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僕の知ってる東京は実在する街だけどここらあたりの人たちのイメージする「東京」は大都会の代名詞でありほとんどテレビの中だけの存在。中には現地まで遊びに行ったことのある人もいるがアミューズメントパーク的位置づけなのでいまいちリアリティに欠ける様子。ちっちゃなちっちゃな東京の、しかもごく一部をこのあたりに再現しようとする人はいたようだけれど、誰も成功した人はいない。ミニチュアな東京をただ持ってきてもほとんど興味すら持たれない。そういう感性とか因習的なところとかを考慮しない地域おこしではけっして長くは続かないと、もういい加減に認めなきゃダメだと思う。

大多数になにもかも迎合することこそ最も重要なことみたいな概念はまったく生産的ではない。田舎暮らしの自分も気をつけたいと思う。

この、誰がみてもドのつく田舎にきて、俄然世田谷区とか国立市とかのことに注目してしまっていて我ながらちょっと驚いている。

思索中のことその2。ポイ活がいわれて久しいがそれはやはり不景気の故、貧しさの蔓延と大きく関係しているだろうけど、それを真っ直ぐに表現したのでは中抜き業が儲からないからちょっと小洒落た言い方で喧伝しているだけだと自分は思っている。他方、長年慢性的に世帯収入の低い地方の農村では元々が節約優先でなんでもタダだと嬉しがる傾向が強いので、ガラガラポンの抽選やおまけ付き商品やなにかしらのご招待、あるいは豪華にみえる景品を出すなどが今でも習慣的に残っている。こうみると根っこの習俗に共通性はあるものの、もったいないという志向の展開においても都会と地方では切り口が違ってくるんだろうと思う。

今年になってから迷惑メールの数がものすごくてあちこちのアカウントを合わせると1日あたり10件以上は来るのだが、コンプライアンスが地に堕ちてサイバーセキュリティがこんな状態で世の中の人たちはよくここまでクラウドに依存した生活が出来るものだと変に感心するなどしている。

男尊女卑、家父長制という価値観の転換が行われなかったせいで地域の伝統神事の継続断念が相次ぐ。まさに因習が文化を滅ぼすという本末転倒かつ意味不明な事態が深く静かに、かつ広域的に起きているのがこの国の地方の実態だろう。

野良ふくろう さんがブースト

相馬野馬追の女性の参加を認める件、「専門委員会」と「騎馬会」で意見が違っているように書かれていますね。「専門委員会」は誰で構成されているのでしょうか。

見直しを行わなければ、双葉郡は移住者も増えていますので、今後、移住者の野馬追参加も増えると思いますが、男性の移住者が華やかに参加が認められ、一方、女性は地元含めて参加を認められない、ということになると思います。女性への差別的構造が、以前よりも明確に見えることになります。

今は、「復興のシンボル」として風当たりは優しいですが、女性への差別的待遇が明確になると、風向きが変わってきた時に、潮を引くように人が離れていくことになるのではと思います。

見直すなら今のうちだと思います。

「女性の出場は戦後初開催の1947年に解禁され、53年に成人女性が初出場した。84年には「化粧をしない」のほか「未成年の未婚者」との条件が「騎馬会決定事項」で明文化された。だが、今年4月の執行委員会総会で条件の緩和を求める意見が出て、関係団体が検討に入った。」

相馬野馬追の女性出場条件 「未婚の20歳未満」見直し求める声
mainichi.jp/articles/20241214/

思索中のこと。東京で着ていた服の半分以上は仕舞い込んだまま。それは生活スタイルが激変したから。自分の事情は別としても、東京ではユニクロ被りがいわれるが田舎ではワークマン被りがデフォルト。東京のステータスのひとつはレクサスや輸入車の所有だが田舎のそれは大型のトラクターやコンバインの所有。つまり価値観が昭和の中後期、70年代80年代のまま固定化されている。同じ日本国内でもこれだけ生活様式が違うと文化の中身がかなり違うということをどう認識し解釈するか。政府による途上国への対応と国内僻地への対応スタンスにはほとんど差がないことでもそれは明らかだと思う。

野良ふくろう さんがブースト

昔からコスパの良さが特徴だった南米のワイン。久しぶりに売り場でちゃんと見たけどえらい値段が上がってた。たぶん10年前の1.5倍くらいになってる気がする。そりゃあなかなか売れないよなと思った。

安東量子さんの言説を補強することになるけど、原発事故を横に置いたとしても元々福島では男尊女卑、家父長制への頑迷な拘りが著しいのでコミュニティの男性リーダーが不在化するとそこの女性の中身がおっさん化してまるでおっさんのように振舞い始める、それが福島のリアル。とてもしあわせそうに見えないしきっとしあわせではないと思う。

なんか、あした投票日の国立市長選がカオスなようで。自公維相乗り候補に連合まで乗っかるとか、かつて上原革新市長時代があった街とはとても思えない状態でポカーンだよ。やっぱりイデオロギーとは関係なく結果を出してそれを継続出来なければ行政は評価されないということなんだとよくわかる。

野良ふくろう さんがブースト

ヤマト運輸がリストラしたパート職員をスキマバイトで埋めたら酷いことになったという話。iPhoneの盗難も増えてるというが、仕方ないねえ。

gendai.media/articles/-/143200

世の中には実際にサチリアジスとかニンフォマニアとかと位置付けるしかない人が実際にいる。そういう、衝動と思考の境目のはっきりしない人の加害意識とか被害意識とかが対人関係の中で顕現するとけっこうややこしいことになる。例の極悪な検事正もその類じゃないかと思うし某政党での性加害疑惑問題もその可能性を捨てきれない。いずれにせよ人間が内包する闇を舐めて考えたらダメだと思う。

都路町由来の材料を使った福祉作業所の作品と移住者の木工職人の作品をフラットに並べて行なう小さな展示会が行われてるんだけど、とても良いことだと改めて感じる。仕事のイコーリティ、感性の多様性の両面で。こういう動きが広がるべき。

成果で評価なんて、人をこき使いたい連中の外面を飾るだけ。どんな時も働いてしまう人は能力関係なく働いてしまうんだから。

官民協力とかよくいうけど、それぞれの良さが活かされてるケースって本当に少ないと思う。ニーズの掘り起こしがあまりにもテキトー過ぎるからだろう。「0」と「0にみえる0.1」を峻別する姿勢がないと出来ないこと。

野良ふくろう さんがブースト

東電の相次いだミスは多層化請負構造によるもの、ということで、今後は意思疎通体制の問題になってくるだろうと思います。

いわきでのNDFの廃炉説明会の時には、事故前に下請けで福島第一原発に入っていた(リタイアした)作業者・技術者の方が地元にはたくさんいるようで、会場から内部構造に相当詳しい質問が複数出ていました。

そこで出ていたのが、元請けの三菱重工や東芝などの姿が全く見えないのはどういうことか、ということです。

説明の記者会見の時には、東電と元請が並んで説明すべきではないかと私も思います。元請けの姿が見えないから、不透明感も増しますし、東電の説明もふにゃふにゃになるのだと思います。

「こうした事例から浮かび上がるのは、多層化した請け負いの構造だ。福島第一原発の廃炉作業では、東電が下請けに発注した仕事が、孫請けや、ひ孫請けにおりていく。原子力損害賠償・廃炉等支援機構によると、6次下請けまであるといい」

(けいざい+)再建へ、もがく東電:5 デブリ回収、まだ耳かき1杯
asahi.com/articles/DA3S1610583

野良ふくろう さんがブースト

東京医科大学などでの入試での女性を不利に扱って入学者操作をしていた件が発覚して以降、男女の合格率が反転しているところが多くあるとのことです。

医大は、見ている限りでも本当に閉鎖的で、ハラスメントもひどいですし、さもありなん、と思います。(講座をハーレムと思っている医学部教授、多いですよね。)

日本的家父長制権威主義に基づく誤ったエリート主義の典型例だと思います。

「入学者率をみると、不正が発覚する2018年までは「男子>女子」だったが、翌年には反転し、女子の合格率が男子より高い傾向が現在まで続いている。」

医学部入試で、女子の点数の不正操作はなくなったのか
newsweekjapan.jp/stories/world

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