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カードカウンター、かなりよかったんではないかという気持ちが募ってきた

で、この感じはポジティブにもネガティブにも働いていたわけですが、一方でだからこその良さとして冷える夜に小さな初老の女性が歩いているその姿に哀れさも何もない感じになってるのはよかった。ああいいわね、ああ困ったわね、ちょっといい感じだわね、くたびれてきたわね、だけで綴っていく。バラバラの人たちがバラバラに居て、すれ違う。バニラ?のとこよかったな。加熱式たばこがこういうロマンティックな使い方されてるのははじめてみた気がする。

なんとなく乗り切れない部分としては私は冒頭のナレーションと呼応するラストで十分では?と思ったので「トロピック」がよくわからなかった。順番としてあれが手前に入っていたら意図はわかった気がするのだが…なんか急にチャチになっちゃってない?そういう理でみる話でもなさそうなんだが。

しかし断然素晴らしいのはエンドクレジットで、あんな素晴らしいクレジット形式を見られただけで見た甲斐がありました。すべての映画があれでいいんじゃないかってくらいの「みんなでつくりました」宣言だ。

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今日は『ゴースト・トロピック』を見てきたの。初老の掃除婦さんが終電を乗り過ごして終点までいってしまってそこからお家に帰る話、なんですけど「ここに在った/いつか消えた/これから在る/これから消える」を今で繋いで時空を超えていくゴースト映画っぽさは意外に薄かったかな。撮影は魅力的でなんとなく全体のトーンに『泳ぎすぎた夜』と似た感じがあった、気が。心細くもなくはないけど…な道筋の浮遊感の共有。
あとマインド面もなんかすごく現代日本のインディペンデント映画を見ている気持ちになって不思議だった。主人公が自分からは困っている事情を話さなくて自分だけでなんとかしようとするのもそうだし、親身にとはいかなくともすれちがう人たちは困っている人に優しさを示す、しんしん冷えるがわずかなぬくもりの光は美しい、しかしそのなかに大きなものとは切り結ばない土壌が垣間見えるというか。そういう普段日本っぽさと感じるものをベルギー映画で見るとは…という。(ホームレスと犬のエピソードとか「うちのポーランド人が…」「もう個人宅はやってないんです」のとこに見え隠れはしているものはあるが)

いやホントに日本の監督が撮ったといったら信じちゃいそうな感覚がそこここに、ブリュッセルが日本の地方都市に見えて仕方なかった、中心部でもあんな静かな夜なのね

ところでこれすごい良い本なので、Twitterにいない人にも紹介したい。リンク貼っておく。amazon.co.jp/gp/aw/d/416755403

レイヤーケーキとキックアス持ってて相変わらず好評不評にかかわらすボンドごっこを続けてるましゅぼんに思いを馳せる。多分正編は撮れんだろなあの人…一部から倫理的な面でえらい嫌われてるけど私内倫理委員会ではアウトではない人なんだよな、私の倫理観がダメなのか?(ダメなんだろう)

最近はよく罪悪感と暴力性について考えていて、人をよくない方向に向けるSNSのヤバエネルギーを生み出してしまうあれ、「よくないことをしてる」の知覚があるから攻撃的というかやってる側としては「迎撃」の感覚なんだよな。そこで「でもさあ」を言いたくなってるのって、うっすらした「よくないのはわかってる」から、なわけだから、そこをなんかいい方向に転換できないもんかなーと思ってるんだが…むつかしいんだろねえ

SNS、最初の使い方の頃にはわからなかったこと、映画見る系の女性陣、コスメにお金をかけている人率高いんだな…という…わたしのわからない…世界…

葬送のカーネーション、私はあんまりピンとこなかった…というより「生活どこ?」ってなっちゃったんだけど、バフマン・ゴバディの「半月」見たときの???を思い出したので、私の知らない見方ができる人なら好きかもしれない。メインふたりの言葉を最小限にした旅路は周囲の人たちの言葉だけで進行するのだが、これそんなにアーティにやるような話なんかな、という疑問が。いっそお絵描きも排して背景をわからせなくするくらいまでいけば…いやそれもそれで変か。

全然違う思考でみてたら理解こそできなくても「入れた」気もするんだが…生まれないのがいちばんマシです、のラジオとか妙に印象に残るとこはある。

寓意(あるいは幻視)と現実が曖昧なとこはあえてなのはわかるが、あの旅のなかにも生活者の手触りはうまれてくるはずで、私はスケッチブックよりそっちが見せてほしいところなんだよな…おもちゃ捨てるタイミングとか牛乳ガシャンとかそのように撮ったのはなぜだ…がよくわからず…

踊ってる人たちを車でかきわけてく冒頭とか(全然踊るのやめないの)はよかったんだがなー。口を聞けないらしき羊飼いのとことかどうも苦手な感じでなー。白布ぐるぐるまきが横に「いる」とこはよかった。顔の見えない人。とラストの呼応。声は聞こえない。

ともあれ、映画を見る楽しさが帰ってきてくれた気がするので、明日はガーデンズシネマさんに行きたい

本当に旧作邦画は感想言いやすいの多くて好き…

良いなーと思った旧作についてだけはそのまんま思ったことを書いておりますが、ほとんどの映画では感想をこねくりまわして角を取る作業をしてしまう、防衛本能

良質な韓国映画における倫理とアクションを高く評価する筋の人にこういう旧作邦画、届いてほしい気がするんだけどなー。

それにしても、脚本の良さ(もちろんすごく良い台詞もたくさんあるし話運びも好きなんだけど。お坊さんのとことかもヒャーと思った)だけではとうてい説明のしようがない何か圧倒的な奥行きがある、という点で内田吐夢監督は気になって仕方なくなってきた。『血槍富士』でも思ったんだけど、なんだろうこの映画1本内で複数回出現することは稀な「完璧なショットでは…」感がポンポン出てくる感じは。

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映画的な運動といえば落下と上昇だけど、これぞまさに、なんだよな……そして話が動かない中盤が長くてグダるという声もあるんだけど、私はむしろそこがこの映画をスペクタクルを超える話にしてていいなーと思った。スペクタクルとしてもすごいんだが。わかりやすいおえらいさん批判やメディア批判を言葉にしないのも労働者が労働者であること、を描く上で良かったと思う。そういう話ではない。のだ。

諦めモードになった家族の発言が現実を突きつけてから流れが変わっていくまで一気にいくわけではないのがすごくよくて、転調となる部分に達するまでに連鎖的にではなくひたすら辛抱強く「状況」が積み重ねてある。打開策はご都合主義じゃなくそうでもない限りはどんだけ必死でも無理という話なのだからあれでいいのよ。最後の最後、みんなの感情の総量が一定を超えたとき、それこそあの崩落がごとく一気に終盤の高揚となる、ここが物語上必然なのがすごいんだよな……それにしてもあの田んぼ越しのあちらがわ!あのおまわりさんの看板!ロケーション素晴らしすぎませんか。

あ、ちなみに台詞はすごい聞き取りにくいです。けど全部わかんなくたっていいのよ、そのぶん画面に集中できるし(これは旧作邦画見始め期はハードルになる人もいるかもしれんが…慣れです)

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U-NEXTでみた『どたんば』がめちゃくちゃよくて、改めて内田吐夢監督はちゃんと追わないといけない…という気持ちになりました。落盤事故で生き埋めになった炭鉱夫たちの話、ときいて想像される方向としては「生き延びようとする炭鉱夫たちと救出隊の必死さ」描写に力が入るものだと思うんだけど、この映画はどちらとも違っていて、労働者の連帯の困難と手を取り合う意味をアクションとして語る映画なのだった。なので最後まで安堵があるかはわからない、後半にいたっては閉じ込められた人側はほとんど映らないのだ。最初は救助もやじうまもワーッとなるけど(アイスキャンディ売り!)時間が経つうちにイヤーな感じで絶望が侵食していく、しかし、だな。それぞれの持場の物語。

チョロチョロ…と坑内に水が漏れている序盤から水怖いし荒れる川の凄みと建屋の崩れ方がヤバくてヒャーッとなる、迫力あるショットもすごいんだけどみんながわやわやー!としてる奥に「上げる」「下げる」担当のウィンチのみっちゃんがぽつりと配置されてる、あの位置が実に素晴らしいと思ったな…圧巻のセット芸術。

朝鮮人坑夫たちを引き上げさせたものは何か、彼らを引き戻すには何が必要か。50年代には(あるいは、50年代だから)ここまで描けていて、今描けなくなったのは何か。についても当然考える。

それにしてもカウリスマキの映画は愛煙家の私からしても煙たい、狭い家でも車の中でもコーヒーショップでももちろん外でもみんながずーっとモクモクしててケホケホしそうになる、でもってあのタバコたぶん全然おいしくないやつなのよ、わかるの。でも60年代の労働者階級の話やるにはやっぱりあの苦い煙の感じがなくてはねと思うのよね。喋ることがへたくそだからどうしようもない人たちの話だから隙間をうめるようにモクモクしてるというあのかんじが大変に重要なのである 登場人物たちだって空白が気になってはいるのである 埋め方がわからないのである

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なんとなく気持ちがつかれたのでカウリスマキの『愛しのタチアナ』見てた。同じことやってるようでもやっぱり『枯れ葉』は現代性が加味されてるのわかるねー。同時に気持ちがいいほど人間に大事なことはいつでも同じこと、なのだなと。ここは何もないのでピカピカの車でロックンロールをききながらどっかいきたいのです、だけの話。

60分そこらなので中編なんだけど、適当な120分映画を見るより彼らと一緒にたらんたらんと長い時間を過ごしている感覚がある。凝縮が引き伸ばし効果になることがよくわかるかんじ。何を喋っていいのかわからない男ふたりがショーウィンドウ前でスパナとミシンの話してるのよいよなあ、あそこで話すのはロックとか喧嘩の武勇伝じゃないんだよな……ぶっきらぼうでかわいいところのある男たちに悪い気がしない女たち、ってのは都合良いようでそうでもないような?

90年代の気分だったかっこわるさがクール、ではなくてただただかっっこわるいものをそのまんまに愛して大事にしている。登場人物に愛の告白など当然ないまま寄り添う肩(意地でも正面対置しない顔と顔)があるといいもんだろうねえ、というほわほわした夢想が形になった何か。多少は時代を踏まえて目をつむる必要性もありつつ、くーっ、せつねえなー!の後味も悪くなかったです。

視野がぐいぐい広がるのが楽しくてインターネットの人やってきたんですけど、今はわたしレベルくらいの生半可なインターネットの人だと(生半可でないインターネットの人ならまだ広げられる)ぐいぐい狭くなってくんですよね

わーっと感想言いたくなる映画を見たさ

ついにこっちに書くのも億劫になってきた

あ、でも日本の唱歌である「しゃぼん玉」をI'm Forever Blowing Bubbles的に使うのはちょっと面白かった。でもしゃぼん玉はI'm Forever Blowing Bubblesではないのでおうち発表会では何か意味と画がずれているのであった。

なんか全体に英国っぽい映画だったな?と思ったらましゅぼんのプロダクションが入ってるのか、なるほどなるほど(英米合作)。オフィスの壁にクラウディア・シファーがわざわざ映るのは楽屋落ちなんだろうか。

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Fedibird

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