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何かをしながら別の何かをせずにいられないタイプの人だと身体の動きを思い返せば常にそうなのとかすごいコントロール力だよね。日焼け止めを塗りながら歩く登場。友達の声に相槌をうちながら横の会話の方を聞いている。タバコを吸いながら自転車に乗る。甘いのとしょっぱいのうれしー。マルチタスクなわけではない。何かひとつだけ強く欲望して突き進んでるわけでもない。選択したくない。ふたつ以上が必要なだけ。若い女子の話として自意識のほうにいかず「困った人が困っている」話をただそれだけに描かれてるの自体が珍しいので、そこは素直に賛。当たり前の「にんげん」である苦労の話だと思いました。ただわけのわからなさに何かしら背景があることは美点とも欠点とも取れる気がする。

すごくパワフルで魅せられるとこもあるけど、私はだいぶ前に通り過ぎすぎた景色だからかそんなに好きではない、枠かなー。デュオもすごい映画だとは思うけど、好きかどうかといわれると迷うしなー

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20代の頃に身近にいた感じの子の話だなーと思って見てたら違う感じの世界の話になっていた。デュオのリバイバルみたいだなーと思う。しかし男女反転には当然なるわけがなく、ひとりでふたりぶんをやっているのでこれはもう大変に大変な。そういうことかーとなってから「そういえば」が遡ってクリアになるのでむしろ安心して見られた。表象として正しいかどうかはちょい保留したいけど、表現としてはいいのでは。声と音の映画。

「魚座どうし」でも思ったけど、私にはちょい才気走りすぎてる作風なのだが、とにかく根性が大嫌いな、しかしかなり根性のあるタイプの監督なんだろうなと思う。

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ナミビアの砂漠見てきたんだけど、なるほど、こういう話だったのか

「0.5の男」を見てドラマでもショットを撮れる人は撮れるもんだな…と思ったあと(2話目冒頭のセット平行移動素晴らしかった)こういう映画中心主義的な言語が感じ悪いんだろね、と自省するなど(ドラマの文法としてもおそらくかなりちゃんとしてるし)。まだそんなに見進めてないけど、おもしろいです。沖田監督の映画のほうはそんな見てないんだけど。これは気に入りそう。

しかし松田龍平はあれだけ若い時から「アイコン化」運命を背負わされながら本当にまあ見事に(途中から飄々というコマンドを手に入れたのはご本人のお芝居の研鑽あってこそだろうなーと。実に自然にみえるものはたいてい自然ではない)中年ルートまで切り抜けた珍しい例だな、しかもただ立ってるの撮るだけで画面がもってしまう佇まいだけはずっと変わらずにいるんだからすごい

エイリアンロムルスみてきたー。ツイストのない作劇をちゃんとやれる地肩の強さみたいなものと、フットワークの軽さがよいバランスで機能してたと思う。ちゃんと「フィルム」らしさがあって、それがノスタルジックではなくクラシックを志向してる感じで。

根本的に話が地獄(ここにいたら死ぬ→ここから出ようと無謀なことをする→どこまでいってもやつらのせいで出口がない)なとこも、みすてられたこどもたちのなかに「みすてないこと」(良くも悪くも、になるが)をあちら側に渡らない人間性の砦として位置づけるのも堂々とクラシックSFしていて好ましく思った。現代的に見えるとすれば、それはSFは最も現実をうつすジャンルだから、といえるような気がしたな。

私はもともとシリーズに対して愛着がないのですが、これを見たことで全然面白く見られなかった無印がなぜクラシックたりえたか(以前/以後のエポックメイクを成し遂げられたか)の理由はこのくらいきちんと「在る」を信じさせたからなんだ、というのが伝わってきたよ。各作品ごとに「在る」のポイントは違うけど、どの監督も「在る」は守ってきてたんよねー(コヴェナントで信じさせる気をなくしたかのように全部ぶち壊して今作をサポートしたリドスコはよくわからん…とは思っている)

まあゲストのディートリッヒ様場面だけでも元は取れちゃいますが。彼女がそういうなら、そうに決まってるんですよ。そういうことなんですよ。

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『黒い罠』を見たのだが、え、こんな変な映画だったの?有名なオープニングの長回しクレーンショットからすごくかっこいいのに、話と語りがまったく噛み合わない場面だらけで、なんだこの変な映画…犯罪映画のパロディなのかな?ってなった。悪い若者たちのライティングとかギャグスレスレでは。でもあの終盤をみると真顔にも見えるんだよなー。そもそも感情を引っ張るとこがバルガス側にない(妻を守る、にしては中途半端だし、メキシコ市民としての複雑さも強調されてない)、一方でクインラン側に「だけ」に「悪者→只の悪者ではなさそう→でもまあ演じてるの私ですからね」的に人物の奇妙さを強調してるのとかバランスおかしくね?

しかし主人公の妻が怯える設定の方が自然に展開しそうなとこ脅されてまったく怯えない描写からしてうむ?と思ってたらカツラ…のあたりで何だこのノリ?になり。電話番が盲目(主人公の横で視点の定まらない女の顔もずっとパンフォーカスで捉えてるあのショット何?)の理由もなし、モーテルの夜間担当もあんな挙動不審人物に設定されなくたって…場面ごとの「画になる」が優先されるのはちょいと保守的な私は面白くない。が、かっこいい画面の多さは否定できない。この感じはキューブリックあたりとつながるやつかしらーなどと

『金の糸』を見ていた。ジョージア映画はやっぱり歌うのだなあ(今回は突然始まる本格的コーラスこそないけど思い出の歌はふんだんに)。金継ぎのようにこわれた過去を繋ぐ、というテーマからして「見るメモワール文学」すぎて映画自体はピンとこなかったけど(最初から朗読だし…昔の恋人との会話での引用とかも高尚すぎて…)まさに監督のメモワールが今月ちょうど出るのを知り、読んでみたくなった。
hakusuisha.co.jp/book/b651078.

イメージの花やイメージの風、光の白さとあの真ん中に広場がある住宅の感じとか、私はこんなふうに世界を見ている、という91歳視点(主人公はもう少し若く設定されているが、明らかに監督なので…)を見せてもらった、気がする。独り言ふうの箴言的台詞をカメラに向けて話すのとか、ところどころ不思議な演出も「わたしが遺しておきたいこと」をすずろに語るものとすればなるほどなとも。あとTV画面に映ったアルチルさんがそれまでと打って変わってすごく弱々しく老け込んで見えたのが、映画(イメージ)と映画ではないものの差みたいで哀しみがあったのが不思議に印象的だったな

興味深かったのが三世代ものでなく「ひと世代が完全に外されている」ことで、そうか、あの子の親なら90年代の生まれくらいかな、そういう家も多かろう…

るこさんのやつ1と3がわかったけど2がわからなくて、このへん自分が曲をどうやって識別してるのかに繋がってそう!おもしろ!

普通におもしろかったな。機能美があって。女性代議士グループが「国民に隠すな!」って怒鳴るとこに肯定的に見えるのとか(その後の流れで警鐘がそれなりに機能しているのわかるし。それなりなのでみんな緊張感ないが。でも実際そんなんだったんではないかと、時代が時代なので…)「みなさんさようなら」の落下のとことかすごいね、カット割で大変不気味に見える。音楽の入るとこも微妙に変なタイミングに感じて、そこも不思議な面白さ。

やりたいこと以外やらない態度が見える映画っていいよねってなる。キャラクターにはキャラクター以上の何の意味も与えないのも好きよ、トップクラスのアクターが心を込めて完璧な書割を演じ切っているわけで。しかしその「現実み」のなかで芹沢博士だけ二次元的な佇まい、1000%のエモエモのエモな「キャラ」としてゴジラ以上に突破しちゃってるとこもなんかやたらおもしろかった。存在が!すごく!まんが!

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実は見たことがない有名な映画を見る部、今日は初代『ゴジラ』にしたのですが、やー、この堂々たる!オリジンの!堂々さ!焔がねえ、禍々しいのよ。ちゃんと。海がねー、ちゃんと海なのよ。このね、在る!という力がゴジラを存在させてるのだ。あと顔。俳優の。顔が。強い。ゴジラに負けない。顔の。アップ。

世評ほどピンとこない映像作品、海外ドラマの方では比較的揉めにくいのを感じる(国内は…朝ドラを追った結果割と面倒な世界なんだなと理解しました。いや朝ドラが特殊っちゃ特殊なんですが)あと海外小説もたいして揉めてるのは見たことない。ターゲットが違うとこにはいかないからフラット化しないみたいなとこがあるのかな。やはり映画は誰でも見られる、かつ所属する層によるナラティブの差が大きすぎるってことなんかな。ちなみに私はなんでそんな評価高いん?が割とわからないのは映画よりドラマに多い。

『恋愛の抜けたロマンス』見てた。なんか昨日のフレッシュもマッチングアプリものでこれもマッチングアプリから始まり。近頃のアラサーは恋愛というより恋愛と名づけていい関係をつくるのが苦手(やることはやってるし側からみれば恋愛なんだが)なんで、どうもこんがらがってしまいます。なチャーミングなセックスコメディ(実際の性描写はそんなにない)という意味ではマイPSパートナーっぽい。あれがフジ月9黄金期ならこっちはTBSの10時代ドラマっぽさ(あんまり見てないのでどっちも概念としての…だと思ってください)を感じるような。仕事の解像度にやや難を感じるとか、画面づくりはそんなに好みではないかなーと気になるとこもあり、でも典型的になりそうでならないキャラクターの作り方(台詞と編集のリズムが独特のとこがあって面白い)魅力的。2021年のイケメンの代名詞はパク・ボゴムなんだなー

都合の良い相手にされがちな男女、女子がグイグイ行ってて男子がアワアワする、話でもあり。たあいうルポ的な恋ブログ読者が多いのは実際そうなんだろうなと思うんで、よのなかみんな恋愛したいというか恋バナ好きってことなんかな…私はあまり…

こっちを感想を投げまくる場所にすると、あっちで書く理由なくなっちゃうな?

筋はあんまり似てないんだが『フェティッシュ』を思い出す。このくらいの映画がドシドシ作られていけばいい。

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『フレッシュ』みた!デイジーエドガージョーンズの正しい使い方!セバスチャンスタンの正しい使い方!シャルロットルボンの正しい…かどうかはともかくなんか合ってはいる使い方!フェミニスト・ホラーとしては直球すぎるくらい直球なんだが、エクスキューズなく堂々とやるべきことをやっているのがいい。夜道で鍵を握って生きてる側の(それでも恋愛はしたいんだが…)のやってらんなさの極み。『バーバリアン』とセットで見るとなんでこうもやってらんないのかがよくわかります。

ジュリアのおとうさんの「生まれた時からこうさ」とか、地味にいいんだよな。そこに意味なんてなくていいのよ。まあ大団円が雑という欠点もあるんだけど、でもあの「気づいてないけど、そこにはもうずっといたんだよ」の表明はこどもさんにとても大事なことを伝えているのでは。まだここか、と言ってしまうには勿体無いと思うよ。

こどもにも仕事があるのが当たり前だった頃を舞台にしてしか描けない児童の児童らしさってあるよねー、と前日にみた「エンドロールのつづき」とタッチはまったく似てないのに近いところがあまりに多いのに(あのラスト!)少し笑う。定型の強みが見直されているとしたら、それは良いことだと私は思う。

やはりどこかで人形劇とアニメーションのまとまった論考を読みたくなってきた。ソウルフル・ワールドやレッサーパンダで少し心が離れてしまったんだが、この路線でキャラクターのパペット化(なんかひとみ座っぽいの)が進んでくれたら期待できる気がする(むしろそこしかないよねとも思うし、その路線のほうが好きというだけですが)。見逃してたミラベルとかマイエレメントとかも見てみようっと

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夏も終わりの気配がしてきたので『あの夏のルカ』を見たのですが、え、これ普通にすごくよくできてるのでは。小品としてなんだけど。体育館でみる児童映画的なポイントがかなりきっちり押さえられている。ジブリの影響下にある作品において最もきちんと「児童映画」をやれてるのではないか(カートゥーン・サルーンとか好きだけど「児童映画」は作ってないと思ってるので)。やはりポイントはイタリアなんだろうか。

@spnminaco そうなんですよねー!物語と撮影の話にならずどこまでも物理的に「映画」をやろうとするのがすごかったです。そうそう、列車もフィルム的だった!溶鉱炉のとこが悲痛なだけにラストも好きでした。世界は映画でできている!しかしあそこで挙げてる監督で小津や黒澤より先に勅使河原宏があがってたり女性監督で最初にあげるのマヤ・デレンなのとかもすご!となりました。あんまりそこからいく人いないでしょ…

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