『天国大魔境』パラパラ読んでるけど、顔でカリカチュアするの多いね。こんな作品がアキラオマージュみたいになってるの悲惨すぎるな。
デモしてる連中の扱いがシンゴジラ以下。
まあ、石黒は『木曜日のフルット』でスルメロック化してるから、こんなものか。
この探索を生かしてもっと展開できるのでは…?とも思ったが、作品記述で議論できないうえに総体把握が困難なウェブ小説趨勢を、なんとか苦心して概説しているため、読みごたえがある。
古土「Web二次創作小説史1995-2008 転生オリ主とトリップ夢主」
私の住所には番地の前に〜丁目とかではなく「ヨ」が入るので、人から物を送ってもらうたびに話題になる。
「ヨって何?」
「ヤユヨだよ。石川県はイロハが振られる」
「レアすぎる。甲乙丙丁とか子丑寅もあるの?」
「あるよ」
「あるのかよ!」
別の断面から切り取ったらこういう視点も可能かー、とも思った。
https://twitter.com/kohkiwatabe/status/1316053562653204480?s=20
引用元ツイを含むツリー
この記事を再読したが、問題点は、小田原が、国家と和人の「反省する主体」のパターナリズムに魅せられている点かな。
そのため、政府と和人への同一化が議論の前提になっているし、施設も和人向けに反省を迫るべき、という論調で進む。
単純に議題決定権や施設設置決定過程にアイヌをもっと入れて、和人の・和人による・和人のための施設作りという方針以外の選択肢を増やす方がいいと思った。
文調がうねうねしているから真摯と思われがち。
なんか老年の野坂昭如っぽい風貌になってきてるな。 https://youtu.be/ZGPCzYZt2vQ
いま見るとわかるが、町田は口語性のレパートリーの充実がすごいんだろう。その引き出しを使って対象を異言語みたいにしてしまう。
『口訳 古事記』のミッションは古事記のクィア化のあたりかなと。
お。
"6月の新刊:《批評の小径》ジャック・ランシエール『文学の政治』(森本淳生訳)。エクリチュールの民主主義が成立する近代以降、《文学》によってラディカルな次元で可能となる既存の「分割=分配( パルタージュ)」への異議申し立てを提示する、メタ・ポリティークの詩学。
suiseisha.net/blog/?p=18099 "
https://twitter.com/suisei_sha/status/1661674249743126528?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
あまり書き物ができてない。