ドライでありながら瑞々しい。情景描写と直接的な内面の描写とのバランスに秀でているように感じられた。淡々と情景が描写されたかと思えば、それに対する反応として独白がある。独白はあくまで情景に対する反応の体裁を取っているが、明らかにそれより深い洞察から生じたものである。
筋書きとしては(2024年にエンタメ小説を書こうと手に取った不誠実な読者にとっては)シンプルでイベントの数も少ないのだが、その間を埋める情景や内面の描写がまったく埋め草になっておらず、むしろその描写こそがページをめくる手を止めさせない。次に彼女たちは何を「思う」(≠「する」)のだろうと想像させては、毎回それを上回る複雑な描写を見せてくれた。
吉本ばななの長編を読むのは初めてだったが、何作かさらに読んでみよう。
https://www.amazon.co.jp/TUGUMI-つぐみ-中公文庫-吉本-ばなな/dp/4122018838?crid=XR74F4SFPI5F&dib=eyJ2IjoiMSJ9.jmt95Q-FKE7OFJ7vlq-jacp5hRWcq7wHijBccSx3IdvPGQnaDgfB_5QnKLyXU96C_NzdLKveCkY1R7w5MhFINe2d_UYymkdhUXl4DawcL12WFBU_E6dU7o7T4oJwrsQm9KnuW0iDccCAdYSUOoZrcGqTVyrs6xJ6fDys4HG1wvgKe0DTGUai88Hg5--zHDqW0KzYEqaLHVFC2jpH3fgmAPBL-kgviLMXJiLvQQEwt39eNzrG7NIS9REFpxhZ5QUp_4Ml99bU7RH8hOw4UfawFbniSyK8_ewhlDqUT1lFxNQ.rfhQlXk0cQq3kIU4bwzDUU7jZRrT9DtKERXROuZg4oo&dib_tag=se&keywords=つぐみ+吉本ばなな&qid=1720822799&sprefix=TSUGUMI,aps,263&sr=8-1&linkCode=sl1&tag=yoshizaki1029-22&linkId=64f949766bf559777b700ce3bbb35ff4&language=ja_JP&ref_=as_li_ss_tl
『オフ・ブロードウェイ奮闘記』(中谷美紀) #よしざき読んだよ
1人3役が求められる演劇『猟銃』をブロードウェイで演じた中谷美紀の手記。1ヶ月に及ぶ公演はトライアスロンのようだ、というのが印象的で、ひとつひとつの舞台への集中以上に、全公演に耐えるだけのメディケーションが重要とのこと。その完走のために完璧なプロフェッショナルが役者のみならずスタッフにも求められる様子が淡々と描かれていた。
直接の参考にはなりそうにないが、プロフェッショナルの態度を垣間見ることができた。演出家の「演劇という黄金の牢屋」という台詞はなにかで使いたい。
『Django』(The Modern Jazz Quartet) #よしざき聴いたよ
「モダンジャズを聴きたい!」って時にピッタリだと思う。ヴィブラフォンのミルト・ジャクソンが特徴的なカルテット。
『Gerry Mulligan Quartet Vol. 1』(Gerry Mulligan) #よしざき聴いたよ
1952年リリースだけあって、シンプルな味付け。
『2040年 半導体の未来』(小柴満信) #よしざき読んだよ
読むに値しない。ラピダスの中の人が何に賭けているかをアツく語るが、まだ始まっていないプロジェクトなのですべてフワフワと雲を掴むような話。
はてなブログに投稿しました
240702 平田オリザの『演劇入門』をエンタメ小説に適用するには - 箱庭療法記 https://yobitz.hatenablog.com/entry/2024/07/02/205900
#はてなブログ
エンタメ小説では、大ざっぱに言って、空間や登場人物を使い捨てることができる。ここが一幕ものとの最大の違いだ。一幕ものでは、プライベートーセミパブリックーパブリックを、一つしか用意できず、そのために全体を通して空間や登場人物に関してセミパブリックを貫く必要がある。
対して、エンタメ小説では、一貫してセミパブリックである必要はない。むしろ全てがセミパブリックだったら読者は飽きるだろう。これをさらに広げて考えると、一つのシーンの空間や登場人物のそれぞれに三つの概念を当てはめ、複数のシーンでプライベートーセミパブリックーパブリックがバランスするようにできることに、複数のシーンから成る小説の醍醐味があるように思われる。
プライベートーパブリックーセミパブリックのバランスの視点から小説の全体を俯瞰してみようと思った。
再読に次ぐ再読。今回はやや俯瞰して読んでみた。
本書はあくまで「演劇」その中でも「一幕もの」のための一冊。つまり、一つの場所や登場人物で繰り広げられる物語のための手引きだ。それゆえに当たり前なのだが、エンタメ小説やマンガといった複数のシーンから成る物語の作り方を教えるものではない。それを断った上で、やはりエンタメ小説にも適用できるノウハウが詰まっている。
一幕ものは一つの空間や登場人物しか使えないために、観客への情報の出し方が著しく限られる。本書の読みどころは、その情報の出し方のノウハウであり、最重要なのは「セミパブリック」という概念だ。プライベート(内部)とパブリック(外部)の中間に位置する。例えば、葬儀所のような。個人と親しかった親族(内部)ー仕事の関係者(中間)ー出入り業者(外部)が出入りする空間だ。三者の間の情報の濃度の違いこそが、情報を観客に与えるためのきっかけとなる。
文舵合評会の二回目に参加させて頂きながら修了できなかった身なのですが、途中まででさえ、課題をやる度に普段使わない筋肉を使うハメになって自分の可動域が広がるのを体感しました。
長い小説を一貫した声(ヴォイス)で書こうとしているいま、改めて読み直すべき本だと思いました(というか、何度でも読み直すべき本であろう)(いったん頭から尻まで書けたら読み直してみよう)。
https://www.filmart.co.jp/pickup/32457/
『演劇入門』は私の「お話作り」のバイブルですね。
長いお話を作る前には毎回読み直しているんですが、演劇の舞台作り・台詞作りをエンタメ小説に適用する際の変更点もすこしわかってきて、演劇ほどの視覚的効果をエンタメ小説は有していないところがキーですね。
エンタメ小説では、舞台を言葉で説明せざるを得ない。わかりやすさのためには美しくない説明台詞も使わざるを得ない。だからと言って諦めるのではなく、台詞に役を割り振っていく。感情のため、状況の説明のため、物語の進行のため、単なるユーモアのため……。
そして、一連の会話の中でそれぞれの役をフュージョンさせる。登場人物に感情を惹起させつつそれ自体が自ずと次の状況を導くように、だとか、ユーモアで読者の認知を緩くしたところに状況説明を差し込む、だとか。
いま書いている原稿は、エンタメ小説のためで、きちんとしたエンタメ小説を書くには、私が好き勝手に書いていた二次創作よりもきちんと読者の認知に寄り添って台詞を増やしていかないといけないっぽくて、そのための台詞作り・会話作りの手法を日々考えています。
伊坂幸太郎はエンタメを書かせたらきっちり及第点を出してくれる。プロのエンタメ作家。
こわい男から逃げようとする記憶力抜群の女を、不運な殺し屋がなんやかんやあって助けるハメになってしまう密室エンタメ。伊坂は殺しのアクションを描けば軽快で、殺しのハウツーにはロジックもあり、読者が忘れた頃に姿を現すお手本のようなミステリも仕掛けられる。
映画にすると二時間に収まるし、映像としても見どころがあるだろう、こういう真っ直ぐなエンタメを読むとひたすら勉強になる。
最も勉強になったのは舞台選び。密室になったのは二十階建ての高級ホテルなのだが、高級ホテルだけあって空間にバリエーションがある。密室モノでも手札をシンプルにする必要は全くなくて、物語の要求に応じて増やしていいんだ。そういう発見があった。
数多いる登場人物の使い方も卓越している。同じ目的を有する複数の人物は要素が共通する一つのチームにまとめてしまって、読者の認知の負荷を減らしている。で、ミステリのタネはその認知の隙間に差し込んでおく。異なるチームはしっかり毛色を変えておく。重要な登場人物は一気に出し切ってしまう。重要じゃなくなったらとっとと退場頂く。見事。
https://www.amazon.co.jp/777-トリプルセブン-伊坂-幸太郎/dp/4041141478?&linkCode=sl1&tag=yoshizaki1029-22&linkId=3bf2b2e01009b022a61fa880dc8b60b5&language=ja_JP&ref_=as_li_ss_tl
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