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渋谷TSUTAYA終了のお知らせ以来、関係各所に激震が走っているのだが、こういう人があちこちにいるんだろうなあ。再販しなさそうなものを狙い撃ちにしてそう。プレミアム化が確実なものもゴロゴロあるだろうし。

"渋谷TSUTAYAレンタル終了日まで毎週40枚7,200円レンタルチャレンジを始めていきます。手始めにクラブミュージック あ行で40枚。来週は か行で40枚予定。"

x.com/wQQ_v_QQw/status/1692407

揶揄と藁人形論法にエナジーの大半を捧げる、権威主義的なセクト尖兵みたいな人は今ではたくさんいる。院生や研究者含む。

日本文学だと、司修か。古井とか大江の表紙。

そして、この枠のポップ化とエンタメ小説への採用として天野喜孝がある。

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76年のTEL叢書から出たサルトル『存在と無』も、オプアートもどきなので、こういうビジュアルを出して純文学とする潮流があったんだよね。
フーコー言葉と物の加納光於の装画起用もその末裔。

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この手のデカルコマニーはエルンストからの派生なんだけど、とにかく和製系譜があった。なにせ、昔出たつげ義春の小学館文庫表紙すらこの手の絵なのだ

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瀧口はそもそも、「友達に発注してたから、友達がAI」みたいなものだとも言える。AI画像生成って、パトロンと絵師の構図がコンパクトに再演されてるんだろうな。

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みんな懐かしの瀧口修造デカルコマニーですよー、とか言いながら手元にある図録の写真を撮って見せ合ってた。

ふた昔、いやさらに前くらいだと、小説の表紙装画なんかでこの手のデカルコマニーよくあった。

よく考えたらこれって絵を学んでなくても描けるから瀧口修造もやってみた!なのでいまのAIで二次元絵を作ってる人とわりと似たようなものなのでは…。

なるほどなー。木庭はなんとなく敬遠してたが、読んでみるかな、と。

白江幸司 さんがブースト

木庭顕「残骸の諸位相」『世界』2023年10月号(no.974)p.207-220.
id.ndl.go.jp/bib/033034922

文章としては長くはないけれど、重量級の一撃。
タイトルからは分かりにくいが、日本の現代政治史を、戦後初期の政治システム確立の試みが、不完全かつ不十分であったものの一定程度の成功をおさめた後、その後はただ破壊され続け、残骸だけが残された絶望的な状況にある、という見取り図を概略として示したもの。

『世界』は電子版はないので、リンク先は、国立国会図書館の雑誌記事索引。書店にもまだあるかも。

木庭顕氏独自の文体は(比較的)抑えられているし、独自の用語法については解説もなされているので、まだ読みやすい方だとは思うけれど、可能なら、

木庭顕『誰のために法は生まれた』朝日出版社, 2018.
asahipress.com/bookdetail_norm

蟻川恒正・木庭顕・樋口陽一 編著『憲法の土壌を培養する』日本評論社,2022.
nippyo.co.jp/shop/book/8811.ht
(特に冒頭収録の鼎談)

を読んでおくとより分かりやすいかも。

こういうのずっとあるんだろうな。

"「ワシも後から必ず行く!靖国で会おう!」と言って特攻隊(ほとんど子供)を送り出した上官サムライ日本男子のその後⤵️"

x.com/jCjmmlgiyjxYQ1C/status/1

心濁るのわかるー。私は、あいつらほんとカスだなーと昨日ぼやいてた。
「悪態をつけばアイデンティティ承認されるサーキットの中で生きているのが滑稽」とまとめて終了。

白江幸司 さんがブースト

ミルプラのミメーシス論、ミメーシスではなく生成変化の方を押し出す議論を読んでいるが、ここを強調すると、DGがデリダ派ロジックからさらにどうズレているかを整理しなくてはいけなくなるな…。

ほほう

"『世界』10月号のブラック・ミュージック連載で大きく依拠しているのは、シドニー・ミンツのこの本です。出たばかりのころはいまひとつ扱い方がわかりませんでしたが、日本語の本ではもっとも素晴らしい本のひとつだといまでは自信をもって言えます。品切れですが、なんらかのかたちで復刊を希望。"

x.com/n_a_k_a_m_u_u/status/170

冷戦期日本社会の言説秩序のなかでは、この手の保守言説の語彙(マスメディア批判や大衆社会批判、愚民論なども隣接していた)は、階級意識と分離した、バーチャルなマウント言説だった面があって、少なくとも現在よりそうだった。
だが、江藤淳は実際に富裕層エスタブだし、階級背景とそのファミリービジネスはいまや可視化されてるし、平民が「俺も愚民論好きです〜」と言う場合の醜悪さや捩れが、もう誤魔化せなくなってるのが現在だと思っている。

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「民度」は植民地主義語彙だろという指摘だが、これって90年代だと宮台が流行らせた単語だから、80-90年代においては論壇語彙が実際の階級や統治といった背景抜きでバーチャルな文化所属感の範囲で作用していた、しかし00年代以後はそのふんわりした使用法がグロテスクに見える段階に入り、統治層が元の意味で使い始める時代に入った、という説明で回収できる面もあるな。

90年代に使われるときには、麻生が言うようなニュアンスは希薄に響いた、ってのがある

yukito-ashibe.hatenablog.com/e

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