京都ヒストリカ映画祭、ワールド部門の新作が豪華だなーと眺めていて、アルノー・デ・パリエール『パーティー・オブ・フールズ』がサルペトリエール病院が舞台で、ついで同じ題材のメラニー・ロラン『社会から虐げられた女たち/The Mad Women's Ball』(2021)の原作がハヤカワの翻訳『狂女たちの舞踏会』(ここまで5分)。となった
ジョージ・ホイニンゲン=ヒューンの展示(2/7〜3/31)銀座シャネルであるんだ。行ったらリー・ミラーを探してメール・ヌードの点数を数えていると思います。今見るとアトラスの像の意匠とかちょっと怯むな
服のポケットの話をするのはいいが、憎悪の焚き付けにする前にクレア・マッカーデル『わたしの服の見つけかた』をだな…。明るく機能性を得た「家庭の女性」の限界ライン、というものがありますよ。
>19世紀以来アメリカのハイ・ファッション界は、パリ・オートクチュールの完全な支配下にあった。第二次世界大戦により、パリからの情報が途絶え、アメリカ独自のデザインが模索され、そのリーダー的存在がマッカーデルだった。
https://www.kci.or.jp/archives/digital_archives/1940s/KCI_207
今日着ているシャツジャケット、襟の付き方がすばらしいな(きれいに着るなら-5kgが望ましいが、盛り上がる肩!腕!)、生地の風情は違うけれどほのかに青みがかったグレーのウールが(またこれが似合わない)がアメリカン・ジゴロのローレン・ハットンみたい。※ポケットは付いていませんシャツなので
そういや雨宮まみの新刊出てるね。と姉と会話したところから、中央公論「住本麻子×ひらりさ×藤谷千明 令和に読む雨宮まみ――「こじらせ女子」から遠く離れて」を雑誌で読み、能町みね子『結婚の奴』を読み、「クィアな結婚で「幸せになってダメになろう」 : 能町みね子『結婚の奴』における新しいケア関係」を読み、ここまで半日。スタンリー・カヴェル『幸福の追求』に戻ってきたようである、あれによると“少数の幸福”だぞ…あと思いつくのは『幸せではないが、もういい』ぐらいだ
https://chuokoron.jp/culture/124190.html
https://nagoya.repo.nii.ac.jp/records/2002401
恵比寿映像祭2024、有料上映はデイヴィッド・ハモンズ、バーナデット コーポレーション特集かなあAmerican Boyfriendの新しいのも、教育普及プログラムが充実している気がする、キャシー・アッカーの名前がありますね。と布団から動かず
https://www.yebizo.com/program/1917
何をここに書き込んだかおぼつかなくなっていますが、『オオカミの家』(クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ)、ストップモーション・アニメの副読本は『死と乙女』(アリエル・ドルフマン、 飯島みどり 訳)でした。少女が豚を人間に変化させる魔力を持ち、またその力がどこから転じてきたのか、“異例の大ヒット”の祝祭的な熱気とコロニア・ディグニダの名前が連想させるほのめかしとジャニーズのsexual assaultの報道が合わさって、昨年夏ごろややぐんにゃりしていました(回想)。
『死と乙女』、チリ版へのあとがき(一九九二年)と日本語版へのあとがき(二〇二三年)「平和を装う恐怖、真実と責任追及、国家暴力の闇という人類の今日的アポリア」(岩波書店の“この本の内容”より)について、作者が存命で同じ時間を生きているフレッシュさで落ち込むところがよいです
たまにTwitterXを見るといい事あるな…第10章が丸々読めた
>最低限のことは、「第 10章 本論1 身体性とフェミニズム」にまとめてあります。
https://twitter.com/sakinotk/status/1741359235773223212?s=46&t=qH9s8lUj_7DT7vOovtaulQ
元旦に人が来るのですか…。本を撒き散らしタイムは終わり、亀は午前中で2023の活動を終了し座布団で就寝、私は虚ろな目でソフリットを炒めラザニアと豚のローストとトルティージャとELLEのレシピ的な小洒落たサラダを複数作ります
写真黎明期の死者の肖像※や、ぼやけた階調、または鮮明過ぎる定着に亡霊めいたものの存在がホラー的な感覚で顕在するのが第一義の「好き」(ダゲレオタイプの女とか)ですが、それ以上の何かが、イメージを介した人間と機械の関係がそこにあるだろう感覚と期待は、AI生成画像の不気味さと同じかもしれません
※『溺死した男に扮した自画像』
https://images.dnpartcom.jp/ia/workDetail?id=TRS000010
他の場所に行く気があまりありません