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『フィンガーネイルズ』Apple TV+のオリジナル映画なんですけど、結構よかった。カップルがお互いの相性検査を実施して「陽性」の科学的保証がないと継続しないのが一般的になってる世界の話。なお相性検査は生爪を剥がして行われる(電子レンジみたいな機械でチーンと判定される)。

なんだそれは?な世界の話なんだが、それ以外は全部よく知っているものでできている。比喩として無茶ではあれど、関係の外部評価を受けるのが一般化されたら、案外それはそういうものになると思うんだよな。もちろん任意、だとしても「不安が解消できるなら」人は科学が大好きだ。痛みさえも納得する理由になる。

もう少し先までいっても面白かったんではと思うけど、こじんまりしてるのもこの監督の個性なんだろな。前作『林檎とポラロイド』はしっくりこなかった私もこれは気に入った。大真面目にガワから作る(雨の音、フランス語の響き、危険の共有)ロマンティック。ヒュー・グラント映画のレトロスペクティブに笑う。

前作からしてギリシャの奇妙な波とチャーリー・カウフマンを繋ぐ話だったのでここで『もう終わりにしよう。』のジェシー・バックリーというのが効いていて、私は彼女の笑った時の片側がキュッと濃くなるほうれい線が本当に好き。訝しげにも楽しそうにも悲しそうにも見える。

あとキャスリン・ハンター出てるの知らなかったし、何ならこの人がギリシャ系なの検索して初めて知った。ランティモスと縁があったわけではなさそうだけど。

私はジョエル・コーエンのマクベスを全然評価してないんだけど、しかしあのキャスリン・ハンターはすごかった。むしろあれしか覚えてない。彼女もまた圧倒的な「身体の人」なのだ。

哀れなるものたちの話。ちょっと内容に触れますね 

最初のエネルギーこそ性的興奮一辺倒だけど、ただただ元気に超高速で進化する、何もかもが異質なベラの冒険はたしかに楽しい。「偽物の本物らしさ」を強調するセットデザインも強烈だけど、主にエマ・ストーンの身体運動と音楽の激烈さによって異質が「普通」をバリバリ踏みしだく。

そのさまは最高に面白いし、スーパーフィメール映画としてのある種の痛快があるのは認めつつ、やっぱ端々で意地の悪さというか「痛快だと思わせておく」たちのわるいしかけが入ってるような……特に終盤。

まあこれは私はランティモスをシステムからの離脱の不可能性の人と認識してるからで、もしかしたらもっとシンプルな捉え方でいいのかもしれないけれど(鹿殺しまではこの「その世界におけるシステム」が謎なので異様な話に見えやすいけど、女王陛下や今作では規範が現実とリンクしているので規範破りに快楽があるわけね、でも結局同じ話なんじゃね…?)とか考えちゃった。

後半では少し過剰な作り込みに飽きたこともあり、パリのセグメントからはもうちょい切ってもよかった気がする。そのぶんポルトガル謎ダンスを!もっと!見せて!(謎ダンスが好きすぎた)(でもあの程度に収めるのが趣味の良い悪食の範囲、ではあるよね)

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『ソルトバーン』と『哀れなるものたち』特に意識してたわけでもないんだけど連続して見たの結構良かったのではという気がする。身体と箱の話であり、異質性こそがすべてをなぎ倒すという話であり、あとおそらくグリーナウェイ(見てないから想像)。しかしそれは本当に自由なんだろうか?

哀れなるものたち、謎ダンスありました!

監督の前作は周囲の評判イマイチで見逃してたけど、この機会にみようかな。今回のタイトルの出し方からして気の強さが見えるというか、どうもこの人は感じの悪さを恐れていないね?とニヤニヤしちゃった。映画には性格悪いなーだけで突っ走る自由だってあってほしいほうなのよね私は。フォントはタイムズニューロマン。

ベストオブベストのバリー・キオーガンをみせますぜの気合いは過去作ダイジェストの悪ノリにも見えなくないけど(あの鹿とかさー!)。でもゲロの跡だらけの洗面台とかバスタブのアレとか英国映画の悪食に美しさを見出す伝統的趣味のほうにいってる系では意外にもこれまで見たことなかったふうにも。顔がどんどん変わるしシーンごとに体型さえ変わって見える。三面鏡に映った三つの顔は同じだったけど、この人なら全部違う顔が合成なしに映りそうだなと思った。

私は知識欲もないしコモンピープルのモデルじゃねーわよ、とかウプッとなりながら吐かないとかロザムンド・パイクのノリノリでやっとんなー感も楽しかったが、謎に現れ謎に消えるだけのきゃりまりがツボでした。なんだよあれ。

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ソルトバーン、ひっでーな!ってだけの話なんだけど面白かったなー。ひっでーな、だけなので映画として成立しうるところギリギリなんだけど、でも骨格がガシッとした性格の悪い話を見てるとその潔さに惹かれてしまう。過剰さも支配の力学ものとしてもある種の傲慢さがないと撮れないタイプの映画で、そこが魅力になってる気がした。

『オアシス』と『ふたりは姉妹』と短編も続けてきょうだいの幸せなつながりの話を見て、今年やっぱ質の面でここ数年でいちばんなのではと思うmyFFF。物足りない人もまあいるかなー、とは思うが、このやさしさが今の気分であることは重要だと思ってて、世の中のしんどさとの戦い方にはこういうのもあるんだよな、と思うのよ

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最近の私、「ここからここまで」を断片にしてスキップする巧妙さが好きで、時間が引き伸ばされるときには引き伸ばしの意図を「孤独」や「退屈」じゃないところに感じたい、という傾向がある気がする。おはなしおはなしはいおしまい、で切り上げるタイミングをわかってるなあ!と思えるの大事なんよね。『イヌとイタリア人、お断り!』が良かったのも家族史であれば普通なら相当語りたくなるところでもバッサバッサ切ってあるぶん無常観が強まってとこなんだよな。そしてそのスキップに実写とストップモーションアニメの組み合わせがものすごい効果をあげてるの。技術~

myFFFの『北極星』は仏とグリーンランドの合作なのね。私はネイチャードキュメンタリー的な要素はそんなにピンとこないのでそっちに結構時間が割かれている点ではドンピシャ好みなわけではない…んだけど何あの流氷?氷塊?メビウスの画集とかルネ・ラルーの世界じゃない?宇宙を行くみたいな船のショットはちょっと狙いすぎだけど美しくて悪くなかった。

母親から愛されなかったという苦しみを抱え、まだ珍しい女性船長として日常的にイヤな思いをさせられ…な35歳のアヤットさんの妹にこどもが生まれてからの2年の断片的を連鎖させずにすくい上げ、淡々と語って、フツリと終わる。「うちの家の呪いを断ち切りたい」も含め、インタビューではない形でときに乱れる音声(外での通話の声なんだと思う)が多用されていて、その声によそゆきじゃなく本当に撮影クルーと一緒に過ごした時間が長かったんだなと伺われ、撮影者と被写体の間で相互にしっかりした結びつきがあるのがわかる(「撮って」を手招きする、姉ほど深刻にならないタイプの妹)のがよかったな。

やっぱ今年のmyFFF、良さげだなと思ったの見れば大外しはなさそうな気配を感じる。

90年代の陰気なところが前面に出た映画をみてみると、やはり平成初期ってどこの国も暗かったよなあと実感するね…これは内容もなんだけど、物理的に暗いという意味でもあり(都市でも今ほど夜が明るくない)。いつからここまで夜の暗さの色が変わったんだろ。

『戦いとは終わりである』本当によかったんよ。これと『イヌとイタリア人、お断り!』を早々に見てしまった結果、今年のmyFFFの他見てもここまではいかんよな…的にハードルがあがりまくってしまったので90’s MOVIE TIME MACHINE案件落穂拾い?的な感じで『ネイキッド』と『愛情萬歳』をみていたのだった。

vertigo さんがブースト

今年のmyFFF1本目、『戦いとは終わりである』観たぞ。ダンスでも演劇でもいいけど、でもボクシングでなきゃ。喧嘩の仕方を教わり、相手を見て、パンチが言葉を与え、ファイターはいざ社会というリングに立つ。やったれ!
27分の中に必要で大事なことしか出てこない。バシバシビシビシ刻む小気味好い音。壁のポスターとグラフィティのフォントが同調して、外へと繋がるショットが最高だった。
(ちょっと掴みにくい不思議な邦題訳だけど、英題The Struggle Is the Endだとしっくりくる)

最初のキネッタだけ見られる機会なかった気がするのでどっかで配信やってくれないかなー。アルプスも面白かったんだよ。いつもと同じ話だけど。note.com/knightofodessa/n/n966

ランティモスは籠の中の乙女でやってたことをずっとやってるので、シグニチャの謎ダンスさえあればいいくらいの気持ちで哀れなるものたちにのぞみたいきもちー

『ネイキッド』をやっと見たのですが、これがなんかリアクションに困るというか、リアリティ皆無の禅問答は悪い方の90年代の頭でっかちさが前に来てて厳しいものがあった。こいつはやく死なねーかな、な男は本当は…みたいなのがなくてずーっとそのままです!というとこはむしろホッとしたんだけど、なんか世紀末の若者の刹那性とか逃避性とかをやるのにこういう賢しらなとこがあると割とイラっとくる。しかも見た目のいいデヴィッド・シューリスなのでそこもまたイライラする。もうひとりの金持ち男のほうらわかりやすくクズなんだが、シューリス演じるジョニーには何かしら非倫理的な行動に背景あるんじゃないかと思わせるような単なるしょうもなさに見せてない含みが不快なんだよな。なんだかよくわからない魅力にまでは突き抜けないし。モゾモゾする。

しかしソフィとルイーズのキャラクターには謎なまでにリアリティがある気がした。依存的な関係しか結べない、誰かと結ばれることを望む女がせっせと世話を焼くことの甘美。に唯一気づき一気に叩き出したカフェの娘さんはひかりのまちのジーナ・マッキーで、ここでも「なにやってんだ私」の涙を見せていた。

『戦いとは終わりである』(短編ドキュメンタリー、27分)と『イヌとイタリア人、お断り!』(長編アニメーション、長編とはいえ70分)どちらも「ありがとう」という気持ちになる映画だった。myFFFは毎年当たり外れかなりあるんだけど、今年はこの2本で既に充分以上だと思ったな。経験則からして実写長編は好みドンピシャとはまた違ってきそうだけど。

『哀れなるものたち』は多分だいぶ口当たり良くなってるんだろうけど、でもやっぱり同じ話をしていてほしい気持ちがある。

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わたしはランティモスは聖なる鹿殺し以外は全部好き(全部見てるわけじゃないけど)。同じ話しかしない監督が好きなのですが、よりによって同じ話がなんでそれなんだよって思う。好き。

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