みんな懐かしの瀧口修造デカルコマニーですよー、とか言いながら手元にある図録の写真を撮って見せ合ってた。

ふた昔、いやさらに前くらいだと、小説の表紙装画なんかでこの手のデカルコマニーよくあった。

よく考えたらこれって絵を学んでなくても描けるから瀧口修造もやってみた!なのでいまのAIで二次元絵を作ってる人とわりと似たようなものなのでは…。

瀧口はそもそも、「友達に発注してたから、友達がAI」みたいなものだとも言える。AI画像生成って、パトロンと絵師の構図がコンパクトに再演されてるんだろうな。

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この手のデカルコマニーはエルンストからの派生なんだけど、とにかく和製系譜があった。なにせ、昔出たつげ義春の小学館文庫表紙すらこの手の絵なのだ

同時期の現代詩手帖の表紙がこんなの。70年代。

76年のTEL叢書から出たサルトル『存在と無』も、オプアートもどきなので、こういうビジュアルを出して純文学とする潮流があったんだよね。
フーコー言葉と物の加納光於の装画起用もその末裔。

日本文学だと、司修か。古井とか大江の表紙。

そして、この枠のポップ化とエンタメ小説への採用として天野喜孝がある。

レコードジャケットにも(デザイン:司修/1978年)。

かつてかっこいいものだったんだろうなあ…。

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