これを聴いてる。
鮎川ぱてさんゲスト出演! 登壇者=江永泉 司会=米原将磨 音楽批評って難しくない?2 ── ボーカロイド音楽論とセクシュアリティめぐって
@MakoSaiki ハクビシン棲みつくのあるある、私が経験したのでは、勤務先の屋根裏に棲みつかれた(白目)
アドルノが戦後ドイツでラジオ番組して現代音楽を含む美学講義をしていた、といった啓蒙をテレビやラジオが担う枠の終焉とみるべきなのかも。
日本であっても纏足みたいなものは生まれそうだなと思った。
https://x.com/kemonomon/status/1803117955263398386?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
纏足って、いかにも中国的な歪さだとされがちだが、ほんとにそうか?となる。宦官とか中国の処刑方法とかをおどろおどろしく語るものって昔日本によくあったんだけど、なんかすべては近隣諸国間の他者化バイアスなのかもしれない。
KADOKAWAがジェンダー認識をかたくなに無視する理由これだなー。中高生オナニーツールとして食ってる以上、無視するのは栄光の秘訣ってことになってそう。
https://x.com/michsuzu/status/1802888739833942474?s=46&t=X2RUQ4Qbb8-DRqOgpyhdjg
こういうプロジェクトあるんだな(今日放送のクローズアップ現代で取り上げられてて知った)。
"こんにちは!「地方女子プロジェクト」です。
私たちが皆さんの声を集めます👂
日本では約8割の地域から若年女性が首都圏に流出し、人口減少・地方衰退の一因であると言われています。
でも、それって私たちが問題なんだっけ?
地方出身/在住のあなたの声を聞かせてください📢"
https://x.com/chihoujoshi/status/1747898774679392380?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
@mumumu4yyk わんわん
にゃーん
仏語で論文書きまくりの人か。
https://researchmap.jp/read0170684
"何という面白さ。まだ最初の2章を読んだだけだけど、バルザックの表現の由来が見事に追跡されている。高度に発達した文献学は極上の探偵小説と区別がつかないのか…。 Takeshi Matsumura, Le sentiment va vite en voiture: Recueil de nunu balzaciens (2022)."
https://x.com/kunisakamoto/status/1802339417513947537?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
最近は、黒沢清もそうだけど、脚本をあまり詰めない力について考えていた。
蓮實が73年の世代と呼んだ作家群(ジャームッシュ、ヴェンダース、エリセ、ベルトルッチ、アンゲロプロスなど)は、脚本に余白を作ることでインプロヴィゼーションの余地を作るタイプの作家だったなと。
これは現在の評価基準からは「脚本軽視を招いた。脚本を作り込むことも整備しないと」という反省を生む。
だが、実際には、余白を作ることで作品を動かすスキルを持つ作家には、重要な手際でもある(マンガで言うと、役割の最終的な帰結を未決定にすることで連載途中でダイナミックな変容を遂げる作品が近い)。この「変動を考慮した結果、隙にも見える」側面はきちんと言葉にされてないように思う。
あまり書き物ができてない。