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ミシェル・カロンって人いるんだね。ラトゥールの友達か? ANTの形成者の一人っぽい。

core.ac.uk/download/pdf/229140

この目でみると、「なるほど、かつての浅田にとってのプレ柄谷が糸井なんですね!」的操作が、浅田読者も浅田当人も嫌がりそうで、でもキレのいい指摘に映る。

「ニューアカ時代より他者モードの方がすごい」の評価が90年代に支配的だったが、西村は初期の方が良くね?と思ってる気配があるし、他者・外部言説にあんまり乗る気がなさそう。

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そういえば西村論考で思い出したけど、センスエリートによるドメスティック腐しのコードでいうと、吉本隆明と吉本興業を「ドメスティックで同じ」と括るのが浅田のやり口だったが、この背景が丸ごと壊れたので、隆明と興業のそれぞれの再評価開始、という線もあるんだな。

考えてみれば、これを明示して着手してる人まだいないわ

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アオアシのストーリーが、やっぱり作者の「漫画が描けるようになっていく楽しみ」の翻案なんだろうなーとわかるやつ。

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アオアシの作者。この人は遅咲きだから、習得への意識も自覚的なんだろう。冨樫とよしながから、絵やキャラではなくネームを学ぶというのが頭いい。

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漫画におけるネームと絵の工程で、こんな組み立て方があるのかーと驚いたのは、小林有吾の手法かな。

書き直しストレスを最小化するためとはいえ、ネームだけでリズムをコントロールする話でもあるので面白い。

togetter.com/li/1934043

清水多吉から話を始めたことでフランクフルト学派アジェンダから浅田を位置付けることに早々と成功していることと、リアルタイム反応を相対化しきれているなどの手腕が見どころ(つまり第1節)。

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になる一点は、清水多吉はなんで『第三文明』で書いてるんだ?の件かな。

柄谷も昔対談集を第三文明社(本体は創価学会)から出していた。ダイアローグシリーズ(全5巻・1987-98)と中上健次発言集成全5巻(1995)。ダイアローグシリーズの担当は山田賢治という編集者だが、この人の手腕が大きかったのかな。

70-80年代に総会屋雑誌が栄えたのと似たような感じなのか?

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西村、やはり才気あるなーという記事。

第1節が一番緊張感あった。
第2節で「関西と浅田彰&柄谷」のイシューに引っかかってそれに議論の方向性が規定されたとみる。関西と批評空間「他者・外部」主義、というイシューと今日的再解釈に関心がわき、調べてる途中でこれがアクチュアルだと考えついたんだろうが、うまくまとまらず、関西とお笑いと共同性という問いを組み立てきれなかったのだろう。

そこでまとめるために江藤で締めてくるので退屈なものになっている。共同体vs外部の図式に至る生成史はそう悪くないが、生成史の検討を活かして、別解をひねり出す模索をやったほうが面白くなるはず。
また江藤オチか、と失望はするが、その同類のなかでは面白い方。ナイーブ反応をめぐる記述は、センスジャッジはナイーブなものを叩く行動である一方で発話者のナイーブさの露呈になりがちということでもあるな

最底人→土人の解釈をしているが、これは末人の話でもあるので、明示的にニーチェなんだけど、西村は手に負えなくなるとみてカットしたか。

note.com/jimbunshoin/n/n2f17b6

お、期待。

川本徹『フロンティアをこえて ニュー・ウェスタン映画論』森話社

"かつて「アメリカ神話」を形づくってきた古典的な西部劇は、今日ではつくられることは少ない。
しかし現代では、SFやロード・ムーヴィー、アニメーション、ミステリ、さらにダイナソー・ウェスタン、国境をこえるウェスタンなど、テーマや領域、方法が拡大し、多様化している。
現代アメリカ文化の基層を照らし出す新たなウェスタン映画論。"

hanmoto.com/bd/isbn/9784864051

そうだな、と何か言おうと思ったが、別に口に出すほどのことでもないか、と思い直して、言うのをやめた。

かつての日本文芸批評は「小説みたいなものしか読めない層向けのアダプター書き手」が売れて、読者層はアダプター書き手だけを無限に読んであーだこーだ言う停滞が起きたのだが、いまはその書き手がグッと減った(千葉雅也がこの枠の現行覇者)。

今は小説愛好者向けの書き手としてエッセイ的な語り口やポピュラーフェミニズムが近い形で機能しているが、昔より政治性が強まっているし見かけ上は重なってないので、「要は日本のリテラシーでは小説の型ぐらいしかない」みたいな構造問題は不可視になっている。

いまだと、小説愛好者向けアダプター言説読む、の代わりに理論教科書読んで、理論言説読めない人がそこに無限に留まる図に入れ替わっていると思われる。

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昔は「小説みたいな語り方の本しか読めない(そこで、日本文芸批評です!)」ワールドがかなり強く、この層は批評理論忌避勢でもあったが、そこでもバルトとベンヤミンだけは別、という好まれ方をしてた。文人っぽいから読めるみたいな扱い。

ベンヤミンは短いのもあって読まれやすく、バルトやブランショからの断章スタイルこそが正義!みたいな美意識の人もいた。今はそういうのはわりと滅びた。

この混沌に比べれば、ドゥルーズが読んだはずの「複製技術時代の芸術作品」仏訳は、クロソウスキーがまあフランクフルト学派の出してたジャーナルからの訳だろうし、経路は普通(普通とは)

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安倍晋三死んだから「大国の裏でうまいことやる無双」が一気に冷え込んだんだろ説を指摘されたが、その線めっちゃありそう。

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そういや誰もまとめてないけど、ロシアウクライナ戦争以後、なろう作品で「帝国主義大国から強襲されて抵抗する」展開がわりと増えている。『転生したら剣でした』がわりと露骨にそうだと思っていたが、他にもありそう。

英米圏におけるスタンダードなベンヤミン概説著者として知られるバック=モースの「美学と非美学:ヴァルター・ベンヤミン「芸術作品」論再考」には邦訳がある(原著はOctober, 62号掲載)。

マーティン・ジェイ編『アメリカ批判理論の現在:ベンヤミン、アドルノ、フロムを超えて』(永井務監訳・吉田正岳訳、こうち書房、2000)所収

歴史哲学テーゼは、ウイルスめいた散布状態になってて笑うよなー。かなりカオス。アーレントが本人からもらってた経路とか、バタイユがもらって妻経由でアガンベンが受け取った経路とか、6種類ぐらいある(鹿島の本で整理されてる)。

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