マエストロ、びっくりする良さだった。アリーが嫌いだった人にこそ見てほしいかもしれない。ちょっとすごいことをやってる。きゃりまりの力を全面的に借りたくーぱん、すごいとこまで飛躍してる。これはガガさんを演技的にはリードしなきゃならなかったアリーより断然うまいやり方。そしてそのやり方はレニーとフェリシアの関係にまさに重なっているのよ。平面から立体へ、そして絡み合いながら螺旋状の上昇する。音楽のように積み重ねていく映画だ。マシュー・リバティークの撮影もこれまで技巧が勝ちすぎ題材によらず陰影つけすぎと苦手苦手言い続けてましたが今回は完全に脱帽です
「時の支配者」をU-NEXTで。クリーチャーデザインと宇宙船の錆質感の素晴らしさにうっとりして筋をまともに追ってなかったので(語りも断片的だし)クラシックSFの抒情性全開な展開がくるの想像してなくて、こんなオーソドックスなのに「!」ってなってた。時の支配者というタイトルもよくわかんないなと思ったら、そういう話?そういう話!思想人間のビジュアルとかウォンウォンとか何あれー、うっとりするー。あんまり動きのない画面をもちもちした袋形状のユーラとジャドがふわふわと活気づけるのもよき
なんか全体としてみるとシリーズダイジェストー!って感じではあるが、しかしこの圧倒される美術とふんわりスペースオペラとレトロだから新しいシンセサウンドのメランコリック加減が心地よくて、ふにゃーんとなった。ふにゃーん
パラダイスの夕暮れ見てたんですけど、やはりカウリスマキの冴えないエッセンシャルワーカーたちのひたすら噛み合わない恋を決して笑わない(むやみに面白くなっちゃってるのだが、それでも笑わない)態度を見てると、大切なことは何度も言い続けないといけないし結局はこれだけがすべてなのだという真摯さと可愛げの良さがわかってくるだけでも中年になってよかった気がしてきました。
あとやっぱりズームの仕方がいいですね、顔がまったく動いてないのに気持ちの揺れがわかるズーム技術…フィックス切り返しのおかしみだけに頼らないとこが好きだなーと思った。ときどき困り顔の無力な守護天使が見てるみたいな斜め上からの撮影が入るのも優しさ(とかなしさ)を感じて良い。
生活者の恋は成就の先にあるものとはいえ、しかしそれにしても噛み合わない!どっちも謝ったり感謝したりがない!のですが、それでもぬけぬけと幸せになればいい、それから先はまた先のこと、君は僕のすべてだけど僕は君のすべてではない、としても恋をしてしまえばそれでいいので、今この手につかんだ幸福の無表情を描かずして何が映画よ、という話をいつでも切り捨てられる存在の生活のダサさの極みから決して離れずやってきたわけで、本当にそりゃ今の時代なら引退宣言撤回して戻ってこないといけないと思うよな…
ゲゲゲの謎の話。正しくない言葉を使います。
私はかなり面白く見た。物理的な血(液)を概念的な血(筋)に組み合わせるアイデアもよく出来てたと思う。戦争帰りの男でモノローグ進行のノワールをやるうえで、一部の男だけかっこよくて女がみんな悲惨なのは「そういう現実」の話だから良いと思うんだよな
今回の成功、アニメゆえ水木をあの等身にできたのがいちばんのポイントなんじゃないだろか。いや、今の実写でいちばん時代再現が難しいのは日本家屋内における人間の等身だと思うので…あと過去に他の戦争も経験した世代がご存命の頃にしか使われなかった「先の戦争」の感覚がまだ生々しかった頃の映画に学びつつ、戦後は続いているんだよをデジタル感と妖怪のデザインに顕著な筆タッチのバランスで見せるのもいい感じだった。
(じゃあ昔の映画見ればいいじゃん?という声については、同種の話だとまず間違いなく気狂い連呼されてるので、そういうのドン引きする層でもこれなら届く、届かない層に届けるための映画なんかなと)
ただ、あまりにも反家父長制とか因習村とか糸目の…(名前は出さない)とか男ふたりの…とかインターネット的にキャッチーというか居心地がよすぎるところに、なんかうっすら引っかからなくはないです。賢くてエモいけどガチの怒りには思えない感じがうっすら…
『Fair Play/フェアプレー』は男女の「反転しなさ」をかなりの粘り腰でやっていて、一方でパワーというもの自体の怖さ、人を人と思わないことによって成り立ってる業界の能力主義とはなんなのかもよく考えてあって、この着眼点自体がこれまでにあまりなかったものだと思うので面白かった。演出も何がやりたいのかわからないとこが一瞬もないタイトさでよい。
リアルに事例が少なかったということもあるんだろうけど、ここ数年の流れを踏まえてその先の景色を見せてもらったな…家族との噛み合わなさもヤバかった…
男のしょうもな!なとこをこれでもかと描くだけならつまらなくて、そこに女側の「わかってくれるだろ」の甘えを持ち込んだのがビターでよい。いや、ヒロイン(とあえて呼ぼう)は「パーティでいちばんの美女」であることにも、今の仕事レベルにも別に抵抗はなかった女なんだよな。ところが野心に気づいてパワーが拡大すれば止まらないのは当然で、これを逃したら次がないから男以上に男らしく振る舞う過剰適応を馬鹿正直に家に持ち込む、感情的な男を職場であれほど見てても男が感情的になることを想定してない言動を繰り返すわけで、あれもし男ふたりか女ふたりのカップルだったら遠慮も出てたんじゃないかなー。わかりあえない前提でいこうぜー
Netflixで「ハンガー: 飽くなき食への道」、良いところも色々あるんだけど(国に重ねた「厨房に民主主義はない、独裁だ」)それは主にチュティモン・ジョンジャルースックジンの青春ノワールが似合う苛立たしさを噛み殺す悔しげな若い女としての佇まいの魅力によるところが大きく、格差社会ものとしても料理人ものとしてもケリのつけ方がなってない…いやオチをそういう話にすべきなのこれ?
いっそダンティール・W・モニーズの短編「悪食家たち」くらいまで振り切れていく金と食の話にするならわかるんだが、あるいは逆に丁寧な厨房ドラマにするならわかるんだが、うむむ…半端…
Netflix映画の一部に感じる「これはドラマでやろうね…」感がなー。2時間半もあるのに省略されてしまうところが大事でしょうが!感が否めない。契約どうなってるの!報酬は!時間経過は!季節は!経験のない人間が人動かせるまでにはそれなりの時間必要でしょ!
私はオールドタイプなので映画の語りとドラマの語りにはそれぞれ相応しいものがあるんではという気がしてならない。
https://www.netflix.com/jp/title/81517155?s=i&trkid=260908269&vlang=ja&clip=81669762
@spnminaco よかったですねえ、のっそりしてて…牛みたいなナメクジ…
ケリー・ライカートの映画、たぶんあんまり好みではないんだけど、描いていることと彼女の存在がインディ映画の世界においてどんな意味を持ってるかということについては興味がある。マンブルコアとの関連という意味ではお馴染み鉄腸ブログ参照のこと
https://razzmatazzrazzledazzle.hatenablog.com/entry/20160508/1462727936
オールド・ジョイも見ました。ロードムービーに仲違いと仲直りがつきものだと誰が決めた、みたいな話でふわーっといってふわーっと帰ってくるだけなのいいね。マスキュリニティというか「あるべきかたち」に馴染めない男たちが物理的に身体をほぐしてくと気持ちもほどけてくる、をほとんど会話らしい会話もなく描く(それぞれで喋ってはいるが微妙に対話はしてない)こっちの方がリバーオブグラスより好きかな。
もっさもさしたウィル・オールダムはほぼ地球に落ちてきた天使なんだけど、そこに開き直れず常にモゾモゾしてて負い目を感じてる雰囲気と話し方がとてもよい。そしてタイトルの意味。吟遊詩人は生きていきづらい世の中よなあ
リバーとこれ、どっちも映像の断片からはジャームッシュ的なタッチで評価されてる人なんかな?と感じたけど話の印象としてはユーモアのないそのぶん温度と湿度でやわらかくしたカウリスマキのそれという感じがする。特に「社会」への意識が。ラジオの使い方、さびれたというよりは錆びた街のムード。
このラインはそんなに得意ではないのだが生きてることのしんどさを「社会」にリーチする立場から語られるので割と好きなんだと思う。こんな世の中でカチコチになりますよそりゃ。あとこれ見て山で温泉浸かりたくなったら、掘ったらだいたい♨️な当地においでー
リバー・オブ・グラスをみました。私には全然ピンとこない感じなんだけど、良い映画なんでは…ということはわかるタイプの映画だった。「笑わせないオフビート」という面白いことをやっている(確かに「オフビートな」って形容詞がコメディにしか適用できないことはないよね、9割方そうなだけで)気がする。男のそれならオフビートな犯罪コメディになるものが、女、特に主婦のそれは笑えるものにはなりようがない、ということを思った。母性とかロマンスとかやりたいこととかなーんもないっす。身体のぐにゃぐにゃさがすごい
モノローグの離人感といいほにゃーんと泳いでるとこの顔の影が完全に死んだ人のそれだったのとといい、すでに死んでる人がゆっくりこの世を離れていく話だったような。いつも高速道路と飛行機が見えていて、でも出られない。
プールから上がったあとのけだるい身体の重たさと胸の奥にグムってくる熱い塊がずーっと続いていく。かくて湿地帯のゴーストさまよえり
勝手がわからない