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大晦日にはテレビを見ながら毎年おせち料理を作る。今年の午前中は『spy×family』という流行りのアニメを放送していたのでそれを見ていた。諜報部員が疑似家族を営む話らしいが、初めの方を見損ったのでなぜあの子供が諜報部員一家に加わっているのかよくわからなかった。『鬼滅の刃』以来流行りの漫画は一応内容をチェックしておきたい気分になっている。ネットをやっていると否応なしに流行りものが目に入ってくるから、何となく気になってしまうんだな。これぞ出版社の思う壺といったところか。見た限りでは、『鬼滅の刃』は割と面白かった。『推しの子』はクソキモくて全然ダメだった。『spy×family』は…ちょっと見ただけだからようわからんわ。

山田太一追悼特番は『今朝の秋』だった。何回も見ているドラマで新味がないが、まあ仕方ない。今見ているところだが、脚本家山田太一の名を初めて意識して見たのはひょっとしたらこのドラマだったかもしれない。一九分けの杉浦直樹が不治の病であと3月の命で、その親父の笠智衆が例によって棒読みだが割と泣かせる演技をする。杉浦直樹の妻役は倍賞美津子だったのか。何回も見ているという割には忘れている。樹木希林が出ていたのは何故かはっきり覚えているが。まあ、とにかく懐かしく楽しんでいる。

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昔、Twitterに「ガリ勉どものヤンキー差別と戦う!ヤンキー差別は学歴差別!」みたいなことを言う奴がいた。そいつを見かけるたびに、多分いい学校を出ているからヤンキーに殴られたりカツアゲされたりした経験が無いんだろうなと思った。あるいはそいつ自身がそういうことをする側だったのか。ヤンキーが多い田舎出身の私はいかにヤンキーが暴力的で弱いものいじめが好きでイキり散らかしている割に権威に媚びまくるダサい卑劣漢かをよく知っているので、ヤンキーを好意的に見たことなど一度たりとも無い。差別主義者と呼びたくば呼べ。

「世の中のヤンキー差別と戦う!」というそいつの主張とは裏腹に、世間的にはヤンキーは至って好意的に見られているらしい。何しろ松本人志の性犯罪疑惑について「松ちゃんは尼崎のヤンキー上がりだし芸人なのだからそのくらいやって当たり前。ついていった女が悪い」みたいなことを言う奴がゴロゴロいるわけだから。ヤンキーのいじめ実演ショーみたいなお笑いバラエティ番組にどっぷり浸かっているうちにヤンキーの価値観を内面化してしまう奴が大量に生み出されるわけだ。今度の松本人志の致命的醜聞を機にヤンキー肯定の風潮が一気に無くなっていってくれたらこれほど良いことはないのだが。

私は孤独を愛するタチで、東京に住んでいた頃はクリスマスというのは孤独感をしみじみ感じることができる格好のイベントだった。クリスマスになるといつも渋谷あたりに出かけてカップル見物としゃれこんでいたものだ。まだ景気が今ほど悪くない頃だったのであちこちで仲良く身を寄せ合うカップルが散見され、やあいるいる、この後エッチするんかなぁなどと下品な事を考えながらぶらぶら歩き、ミニシアターでマニアックな映画を見た後で帰路につき、コンビニでチキンとケーキと酒を買って夜半過ぎに待つ人の誰もいない部屋に帰宅し、テレビで明石家サンタをぼんやりと眺めながらクリスマスディナーをひとり味わっていた。あの心地良い寂しさをもう一度味わいたいとふと思ったりするが、もう東京に住むこともないだろうから多分無理だろうな。そんなわけだから、「クリスマスほど孤独感を味あわされるものはない!クリスマス撲滅!断固粉砕せよ!」みたいな事を言う人のことは全く理解できない。孤独ってそんなに悪いものなのかなと、漫画『孤独のグルメ』の井之頭五郎に限りない共感を覚える私はそう思う。まあ世の中いろんな人がいるからなあ。

クリスマスイヴなのでチキンとケークサレとチーズとサラミその他諸々を食ってワインで酔っぱらっている。世の中にはクリスマスが大嫌いでクリスマスソングを聞くのも嫌だという人もいるが、私はいくつになってもクリスマスが好きだ。個人的にクリスマスを過ぎるといよいよ年末という感じがする。これからクリスマス映画のDVDを見たりしてさらにクリスマス気分を高めるつもりだ。明石家サンタはもうあまり見る気がしなくなったけどね。
youtube.com/watch?si=2CjXG6h0j

超パワハラモラハラ気質の異常人格糞ジジイにハラスメントされまくって、クリスマスイヴイヴだというのに最悪の気分になったが、「死ねっ、死ねっ、死ねっ」と掛け声を出しながら腕立て伏せをやったら少し気が晴れた。思えば筋トレを始めたのは4月だった。あれからサボることも少しはあったが、一応なんとか継続して筋トレに取り組んできた結果、見事ブルースリーか千代の富士と見紛うようなムキムキマッチョボディを手に入れることができた。
…というのはもちろんウソで、パッと見た感じ筋トレを始める前と大して変わらない。筋肉が以前よりついているのは確かだと思う。血圧を測るために血圧計を毎日腕に巻いているのだが、以前より腕が太く固くなってきているのは実感できるから。もっとも、それが目に見えてわかるところまでには至っていない。理想の体型になるためにはコツコツ続けていくほかないだろうな。目指せブルースリーあるいは千代の富士。そうなれるまでに一体どのくらいかかるかはわからないが…。

『阪神タイガースTHE MOVIE』声出し応援上映を見てきたよ。関西圏ではない映画館で見たのだが、上映開始前の映画館のロビーにユニホーム姿でメガホンなんかを持った完全装備の阪神ファンがいっぱいいて雰囲気最高だった。もっとも映画が始まったらみんなシャイなのか案外静かだったが、盛り上がる場面ごとに拍手が沸き起こるので私も一緒になって拍手をして楽しんだ。優勝の瞬間の場面は何回見ても涙が出てしまう。いやー優勝ってほんといいものですね。

こんな映画に何だかんだと論評を加えるのは野暮というものだが、実のところ映画の内容自体にはちょっと物足りないところがあった。取り急ぎ作った映画だったからか、見せるのはリーグ優勝までで日本シリーズがほぼ割愛されていたのがちょっと…。あれでは湯浅は交流戦で打たれてうずくまってそれで今年は終わったみたいじゃん。日本シリーズで復活登板をした所まで見せてほしかったな。あと、どうせ阪神ファンしか見ない映画だから阪神のいい所ばかりまとめすぎているように思う。例えば『江夏の21球』は1度大ピンチに陥ってそこからいかに切り抜けるかを見せることで江夏の凄さを感じさせたわけで、この映画も少しは阪神が苦しかった時期を入れても良かったかな。まあ『江夏の21球』レベルのものをこの映画に誰も求めていないか。

何日か前にワイドショーを見たら豊田真由子(このハゲー!の人)が出ていて、「安倍派というだけでスティグマになるのは不当だ」みたいな事を言っていた。呆れてチャンネルを変えたら別のワイドショーが「東京地検の横暴が恐ろしいーっ」みたいな事を言っていて2度呆れた。今度のパー券裏金疑惑は令和のリクルート事件と言われているようだが、リクルート事件の時は汚職政治家を一生懸命かばう奴ばかりがこんなにテレビに出ていなかったよな。あれから30年だか40年だか経ってテレビを含むメディアの劣化は甚だしいし、それこそが公権力の腐敗の一因どころか主原因のような気がする。マスメディアがこんなに腐っているのに「日本人全員が馬鹿だからこんなことになる」とか例によってほざく文化人にも腹が立つ。そんな文化人も腐ったマスメディア言説の一角を占めているというのにね。お前も馬鹿な日本人のうちのひとりだよと言ってやりたい。

今年の秋口くらいにダウンジャケットを買った。去年まで着ていたダウンジャケットのファスナーがダメになって前が閉じられなくなったから、来たる冬に備えて買ったのだった。先代のダウンはパタゴニアのやつを奮発して買ったのだが、高かった割に薄くてペラペラだったし、使い始めから羽毛がこぼれて体の周りをふわふわ舞って、「俺は地上に舞い降りた堕天使だぜ…」とか格好つけてもどうにも締まらなかった。新しいダウンはモンベルのやつで、分厚くて羽毛もこぼれずファスナーもしっかりしているので冬になってから着るのを楽しみにしていた。しかし、今年は暖冬でいつまでたっても暖かいので着る機会がない。困ったものだが、まあ天気予報によると来週から寒くなるらしいので、おニューのダウンのデビューの時も間近だろう。来週にはこのダウンを着て『阪神タイガースTHE MOVIE』を見に行くつもりだ。スケジュールを調整して応援上映の回を見に行く予定を立てている。応援上映というとオタク向けのアニメ映画でよくやっているイメージだ。パンツ見せておっぱい放り出して萌えーみたいな映画を見ながら「萌え〜!」とオタクの兄ちゃんが絶叫しているようなイメージを勝手に持っていたが、まさか自分が応援上映を見に行くとは思ってもみなかったな。

昔から自民党の中の左派(経世会)は汚職でよく摘発されるが右派(清和会)はほとんど摘発されない。それで佐高信なんかがよく「クリーンなタカかダーティーなハトか」などと言っていたが、それを見るたび佐高がまたアホなことを言っていると思ったものだ。笹川良一なんかと結託していた連中がクリーンなわけがない。検察の権益を保護している派閥だから何をやっても捕まらないというだけだろう。そもそも検察が無謬で正義の味方などと考えるのが大間違いなのだ。

ときに、今政界では自民党清和会のパー券裏金疑惑の話題で持ちきりだ。あの大物議員が逮捕されるぞ、清和会崩壊かと盛り上がっているが、森友、加計、桜を見る会、統一教会問題と今までも重大疑惑が目白押しだったにも関わらずピクリとも動かなかった検察がこの件に関しては派手に動いていることに私は胡散臭く思っている。地検特捜部なんか国策捜査専門部署みたいなものだから、何か思惑があって取引材料として捜査しているに過ぎず、思惑が達成できたら速やかに撤収となるのではないか。結局、大山鳴動してゴキブリ一匹も出ない脱力ものの結果になると予想する。

コロナが治まった…と言って良いかどうかは知らないが、とりあえず人々の話題には登らなくなった。人々の気の緩みが怖い怖いと言いながら自分も結構緩んでいるようで、今年は正月用の酒を遠くの街まで買いに行ってしまった。去年までは仕事でもないのに遠出するのが憚られる雰囲気だったのでやむなくネット通販に頼ったのだが、今年からは解禁というわけだ。このままコロナ禍は過去の話になっていってほしいものだが。ちなみに買った酒は菊姫山廃純米酒とよこやま純米吟醸生原酒。普段は日本酒は安い割にうまいキクマサギンパックばかり飲んでいるが、正月だけは上等の地酒を買うのである。いやー正月が楽しみだなあ。早く飲みたいなあ。

ところで、酒を買うついでに映画館で映画を2本見て、その感想を先週書いた。もう今年は映画館はこれで行き納めと言いたいところだが、実はもう1回行くつもりだ。『阪神タイガースTHE MOVIE2023ー栄光のAREー』を見なければ年を越せないからね。全く、今年は阪神のことばかり考えるうちに暮れていった1年だったような気がする。来年はもうちょっと他のことも考えたい。

note.com/tokyonitro/n/n44f6aa6
お前らの内なる植松聖を見つめろ!と言いたいらしいこの映画自体が植松聖並みの醜悪な差別をぶちかましているとの批判。この映画は見ていないが、間違えて見てしまう前にこの批判文を読めて良かった。この批判文の中で映画の推薦文を寄せている西村博之やフィフィも批判されており、彼らの読者層(冷笑右派)が映画の想定する観客層だと指摘されているが、どうだろう。辺見庸の原作を『新聞記者』などの故河村プロデューサーが映画化したものとなれば、これはどちらかと言えばリベラル左派文化人ムラのやらかし案件ではないか。作品の趣旨自体は全然違うが『ハマのドン』と同じようなものだと思う。神は細部に宿ることを忘れて、粗雑な手付きで障害者福祉をもてあそべば福祉の現場の人々が怒るのは当たり前だが、そんな怒りはそっちのけで『内なる植松がどうたらこうたら…』と哲学してみせるのが文化人というものなのだろう。彼らの人権意識など所詮そんなものだと思う。

今いちばんネトウヨなメディア企業と言えばニコ動(=KADOKAWA)とアベマ(=朝日新聞)だ。いやいや産経とかの方が右翼だろうと言われそうだが、あんなのは古式ゆかしき党派的右翼に過ぎない。ネトウヨとはもっと冷笑的に振る舞うのを良しとし、常に強きに媚びて弱きを踏みにじり、正論をあざ笑うために進んで不誠実さ下衆さを競うような振る舞いをするものだ。ネトウヨとはまさに日本の癌であり、その巣窟であるKADOKAWAと朝日新聞が潰れない限り日本のメディアは正常化されないとさえ私は思っている。

そのKADOKAWAがトランスヘイト本を出版しようとした(結局出版しないそうだが)とのことで、さもありなんという感想しかないが、これにショックを受けている人が結構いるのに驚いた。KADOKAWAの子会社がやってるニコ動に差別的な動画が山ほど上がっているので当然に抗議を受けて、一応ニコ動にも差別禁止の規約があるんだから規約違反の動画はBANせんかいと言ったら、ニコ動は何とその規約を廃止したのだそうだが、KADOKAWAって元々そういう会社じゃないの?私はとっくに不買の対象にしているし、何をこの会社に期待しているのかさっぱりわからない。アベマもそうだが、やはりオタクコンテンツの提供元だからなのかねえ。

映画館で映画を2本見てきたので感想を書くよ〜。1本は『ゴーストワールド』という20年くらい前の映画。いわゆる不思議ちゃんの女の子のモラトリアム期を描いたものだ。青春ものは主人公に共感さえできれば好物なのだが、この映画の不思議ちゃんにはイマイチ共感できなかったので、オタクのおっさんがクソガキに振り回されて酷い目にあう話としか受け取りようがなかった。まあラストシーンは割と良かったかな。
もう1本は『ちびねこトムの大冒険 地球を救え!なかまたち』というアニメ映画。なんか滅多に見られないレアなアニメ映画だというので見たのだが、タイトルからわかる通り全くのジャリ向けアニメで、なんで俺こんなものを見てるんだろ…と自問する羽目になった。90年代前半の作品らしいが、現代目線ではジェンダーロールの描き方が古臭すぎて違和感ありまくりだった。例えば男の子が冒険の相談をしている間に女の子はお茶汲みをしていたりする。90年代にはまだそういう事への批判的視点は無かったのかね?そんな事なかったような気がするけどな。やはりアニメの世界が特別ガラパゴスだったからではないかと思う。

有名な俳優や映画監督や脚本家が亡くなると、ああ亡くなったのか寂しいなあと思いつつも、追悼特番であの昔の名作をどこかの局が放送してくれないかなーなどと不謹慎な期待を抱いたりする。大島渚が亡くなった時も『絞死刑』あたりをNHKで放送してくれないかな?と不謹慎にもワクワクしていたが何一つ放送せず、だからNHKはクソ御用放送局と言われるんだよ!とキレ散らかしたものだ。まあそんなわけで、山田太一の追悼特番にも期待している。『男たちの旅路』や『シャツの店』『今朝の秋』あたりは何度も再放送されていて見飽きているからもっとマニアックというかレアな作品がいいな。銀河テレビ小説の『夏草の輝き』とか。大河ドラマの『獅子の時代』もいいねえ。追悼特番を一切やらないようならキレるよ。私がキレたところでNHKは知ったこっちゃないだろうが。

私の小学校時代の担任教師に共産党員の先生がいたのだが、これがまあ酷い先生で、私を含む特定の生徒を露骨に差別する奴だった。例えば教室内の備品が何者かに壊された時に、根拠もないのに「お前がやったんだろう!」と特定生徒を吊し上げたりした。そんな教師の振舞いを伝え聞いた私の両親は「民コロが!」と吐き捨てていた。いたいけな子供にそんな政治用語を吹き込む両親もどうかと思うが、とにかく私の共産党とのファーストコンタクトはかくも最悪なものだった。にもかかわらず、有権者となってからは他政党への批判票として共産党に投票することが多かったのだけどね。

最近共産党について「共産党ともあろうものが…」と批判する声をよく聞く。そのたびに、この党は過大評価されているのだなと思う。権力者の横暴に抗議する人々に対して学級委員よろしく「そんな言い方は良くないと思いまーす」と揚げ足を取り人々の怒りを買うのがかつての共産党のイメージだったように思う。だてに民青が民コロなんていう蔑称で呼ばれてはいないのだ。そんな共産党の昔のイメージが最近だんだん復活してきているようだが、まあ、そういう政党だと割り切った上であくまで他の政党への批判票として一票を投じるのはありなのではないかと思う。

ラーメンは私も好きな食べ物だが、あくまでも大衆食だったはずなのにごちゃごちゃ蘊蓄をたれたり「正しいラーメンの食べ方とは云々…」みたいなことを言い出す奴が出てきて、いつしかラーメン屋も能書きを貼り付けまくったりこだわりの材料だとか言って値段を上げたりし始めて困ったものだ。このように、庶民大衆のものだったはずが蘊蓄野郎のせいで大衆性を失う現象を「ラーメン化」と勝手に呼んでいる。「寿司化」「蕎麦化」でも別に良いが。

スポーツやショーの世界でも、例えばプロレスなんかはラーメン化しているジャンルの典型に見える。あれは台本通りにやっているんでしょ?と言うと怒り狂って反論してくるプロレスマニアはけっこう昔からいる。「確かにプロレスは純粋なスポーツではない。しかしショーでもない。あれは男同士の肉体と魂のぶつかり合いを肌で感じるものなのだ!」などとわけのわからないことを言ったりする。要は台本通りなんじゃねーかと思うが、そう気軽に言うと恐ろしいことになる。全くラーメン化したジャンルというのは始末に負えない。

まあ、いちプロレスマニアが文句を言ってるだけなら別に良いが、プロレス団体が自分で言い始めたら駄目だよな。しかも弱腰で知られる野党の女性議員にだけケチをつけるんだからダサさ爆発さくらやだよな。

筋トレをしながら『どうする家康』を見ていたが、家康は平和主義者で豊臣は好戦的という線で話を作っているので、方広寺鐘銘事件も徳川方の言いがかりではなく豊臣方が戦を起こすための挑発だったように描かれていた。むっ無理があるわあ〜。これではあまりにも豊臣秀頼が浮かばれんわ。バランスを取る意味でも、次の戦国大河では家康を超極悪人に描いてやってほしいものだ。

ときに、今の上皇が天皇を退位することになって次の元号の発表を控えていた頃、当時権勢を誇っていた安倍晋三が新元号に安倍の「安」の文字をねじ込むのではないかと噂になっていた。そこで私も予想を立てたのだが、今の元号が「平和に成る」というものだから、次の元号は「戦争をする」というものになるのではないかな?クソ右翼のネオコン政権が決めるわけだから…。というわけで、方広寺鐘銘事件にちなんで「安康」になると予想した。実際には「令和」だったので全然当たらなかったのだが。まあ、当時はそういう空気感があったわけだよね。

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