに

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長らく職場の窓から見える、向かいの住宅の窓辺に「常に猫不在の白いキャットタワー」が突如として「白いキャットタワーで白い猫が寝ている(見えるのは尻のみ)」へ認識に切り替わった時の鮮やかさを反芻している

ステロイド外用薬がベリーストロング(2群)からストロンゲスト(1群)にランクアップの不貞腐れ。皮膚表面に塗るものの選好の余地が消えた後、セルフケア(スキンケア)なる言葉では覆い隠せない果てしなく広がる治療の荒れ地を行くのみ…(風呂の後パンイチで気絶)

チネマ・リトロバート映画祭「ヴィットリオ・デ・セータ作品集」上映後のジャン・ルカ・ファリネッリ氏の講演の最後に引用されたパゾリーニの寄稿「ホタルをめぐる記事(原題 イタリアにおける権力の空洞化)」1975年2月1日 コッリエーレ・デッラ・セーラ紙掲載、翻訳と解題のPDFあり。
researchmap.jp/read0146667/mis

『ヒステリーの発明』ぽわっぽわにしか読めないので、「あとがき イメージと病/悪」“昇華”わからな過ぎて(フロイトめ…)丸焦げになったことと、作者が“フェミニスト書店のカフェのチョコケーキが美味しかった”と執筆当時を回想している箇所がうらやましかったことしか覚えてません(エトセトラブックスの近くDAITA STOREのタルトは美味しいです)

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ですので、トム・ガニングがサルペトリエールの写真技師らの専門性とアマチュアリズムをラルティーグの喜びでいっぱいの写真と並べた時は、心底びっくりしました(これは楽しいこと)。ついでに内心を打ち明けますと、自分の思い込みを絶対譲らない頑固なデッサン初心者。の後ろで「お前の眼はカメラじゃないし見える世界も写真ではない」と幻想の竹刀フルスイングの構えをとっていたことなども思い出します

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>「サルペトリエール施療院は、いわば女の地獄、苦痛の都だった」
ユベルマン『ヒステリーの発明 シャルコーとサルペトリエール写真図像集』〈上・下〉が好きで、煽情的にネットにUPされる公衆トイレやオールジェンダートイレの不安定なスナップ写真が、悲しむべきは多くの人には虐待の事実と犯罪現場の明白な証拠写真で、いままさに「女」の消滅が写っているはらはらする見世物なんでしょう。と、イライラと思う事にしてます。

写真に写ったものは存在する。写真には見えるものも見えないもの全てが存在している。という辺りは、最近やっと読んだ『写真のボーダーランド-X線・心霊写真・念』でも。いや想起するにももっと楽しいことあるでしょ神智学とか…

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