今日は『ゴースト・トロピック』を見てきたの。初老の掃除婦さんが終電を乗り過ごして終点までいってしまってそこからお家に帰る話、なんですけど「ここに在った/いつか消えた/これから在る/これから消える」を今で繋いで時空を超えていくゴースト映画っぽさは意外に薄かったかな。撮影は魅力的でなんとなく全体のトーンに『泳ぎすぎた夜』と似た感じがあった、気が。心細くもなくはないけど…な道筋の浮遊感の共有。
あとマインド面もなんかすごく現代日本のインディペンデント映画を見ている気持ちになって不思議だった。主人公が自分からは困っている事情を話さなくて自分だけでなんとかしようとするのもそうだし、親身にとはいかなくともすれちがう人たちは困っている人に優しさを示す、しんしん冷えるがわずかなぬくもりの光は美しい、しかしそのなかに大きなものとは切り結ばない土壌が垣間見えるというか。そういう普段日本っぽさと感じるものをベルギー映画で見るとは…という。(ホームレスと犬のエピソードとか「うちのポーランド人が…」「もう個人宅はやってないんです」のとこに見え隠れはしているものはあるが)
いやホントに日本の監督が撮ったといったら信じちゃいそうな感覚がそこここに、ブリュッセルが日本の地方都市に見えて仕方なかった、中心部でもあんな静かな夜なのね
で、この感じはポジティブにもネガティブにも働いていたわけですが、一方でだからこその良さとして冷える夜に小さな初老の女性が歩いているその姿に哀れさも何もない感じになってるのはよかった。ああいいわね、ああ困ったわね、ちょっといい感じだわね、くたびれてきたわね、だけで綴っていく。バラバラの人たちがバラバラに居て、すれ違う。バニラ?のとこよかったな。加熱式たばこがこういうロマンティックな使い方されてるのははじめてみた気がする。
なんとなく乗り切れない部分としては私は冒頭のナレーションと呼応するラストで十分では?と思ったので「トロピック」がよくわからなかった。順番としてあれが手前に入っていたら意図はわかった気がするのだが…なんか急にチャチになっちゃってない?そういう理でみる話でもなさそうなんだが。
しかし断然素晴らしいのはエンドクレジットで、あんな素晴らしいクレジット形式を見られただけで見た甲斐がありました。すべての映画があれでいいんじゃないかってくらいの「みんなでつくりました」宣言だ。