ちょっと前にnitterを使って今も旧Twitterを覗いていると書いたが、そのnitterが使えなくなって、無理に使おうとするとセキュリティ上の問題が生じかねないのだそうだ。
https://gigazine.net/news/20240216-x-twitter-ban-nitter/
一応yahooリアルタイム検索などの手段もあるものの、これでいよいよ本格的に旧Twitterとおさらばすることになりそうだ。とは言え、言わば新Twitterみたいなblueskyが丁度できたタイミングでもあるし、blueskyのほうに旧Twitterにいた人々が結構移ってきているようなので、旧Twitterが見られなくなってもあまり不便に感じることはないのではないかと個人的には思っている。
詩というものは難しい。谷川俊太郎や山之口獏ら有名詩人みたいな味のある詩を作ろうと言葉をひねってみても、出来上がってみるとなんかポエムポエムしていると言うか、小泉進次郎あたりが遠い目をしながら朗読するとよく似合いそうな代物が出来てしまう。ポエムという言葉をネガティヴな意味で使うな!と詩人が怒っているのをよく見かける。気持ちはわかるのだが、素人が現代詩を作るとどうしても小っ恥ずかしい、いい歳晒して乙女チックなモノローグみたいな代物が出来上がってしまうのは事実だ。今回、私も詩を披露したが、ちゃんと小泉進次郎が朗読しても似合わないものになっているかどうか。自分でも自信がない。明日になってから読み返したら猛烈に恥ずかしくなるかもしれない。怖いなー。
ブラタモリが3月いっぱいで終わって、後番組は新プロジェクトXになるんだってさ。最悪。ほんまにもう受信料払うのやめたろか。まあ、光る君へが面白いのに免じてブツクサ文句言いながら払うけどさ。大体、受信料が高すぎるんだよ。世の中生活が苦しい人が多くなってるんだから、経済状況社会状況に応じて受信料も変わってしかるべきなのではないか。ぶっちゃけ、月500円でいいよ。それなら金額に不満を言う向きもちょっとは減るんじゃないの。それじゃとてもやっていけないって?甘ったれんな!民放はもっとカツカツの予算でやっとるわ。政府御用の偏向報道ばっかり垂れ流しやがってよう、クソムカつく!…すいません、ちょっと酔っ払ってます。
田舎のスーパーやコンビニにも普段は売っていない珍しいチョコレートが並ぶ季節になったが、季節行事のなかでもハロウィンとクリスマスとバレンタインデーは毛嫌いする人が多い。どれも西洋由来の行事だからというのもあるだろうし、いわゆる非モテの陰キャ(どちらも好きな言葉ではないので使いたくないのだが)のコンプレックスをくすぐる行事だからと言うのもあるだろう。そんな理由で毛嫌いすることこそ下らないことだと思うが、バレンタインデーについては女性の同僚に義理チョコを配ることを強要する悪習のせいで嫌がられるようになったという事情もある。自分へプレゼントすることを強要するようなことは確かに良くない。あくまでこの日は自分へのご褒美として、ちょっと上等のチョコレートを自分にあげる日と読み替えればいいのではないかなと個人的に思う。
ときに、南アフリカがイスラエルの戦争犯罪を提訴した件で、西欧諸国の中では唯一ベルギーだけが南アフリカに同調していたようだ。ベルギーもアフリカのコンゴあたりでは散々悪事を働いた歴史があるのだが、この件に関しては偉いと思う。ここは一丁、上等のベルギーチョコレートでも買って私も賛意を示そうかな。売ってたらだけど。
先日、酔った勢いで今話題のblueskyのアカウントを作ってしまった。そんなにいくつもSNSのアカウントを作ってどうすんのと自分でも思うが…。とまれ、立ち上げの頃のthreadsは知らない誰かの投稿を延々と見せられるクソ仕様だった(その後改善したようだが)ので手が出なくなってしまったし人も定着しなかったみたいだが、blueskyはそういうことはなく、よく言われているように昔のTwitterみたいだ。blueskyも誰でもアカウントを作れるようになって治安が悪くなったと言うが、旧Twitter(X)みたいに運営がレイシストや陰謀論者にフレンドリーではないだけマシだろう。旧Twitterみたいな腐りきったSNSがネット論壇の主流であり続けるのは耐え難いものがあるので、早くblueskyが取って代わってほしいものだと思う。もっとも、そうなったところで私のメインのSNSはfedibirdで変わらないだろうけどね。
threadsのアカウントを作ってはみたもののもう長いこと放置状態で、たまに「おすすめスレッド」とか言ってピロリンピロリンと通知が来るのがウザいからもう消しちゃおうかと思っていたが、もうすぐfediverseと繋がるそうだからやはり消さずにしばらく置いておこうかな。threadsがfediverseと繋がったらどうなるだろうか。まず大手メディアの公式アカウントをmastodonのアカウントから見たりフォローしたりできるようになるな。threadsにアカウントを作っている著名人なんかもフォローできるようになる。情報収集手段としてのmastodonの使い勝手が格段に良くなりそうだ。反面、ある程度決まった人にしか見られていない安心感があって思ったことをなんでも投稿できる感じだったものが、より広く見られるようになって、内容次第ではちょっと投稿するのがためらわれるようになるかもしれない。クソリプも付きやすくなるのかな。SNSの世界は変わらないものだとつい思ってしまうが、実際には段々と変わっていくものなのだな。まあ、実際にはthreadsと繋がっても大して変わらないかもしれないが。
QT: https://mastodon-japan.net/@honjp/111894827935813569 [参照]
プロ野球のキャンプが始まって1週間ほどたったが、他球団に怪我人がちらほら出始める中、阪神は大きな怪我人もなく至って順調なようだ。今年の阪神は新戦力はドラフトで指名した選手以外には現ドラで取った漆原とケラーの代わりの新外国人ゲラくらいで、ドラ1の下村は2軍でスロー調整中ということもあって話題が少ない…と思いきや、野口・前川・井上の若手外野手アピール合戦や評論家の評価が高すぎてビビる左腕の門別など非常に面白いキャンプになっているようだ。レギュラー陣も順調なようだし、去年良くなかった青柳や湯浅も今年はやってくれそうだ。例年のことながら今の時期は希望いっぱい夢いっぱいで楽しい。これから開幕が近づくにつれてだんだん現実が見えてくるのだけどね。ともあれ、去年日本一になったので今年は個人的にちょっと燃え尽きて、去年までほど熱く応援する気にならないのではないかと思っていたが、やはりキャンプが始まると阪神のことが気になって何をするにも手につかなくなるね。困ったものだ。
https://www.asahi.com/articles/ASS256J78S25UCVL05K.html
今の日本を駄目にしている主犯はマスコミとりわけテレビだと私は思っている。政府自民党がどれだけ腐敗し悪政を行なってもダンマリを決め込む、あるいはおずおずと批判らしきものをした後で「でも野党もだらしない」とのフレーズで締め、どこがどうだらしないのかは具体的に言わない。どうしても与党批判をしなくては収まりがつかない時は、維新などの“ゆ党”を代わりに持ち上げる。そんな鉤括弧付きの「報道」で溢れかえっていたら、そりゃ世論もおかしくなるというものだろう。だからこの記事にあるような動きには基本的に賛成なのだが、ただこれをやってるリベラル派文化人も党派性にまみれた人達には違いないからね。それこそ『ワイマール憲法の教訓』を製作して政府から圧力を受け左遷されたテレ朝プロデューサー氏が監督した党派的愚作映画『ハマのドン』を彼らがこぞって絶賛していたことを考えると…。立憲や共産に不都合なニュースが出たら逆に彼らが圧力をかける側に回らないかという懸念は残る。デマや差別や人権侵害でない限り、報道に口出しは行わないのが鉄則だ。彼らが本当にそれを我慢できるのであれば支持したい所だけどね。
昨日は大きい選挙が複数箇所であったようだが、「京都でも前橋でも他の所でも、半数以上は選挙に行っていない事を絶望すべきだ」とか言っているインテリを見かけた。世の中にはインテリの言うことを素直によく聞く従順な庶民がたくさんいるようで、言われたとおりに日本人の民度の低さに絶望して、もう何をやっても無駄だとあきらめて選挙に行かなくなる人が沢山いたからこそのこの低投票率なのだろう。個人的には「絶望しろ」とは何たる言い草かと思う。インテリに言われなくても政治に絶望したくなる状況は庶民にも十分に感じられるのであって、京都市長選でインテリ連中の多くが支持しているであろう立憲民主党が与野党相乗りを決めた結果、市民派の候補が僅差で落ちるという結果こそが絶望したくなる典型的ケースだろう。偉そうに大衆に啓蒙したいと思っているインテリこそ、絶望ではなく希望を語ってみせろ。change! yes we can!とオバマみたいに言ってみろよ。日本はもう駄目だ、ああーっ駄目だ駄目だ駄目だァーッ!とか言っているインテリは、こいつらが軽蔑してやまない棄権する庶民と大して変わらんぜ。バーカ!と、酔った勢いで言ってしまう。
残り酒スカパータダの日春キャンプ
#俳句
大前提として、『セクシー田中さん』という漫画原作ドラマの件は日テレ(と、たぶん小学館も)の対応が酷いと思うし、亡くなられた原作者が気の毒だなとも思う。
ときに、原作とかけ離れた内容に映像化されて原作者がブチ切れた案件というと真っ先に思い出すのがキューブリック監督の『シャイニング』だ。公開当時、この映画はラジー賞にノミネートされていたのだそうで、原作者のみならず世間一般の評判もかんばしくなかったのだろうが、今では名作と評されているし私も好きな映画だ。もっとも、あの映画で印象深いシェリー・デュバルの鬼気迫る表情は監督がパワハラしまくってストレスを溜めまくらせたことで得られた表情なのだそうだ。そういう演出手法の点でも、単純に面白がって見て良いのか悩ましい映画ではあるのだが…。
まあとにかく、個人的には原作とかけ離れた内容に映像化する事を完全否定する気にはなれないのが正直なところだ。『セクシー田中さん』には当てはまらない話であると念を押した上で言うと、愚作駄作の小説等がベストセラーになることは珍しくないし、ベストセラーになれば当然のごとく映像化の話が出る。そこで、監督や脚本家が原作への批評的な意図を込めて映像化することが全否定されて良いものなのかと、あえて世間の風潮に逆らって言ってみたい。
風寒し便りひとひら足元に
#俳句
まだまだ寒いが、寒さに似合わぬ春めいた白い花びらを足元に見つけて、もう梅の季節か…と感慨深さのあまり一句ひねった。
俳句を作る時は二重季語にならないようにとか春の季語と冬の季語が入り混じらないようにとか一応考えて作るので、「梅」とか「春」といった単語は使わなかった。おかげでわかりにくい句になってしまったし、そんなルールは馬鹿馬鹿しいとも思うが、やはり素人俳句なりにルールはわかっているぞとアピールしてちょっと見栄を張りたくなるんだな。
「バイバイTwitter、もう二度と会うことはないだろうよ!」そう格好よく啖呵を切ってTwitter(現X)に訣別宣言をしたのは去年の7月か8月のことだったか。恥を忍んで白状すると、Twitterのアカウントは消したままで新しく作り直すことはしていないが、nitterなどの検索エンジンを使えば特定アカウントのタイムラインをログインせずに見ることができるので、それを使って今もたまにTwitterを覗いている。私が覗くアカウントはごく穏当な政治アカウントとか選手の誹謗中傷は決してしない良心的阪神ファンとかなので、投稿を見ている限りでは至って平和そのものなのだが、この投稿やけにリプライがいっぱいついてるなと思ってうっかりリプ欄をタップしてしまったが最後、差別的クソリプまみれの地獄絵図を見る羽目になる。正直私がやっていた時よりさらに酷くなっているような気がするし、こんなSNSやめてよかったとしみじみ思う。最近では若い連中はTwitterよりInstagramをやっている人の方が多いそうだし、2ch(現5ch)もとっくに影響力を失くしている。ネット世論は酷いのがデフォルトだしこれが日本の民度だとよく言われるが、水は低きに流れるとは限らないよね。ネットの悪場所のクソみたいな意見を天の声扱いするマスコミが悪いと思う。
最近、夕方に大相撲中継を見ることが多いのだが、名物解説者だった北の富士がさすがに高齢で体調もかんばしくないせいか出てこなくなって、おかげで舞の海の小賢しい解説に釘を刺す役回りの人がいなくなってしまった。ペラペラと饒舌な割に中身がまるでなくてイラつくんだよな、舞の海の解説。「日本人横綱が出てないのは日本国憲法のせいだ」などとほざくクソ右翼なせいもあってか舞の海は外国人力士に妙に辛辣で、ことに現役時代の白鵬にはやたら厳しかったが、一度白鵬(現・宮城野親方)と共演させてみたら面白いのではないか。白鵬の解説を聞いていると、なぜ彼があれほどの大横綱になったのかわかる気がする。とにかく取り組みをよく見ていて、凡百の解説者では全く気付けない点を鋭く指摘するのでいつも感心させられるから。舞の海の解説とは対極だよね。現役時代いつもボロカスに言っていた舞の海との共演は不穏な感じで面白そうだけどな。
私が子供の頃から指名手配写真でおなじみの顔だった桐島聡という人の身柄が確保されたというニュースが夕方ごろあった。その第一報を聞いて思ったのは、例えば中核派とかだったら今でも厳然として存在する組織なわけだからかくまってくれる人もいるだろうが、東アジア反日武装戦線なんかもうとっくの昔に雲散霧消している組織だろうから、絶対もう死んでるか外国に逃げているかのどっちかだろうと思っていた。意外とそんな一時代前の極左組織のメンバーでもかくまってくれる連中がいるのかなあ…と思ったのだが、色々報道されている話を聞く限りでは、あの有名な指名手配写真とは似ても似つかぬ風貌だったから今まで誰にも気づかれずに日常生活を送っていたということなのかな。死期を悟った本人が自ら名乗ったということらしいから、別に公安警察の執念の捜査の成果というわけではないと思う。
相模原のやまゆり園の事件の時も思ったことだが、「人間には生きるべき人間と死んだ方が良い人間の2種類があり、後者については積極的に殺すべきだ」という考え方は植松聖や青葉真司のような殺人者と死刑存置派が共有している考え方だ。何か大きな事件が起こると「こんな奴は殺せ!一日も早く吊るせ!」との大合唱が起こる状況は異様だと思うが、その異様さをうまく言葉に言い表せない。おずおずと口ごもりながら「それでも私は死刑制度に反対だ」と言った途端に白ーい視線が四方八方から飛んできて、被害者遺族の気持ちを踏みにじる人非人だと罵られる。そういう人命軽視の空気こそがやまゆり園事件や京アニ事件のような悲劇を引き起こすのではないか。どんなに白い眼で見られようとあくまで死刑には反対だと言い続けたい。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202401250000648.html
人命軽視の立場からものを言っている限り、この冷笑野郎の下衆そのものの主張を完全否定することもできないのではないかと思う。
愛と正義を信じるおじさんです。 酒好き。阪神タイガースファン。 差別主義者と冷笑主義者が大嫌い。