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『Awase』(Nik Bärtsch)

『Continuum』に続いてニック・ベルチュをもう一枚。移動中に流しててきちんと聴けなかったけど記録のために投稿。

次は『アムリタ』(吉本ばなな)を読みますが、少し自分の原稿と向き合ってからかな。

Claudeのアドバイスは、同人誌なら「うるせ~知らね~~~」って突っぱねるところですが、投稿用の原稿で読者の間口を広げたいので(ある意味では最大公約数的な読み方をしてくれる)Claudeは助けになる。

ところで本作を読むきっかけはClaudeとのセッションで、主人公とヒロインの二人のものの見方を鮮明に対比させた方がいい、またそのためにはこれこれが参考になる、といったアドバイスをくれて、しかもまさに勉強になる作品だったので、そこにも感動している。セッションを通じて、何が足りていないのかよく見えるようになってきた(具体的には、内面の直接的な描写と現代風のモチーフが足りないらしいです)。

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普通に勉強になって、私の小説は主人公の男子(素朴なものの見方をする)とヒロインの女子(屈折したものの見方をする)の視点が交互に現れるのだが、後者を充実させる突破口になるだろう。前者は「する」の結果として「思う」、後者は「思う」の結果として「する」で物語をドライブさせることができるのかもしれない。そういう整理をできた。

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『TUGUMI』(吉本ばなな)

ドライでありながら瑞々しい。情景描写と直接的な内面の描写とのバランスに秀でているように感じられた。淡々と情景が描写されたかと思えば、それに対する反応として独白がある。独白はあくまで情景に対する反応の体裁を取っているが、明らかにそれより深い洞察から生じたものである。
筋書きとしては(2024年にエンタメ小説を書こうと手に取った不誠実な読者にとっては)シンプルでイベントの数も少ないのだが、その間を埋める情景や内面の描写がまったく埋め草になっておらず、むしろその描写こそがページをめくる手を止めさせない。次に彼女たちは何を「思う」(≠「する」)のだろうと想像させては、毎回それを上回る複雑な描写を見せてくれた。
吉本ばななの長編を読むのは初めてだったが、何作かさらに読んでみよう。
amazon.co.jp/TUGUMI-つぐみ-中公文庫-吉

『オフ・ブロードウェイ奮闘記』(中谷美紀)

1人3役が求められる演劇『猟銃』をブロードウェイで演じた中谷美紀の手記。1ヶ月に及ぶ公演はトライアスロンのようだ、というのが印象的で、ひとつひとつの舞台への集中以上に、全公演に耐えるだけのメディケーションが重要とのこと。その完走のために完璧なプロフェッショナルが役者のみならずスタッフにも求められる様子が淡々と描かれていた。
直接の参考にはなりそうにないが、プロフェッショナルの態度を垣間見ることができた。演出家の「演劇という黄金の牢屋」という台詞はなにかで使いたい。

『Django』(The Modern Jazz Quartet)

「モダンジャズを聴きたい!」って時にピッタリだと思う。ヴィブラフォンのミルト・ジャクソンが特徴的なカルテット。

『Gerry Mulligan Quartet Vol. 1』(Gerry Mulligan)

1952年リリースだけあって、シンプルな味付け。

『2040年 半導体の未来』(小柴満信)

読むに値しない。ラピダスの中の人が何に賭けているかをアツく語るが、まだ始まっていないプロジェクトなのですべてフワフワと雲を掴むような話。

『半導体逆転戦略 日本復活に必要な経営を問う』(長内厚)

読みましたといった感。最先端技術での多品種展開を目指すラピダスへの期待が過大に膨らんでいると冷静に指摘し、むしろ枯れた技術のJASMが生み出すスケールメリットにこそ日本の活路があると説く。ラピダスの多品種展開、つまりスケールメリットを追わないビジネススキームは日本の製造業の必敗パターンであると解説する。二社の対比が面白かったが、半導体の歴史については類書のおかげで頭に入っており目新しい気付きはなかった。日米貿易摩擦を研究した韓国が残存者利益で勝てたところはなるほどね感はあった。

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240702 平田オリザの『演劇入門』をエンタメ小説に適用するには - 箱庭療法記 yobitz.hatenablog.com/entry/20

青春ブタ野郎シリーズは、今年の8月、10月の続刊での完結が予告されており、他方で続刊に相当するパートもアニメ化されることも発表されており、先に読んでしまうか、アニメまで待つか迷っていたのですが、読む方の選択しました。続刊に相当するパートは評判が悪く、正直、読んで失望してしまうのでは、裏切られた気分になってしまうのではと恐れている自分がいました。でも、そういう恐れ、ある意味ではワクワクなのかもしれないけれど、そういうの込みでフルコミットすることを決めました。

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『青春ブタ野郎はシスコンアイドルの夢を見ない』(鴨志田一)

イベントの繋げ方(Yes, but...式)が巧み。イベントのためのイベント感、言い換えると「ダンドリ感」が薄い。それぞれのイベントが読者の感情を動かすことに寄与しているからだろう。

シーンの作り方には、例えば「葛藤」や「リアクション」から考えるという手法があるけれど、それらと平行してセミパブリックのバランスの手法を走らせるイメージですね。

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エンタメ小説では、大ざっぱに言って、空間や登場人物を使い捨てることができる。ここが一幕ものとの最大の違いだ。一幕ものでは、プライベートーセミパブリックーパブリックを、一つしか用意できず、そのために全体を通して空間や登場人物に関してセミパブリックを貫く必要がある。
対して、エンタメ小説では、一貫してセミパブリックである必要はない。むしろ全てがセミパブリックだったら読者は飽きるだろう。これをさらに広げて考えると、一つのシーンの空間や登場人物のそれぞれに三つの概念を当てはめ、複数のシーンでプライベートーセミパブリックーパブリックがバランスするようにできることに、複数のシーンから成る小説の醍醐味があるように思われる。
プライベートーパブリックーセミパブリックのバランスの視点から小説の全体を俯瞰してみようと思った。

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『演劇入門』(平田オリザ)

再読に次ぐ再読。今回はやや俯瞰して読んでみた。
本書はあくまで「演劇」その中でも「一幕もの」のための一冊。つまり、一つの場所や登場人物で繰り広げられる物語のための手引きだ。それゆえに当たり前なのだが、エンタメ小説やマンガといった複数のシーンから成る物語の作り方を教えるものではない。それを断った上で、やはりエンタメ小説にも適用できるノウハウが詰まっている。
一幕ものは一つの空間や登場人物しか使えないために、観客への情報の出し方が著しく限られる。本書の読みどころは、その情報の出し方のノウハウであり、最重要なのは「セミパブリック」という概念だ。プライベート(内部)とパブリック(外部)の中間に位置する。例えば、葬儀所のような。個人と親しかった親族(内部)ー仕事の関係者(中間)ー出入り業者(外部)が出入りする空間だ。三者の間の情報の濃度の違いこそが、情報を観客に与えるためのきっかけとなる。

amazon.co.jp/演劇入門-講談社現代新書-平田オリ

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