「悪役令息もの」もの、地味に増えてきてるのがわかった。書き手は女性多めだな。男性は所詮このミーム運用がまだまだか。
なんとなく読んだこれが悪役令息ものだった。https://www.mangabox.me/reader/127460/episodes/
ベジータのように口が悪く、気遣いしたことを言おうとしても自動で悪態になる変化球ツンデレ男主人公。
パーフェクトデイズへの怒り反応も、「うさんくさいからヤダ」が多数なわけで、真正性の希求に基づくように思われる。もっとホンモノを!と叫ぶその希求の方がやべーよというオチがある。むしろ逆に、道化とか偽物の主題をアグレッシブに追求すべきでは?という考えに至った。
『瞳をとじて』見てからあれこれ省察したが、このところ関心事を「聖性」というワードでまとめていたことを反省した。というのは、聖性とか精霊、亡霊という言葉はあまりに真正性の気配が濃く、見せ物やインチキの要素が極力消されてしまうからだ。映画においては聖性はそくざに「胡散臭いアンリアルな現れ」と不可分であると強調するべきなのだろう。
エリセの今作も例外ではなく、「上海の娘」要素には、90年代から立ち消えになってた上海スパイ活劇企画の残骸、しかも実際にフィルム残骸を再利用していそうだが、それだけではなくこのモチーフはエキゾチズムすれすれだ(ちょうど「アナ、三分」2012 で北斎や古楽が出てくるのと同じ程度だろう https://vimeo.com/102522136 )。
『ミツバチのささやき』ではフランケンシュタインとして現れた、胡散臭いアンリアル存在の系譜を焦点にして読解すると、記憶喪失の俳優も胡散臭さに飲み込まれた者として再発見できるように思う。
先日のimdkmトークをアーカイブ購入して聞いてるけど、真ん中ぐらいから話が一気に別の局面に展開して面白かった。
覇権テクノロジーの転用・誤用だけではテクノロジーの覇権構造を変えることはできない以上、テクノロジーの植民地主義的支配に対して生産過程を含む別の対抗措置も必要になり、楽器とツールの脱植民の問いが打ち出される。
ローランドやYAMAHAすごいみたいな、日本の楽器スゴイ論はどうなのか的なことを言ってるのだが、発言では言及されていなかったが、ゲームと楽器がかつての日本の覇権という意味で並行的な関係がありそう。ローランドの808が大友克洋や鳥山明に対応するか?などなどと連想した。
ちょうど、鳥山明訃報はいいとしても、そこから日本スゴイに転じるナショナリズムめいた言説が高まってることを危惧する投稿をいくつか見たのだが、まさに楽器やツールでも起きる議論なんだなと。
雄弁術と修辞学の時代に、それらを否定するような流れで『告白』やりだしたのがアウグスティヌスな、という概説を読んでる。
鳥山明を追悼する報道がたくさん出ているけど、日本の大手メディアではまず伝えられないだろう文脈。
記憶にない故郷を持つ悟空の物語は、外国ルーツを持つ子どもたちやアフリカ系アメリカ人から「自分達の物語」として受け入れられてきた側面がある。
なぜ黒人男性はドラゴンボールが好きなのか?
https://gigazine.net/news/20171118-love-dragon-ball-z/
映画『モータルコンバット(2021)』の主人公に文句言うヤツをドラゴンボールZしか400年間観られない地獄に堕としたい。
https://butaco3.hatenablog.com/entry/2021/08/21/190111
あまり書き物ができてない。