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KAWASE Takaya さんがブースト

岸田、自民党、「支持率下がろうが知ったこっちゃない」って感じがめっちゃ怖いな……国会も無視やし、何でも好きにできるという自信が揺らがない様子が怖い

「同性愛嫌悪」が官邸にはびこっていることが暴露された昨今だが、やはり憲法24条に関しては、ほんの一文字、変更するという改憲になら賛成だな。すなわち

第二十四条
1 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

の「両性」を「両者」にする、というもの。これは今までも多くの人が言っている案だが、改憲をしたい人って、こういうところは絶対いじろうとしない傾向があるからなあ。「解釈改憲」がどんな条文にも横行するのは望ましくないという立場からの「部分改憲」論者なんだけど、果たしていつになるやら。配偶者控除、病院でも付き添い、保険の受取人などの財産的権利を認めていくという方向しかないか・・・。
どっちにせよ、当然あんな首相や取り巻きは絶対許せませんが。

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「結婚していること」「女性であること」「日本人であること」等、個人のアイデンティティに深く関わる事柄について、すでにそれを享受している(もしくは潜在的に享受できる)立場から、「それをわざわざ目指す必要はない」といった類の主張をするのはめちゃくちゃ無神経もしくは傲慢な物言いになる可能性が高い。重要なのは、この手の主張は必ずしも保守的な側から出てくるとは限らないということ。婚姻やジェンダー、ナショナリティなどの保守性を批判する立場が転じて「わざわざそんな窮屈なものを目指さなくても」みたいな物言いにつながってしまう。

許されねえよ。辞めろや。こんな無礼な人間には無礼な言葉でOK。
お前みたいなのがいるから、日本に絶望して海外に行く人が出るんだよ。あと、謝る相手が違うだろ。「首相に迷惑をかけた」じゃねえよ、カスが。元々の発言も、いつもの「誤解を招いた」という言い訳に対しても、怒りのせいで酔いも覚めた。
mainichi.jp/articles/20230204/

先程妻に「大阪では股引のことをパッチという」と教えて笑われたが、少しググってみると、以下のようなサイトが出て来た。え、関西弁の「パッチ」って、韓国語の「パジ 바지(ズボン)」からなの?驚いた。

gogen-yurai.jp/pach/

日本語で、韓国語由来だろうな、と思う他の言葉として、お腹が空いた時の「ペコペコ」というオノマトペ。韓国語で「腹減る」というのは「배 고프다(ぺ コプタ)」という。あとは「のっぽ」かな。韓国語で「背が高い」は「높다(ノプタ)」で、名詞形は「높이(ノッピ)」。
方言だが、カササギのことをたしか佐賀県で「カチガラス」というが、韓国語でカササギはそのまま「까치(カッチ)」。

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記憶を残して置きます。
ぼくの患者さんでニューギニア方面から復員された方がいました。当然、部隊の殆どの方が戦死、病死、餓死です。
その方が当時一番大切に携行されていたのがバケツです。三八式歩兵銃より、七五ミリ野砲より、戦友の脚をいれて持ち歩くためのバケツが大切だったそうです。バケツにある切り取られた戦友の脚は、国の家族に返すのではなく、ご自分が食べて飢えを満たすためです。武器弾薬より人肉を食べるためのバケツを後生大事に持ち歩いていた、これがニューギニア派遣軍の方から伺ったリアルです。

「同性婚を認めれば、社会が変わる」と首相は言ったらしいが、もう社会は変わっているし、変えるんだよ、国民の幸福に奉仕する国会議員のあたなたちが率先して、以外の言葉がないな。夫婦別姓と一緒。単なる選択の問題なのに、頑なに踏みつけた足をどけようとしないあなた方が変わるべきなのだ。
tokyo-np.co.jp/article/228736

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異次元の少子化と本気で言うのなら 

少子化の原因って挙げたらキリがないけど、重要なファクターかつ多くの人(特に政治家)が見て見ぬふりをしているのが、この国で子どもを産むのは女性にとってかなりのギャンブルで、ギャンブルに負けると実家が太くかつ関係が良好といったケースでもない限り、高確率で社会の下層(経済的かつ社会評価など総合的に凄まじく不利なので敢えてこういう言い方をします)に叩き落とされることですね。シングルマザーの貧困率を見てみなよと。

異次元の少子化対策と言うなら、せめて養育費を払わずに逃げたら勝ちというケースを撲滅するための罰則付きの法案でも作れば?と思います。現政権が大好きなマイナンバーでも活用して。他にもすべきことはたくさんあるけど。

今のような、子どもを産むと高確率で女性かキャリアを断絶せざるを得ない、あるいは子どもを連れて離婚をする場合の社会的&経済的ペナルティが大きすぎる糞ゲー仕様が見えたら子どもを作るどころか結婚すら躊躇するのも無理はないでしょう。独身のまま、あるいは子どもを持たない事実婚で仕事を続けた方が少なくとも生存も危ぶまれるレベルの不幸になるリスクは減らせる。

先程の投稿、少し訂正をして再投稿しました。「お気に入り」にしてくださった方、申し訳ありません。地名を間違えてしまったので・・・。

東急百貨店渋谷本店、閉館か。中にジュンク堂ができたのは僕が京都に移ってからだからほとんど利用したこともないが、やはり寂しいもの。受験の時、東大駒場の下見に行った帰り、渋谷を散歩して「WAVE」に立ち寄り、The Smithsのレコードなどを買って調子に乗っていたら道に迷いまくって(すり鉢状の街は迷いやすいですよね)、間違えて円山町のラブホ街に入って慌ててそこを抜けて、たどり着いたのがこの百貨店だったんだよな。この百貨店とのファーストコンタクトがこんなので済みません。
学生時代は、映画を見にしばしばBunkamuraには行ったな。フランス映画(もしくはヨーロッパの地と高尚な映画)が掛かることが多かった印象。ここの上演が終わったら、その後は下高井戸シネマでその映画を上映する事が多かった気がする(僕は当時明大前に下宿していたので、歩いてよく通った)。あと、zabadakのシアターコクーンのライブ(1991年)に行ったことも忘れがたい。Bunkamuraは4月までは営業するそうですが、青春の跡地がまた一つ消えた、という気はしますね。

宗教を主に扱う新聞『中外日報』に書いたコラムです。元首相の「国葬儀」に関する『有識者報告書』を読んでの感想です。よろしければご覧ください。
「「国葬儀」問題再考 業績後付け説明で混乱 」
chugainippoh.co.jp/article/ron

現在、「統一教会」関連の本をまとめて読んでいる最中だが、思い出したことを。
僕は1999年の一年間、韓国某所で日本語教師として赴任していたのだが、「日本語教師の集まり」なるものに顔を出したら、少なくとも4分の1,いや、3分の1くらいは統一教会とおぼしい皆さんだった(特徴ある指輪で「ああ」と判ってしまう)。向こうに合同結婚式で渡った場合、手に職と言えば、とにかく日本語教師が手っ取り早かったからだろう(それなりの高学歴者も多かったし)。でも彼らは韓国で家庭を営むことが主となって(要するに双六では「ほぼ上がり」の状態)、周りに布教したり、怪しげなものを売るノルマもなく、淡々と暮らしている人が多かった。でもこれは都市部の話で、田舎でぽつんと一人日本人女性がいたら、これはほぼ100%合同結婚式で嫁いできた人だった。あのとき、僕が何かできたわけではないが、やはり少し苦い思い出として彼らとの出会いは胸の奥で沈殿していた。
てなわけで、いま、戦後の日韓関係と統一教会に関する論文をこそこそ書いています。表に出たら、また宣伝いたします。

先程このやりとりが偶然目に入って来て(僕が北丸さんをフォローしているからですが。中田氏のことはとうにブロック済み)、嘆息して書き込んでしまった次第です。

twitter.com/quitamarco/status/

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篤実な研究者もいるとは承知しているが、Twitterで悪目立ちしているイスラーム研究者が多い(具体的には中田某、池内某、飯山某)っていうのは、(元々マイナーな)斯界の将来にとって、マイナスにならないかと心配するレベルになって来たな…。注意する義理もないから放置しているけど。
一度中田某氏とやりとりした時に「大学辞める度胸もなく、宗教学みたいなくだらない学問やりやがって(大意)」と返されて、対話する気をなくしたんだよね。でもあの人、元教え子の評判は良いんだよね。ネット人格との乖離がすごいらしいけど、そんなの知ったことじゃないしね。

アベノマスクって、安倍の政治手法を肯定するかしないかという「踏み絵」として機能していましたよね。後継者も同じ路線だし(岸田なんかはもっとひどいかも知れませんが)。

少し付け足しを。「アベノマスクはそんなに支持されていなかったのでは?実際につけた人も殆どいなかったし(大意)」という書き込みを見ました。確かに、「アベノマスクのおかげで、ため込まれていた不織布マスクが市場に出回るようになった」「アベノマスクの備蓄にも意味がある」みたいなアクロバティックな幇間芸は見られましたが、支持されていた、というのはちょっと微妙かも知れませんね。正確には「あんな愚策をしても、あの政権の支持を止めなかったものが多数いる」と言うべきでしょうか。

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大学院ゼミで、渡辺浩先生の『明治革命・性・文明』(東京大学出版会、2021)をじっくり通読した。渡辺先生の議論は大変面白く読めたのだが、一番印象に残った部分として、岩倉使節団の面々の「宗教観」の問題がある(第八章「「教」と陰謀―国体の一起源」)。簡単に言うと、欧米の視察で彼らは「文明国でこんなに宗教が重要視されているとは思わなかった。俺たちなんて、ろくな信心もなく、宗教なんて単なる支配の道具だと思っていたのに」という驚きを表明しているのだ。彼らはそのまま「人心収攬のための新宗教」たる「国家神道(国体論)」を構築していくわけだが、その末裔たる現在の日本も、基本的に宗教をある意味なめきっていて、「タダで選挙活動のボランティアしてくれるなら」などというようなことをするから、つけ込まれて、こういうていたらくになってしまったのだなあ、と得心した。やはり歴史は断絶していない。にしても、「親分」が殺されたって言うのに、本当に動きが鈍かったですよね、元首相の取り巻きの皆さん。他人事ながら「何やってんの」と思っていました。

あの時はまだ「もうすぐ事態は良くなる」と楽観的だったでしょうしね。無駄ではあったけど、直接的な害ではなかった(お金以外)とは言えるかもしれませんけど。

僕はしつこいので言い続けますが、「アベノマスク」って、一体何だったのか。
結論はもう出ていますが、効果もなく、金だけかかったアレ、後世で「疱瘡よけのお札に等しい」と言われることだろう。まさか「政治と宗教」のヨコシマな繋がりがこんな形でも現れるとは(笑)。一言で言えば、大規模なおまじない。でも、多くの国民が「痛いの痛いの飛んでいけ〜」みたいにその「おまじない」をある程度支持したんだよな。
ふと、ローテルムンド先生の『疱瘡神—:江戸時代の病いをめぐる民間信仰の研究』(岩波書店、1995年)を手に取った時、思い出したくもない天下の愚策を思い出したので、ここに書きつけます。

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この10年ほど色々見ていてよく分かったんだけど、リベラル系の識者もかなり意見聴取はされてるし政治家とも話してる。ただ、政府はそれらの人々に提案や見解を出させるだけ出させて、全然聞く気がない、の結果に終わる例が多々あるのですよね。特に自由や平等の関わる問題で先進国の世論なるものに合わせようとすると。
それでもめげずに10年、20年とやっていると、国民の方が流石に考えが変わってくる。そのあたりでようやく政府の態度が変わるという順序。カルト対策はその流れに乗りつつある。恐らくLGBTの人権関係も。でも国際的には周回遅れになるし、悲惨なこともすでに起きている。

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