現在、自分の環境で、Twitterでないと情報が入ってこないとい分野は、第一にはパレスチナ。ガザ地区もだけど、ここ数年、急速にヨルダン川西岸地区とエルサレムの状態が悪化していて、その民族浄化を伝える大手メディアはほとんどないからね。「ガザ地区からロケットが」で即座に記事化する日本のメディア(特に毎日新聞)も、西岸地区での暴力はシカトぶっこいてる。
それから、シリア。イスイス団が暴れていたころに比べてSNSでの英語情報発信自体が減っているが(例えばラッカはイスイス団を追い出して以降は情報が出てこない。それ自体が憂慮すべきことであるが)、英語圏のSyria Campaignや日本のSSJ、現地のWhite Helmetsなどはメイリングリスト的にTwitterを使っている。大手メディアは、英語圏であれ日本語圏であれ、シリアについては、ほとんど取り上げない。
同様に、2011年の「アラブの春」の各国の情報もどのマスメディアもほとんど取り上げていないが、SNSで英語で発信しているところが激減してしまった。普段目にするのはバーレーンとシリア、エジプトのアラア解放要求くらいか。
Twitterがイーロン・マスクの支配下に入ってから、米国の人たちはずいぶん脱Twitterを進めていて、自分たちのネットワークを構築するのに使いやすいSNSをいろいろと使うようになっているみたいだが(大手以外にも本当にたくさんのSNSがある。日本語圏では知られてないけど)、そんなふうに「SNSを選べる」立場にある人たちとは別の世界に住んでいる人たちがいて、そういう人たちが外部に通じる窓としてTwitterを使っている。例えばガザ地区の英語話者たち。イスラエル軍の爆撃が始まると即座にGaza Under Attackのハッシュタグが流れてきて、それで現地の情報がわかる、というのが、Twitterのハッシュタグができて以来、常態となった。それと同時に、ガザ地区の封鎖はますますアレなことになって、「現地からBBC記者が伝える」ということもほとんどなくなっていて、AJEも支局がイスラエルに爆撃されているし、Twitterがまさに唯一の情報源、っていう。
児童ポルノを垂れ流して凍結されたアカウントを復活させたり、ヘイトスピーチを報告した団体を「訴えるぞ!!」と脅したりが、今のTwitterですよ? 「DHC?使っちゃダメだよね!」「アパホテル?ありえないわ.....」って人なら、まず間違いなく「使わない」一択では。
まあ「使わない」は譲歩したとして、少なくとも、他のプラットフォームをオルタナティブとして使っていき育てていくべきでしょう。
一億歩譲って、ここで投稿を続けること自体が「抵抗」にはならないと思う。
映画「バービー」の米配給会社が謝罪 原爆連想画像に好意的リプライ - 毎日新聞ニュース
https://mainichi.jp/articles/20230801/k00/00m/200/209000c
https://fedibird.com/@c_ssk/110807763970485092
私がこの認識を強くしたのは、サーロー節子のドキュメンタリーで見たある場面がきっかけだった。
アメリカで核兵器廃絶の講演をして回る彼女に、中国系アメリカ人の学生が「日本は他国に散々酷いことをしたのに、なぜあなたは核兵器の被害ばかりを言うのか。私にとっては戦争を終わらせてくれた必要悪だ。」という主旨の意見を述べる。
学生とサーロー節子は公演後に話す機会を設け、学生も最終的には納得というか和解するのだけど、この時サーロー節子は核兵器を無くすためには核の話だけしていてはダメだ、と強く感じるんだよね。
もちろん論理的に言えば植民地支配と核兵器はまったく別の問題であり、それぞれに悪いし、それぞれに批判すべき。でも日本に対して「どの口でそれを言うんだ」と思う人々がいるのは当然で、それがまた核兵器を正当化したいだけの人に利用されたりもする。
日本政府はそのようなしこりを取り除く努力をしてこなかったし、一方で反核もろくに言ってこなかった。そこには日本政府側の責任がある。 [参照]
ビッグ何たら社による街路樹伐採も、都による神宮外苑の樹木伐採も、「公共」という概念の劣化(あるいは喪失)という意味で軌を一にした現象だと思うが、公務員は一部ではなく全体の奉仕者でなければならないとする憲法の規定をガン無視してる点で、後者のほうがはるかに罪深いはずなのに、連日熱心に「報道」されてるのは前者ばかりとは、いったいどうしたことか。
バーベンハイマーはアジア人軽視でもあるから当然ダメなのだが、一方で「日本の植民地は核兵器のお陰で解放された」という認識が支持され続けているのは日本政府の責任も大きい。
「確かに植民地は悪かった、しかしそれは核兵器を正当化しない」と言おうにも、まず前段の「植民地は悪かった」を断固として言わないんだもん。そりゃ次の話に進めないよ。
イーロン・マスク氏率いる旧Twitterは、Twitter上のヘイトスピーチの調査を発表した団体Center for Countering Digital Hate (CCDH)を「訴える」と脅かした。
New York Timesに掲載された記事中で、団体CEOは「広告主との関係の再構築のため、ネガティブな情報を止めたかったのだろう」とコメント。
https://www.nytimes.com/2023/07/31/technology/twitter-x-center-for-countering-digital-hate.html
同団体はツイートで、「イーロン・マスクは"言論の自由絶対主義者"を自称するが、弁護士を使ったインチキな法的脅しでCCDHを黙らせようとしている」
「世界で最も裕福な男が時間とお金を費やし、批判者を"法廷闘争"で黙らせようとしているのだ」
とコメント。
さらにマスク氏はTwitterで団体を「邪悪だ」、団体CEOを「ネズミ」と中傷した。
一般論としては、各々の国の中等教育の内容は、それぞれの国が決定する。
しかし「例外」はある。例えば現在の国際社会の土台=合意としての「反ファシズム」。
例えば、ドイツの中等教育で「ナチスもよいことをした」という内容をドイツ政府が主権国家の専権事項、と主張することはできない。あるいは「ホロコースト」を広告のネタにすることは許されない。
日本の中国侵略や「従軍慰安婦」=「性奴隷制」も同様。
ただし、植民地支配に関しては連合国側も、WWII終了時点では継続するつもりであり、植民地支配の記憶の伝承については、「ファシズム」の記憶と別扱いになり、20世紀中は混乱が続いた。
日本国内でも、ある時期までは1931年の満州事変以降の侵略が前景化し、1880年代からの日本の朝鮮侵略、植民地化への反省はやや遅れ気味だった。
しかし、オランダ、ベルギーの例に見られるように21世紀に入ってから、植民地支配の記憶に関しても、世界的に見て潮目は大きく変わった。
もう一つの「例外」は核兵器。これは主権国家を含む全世界の生存に直接関わる問題であるから、単なる主権国家の専断事項となるべきではない。
核兵器の使用がどのような「惨状」を引き起こしたかは、全人類が知ることが望ましい。
マンハッタン計画とWWII後の科学術政策について投稿したところ、このプロジェクトの責任者オッペンハイマーの伝記映画の広告について、ひと騒ぎあったらしい。
ちょっと、調べてみるとこれはひどい。
以前、米国では原爆投下後のヒロシマ・ナガサキの惨状について、初等・中等教育で全く教えていないことは、投稿しました。
原爆を「無人の野原」に落とした、と考えている人もいる。
今回の事件は、そうした背景をもって起こったもの。
根本的には、最大の核大国米国の中等教育でヒロシマ・ナガサキの惨状を教えるべき。
先のG7、なにはともあれ「核なき世界」を大義名分で岸田首相とゼレンスキー、広島ドームを背に写真に収まった。
日本政府、これを機に米政府に「原爆投下」に関する教育をもう知れるなり、政府主催の原爆展示を米国内で行うなりすべきでしょう。
昨日も日経で自衛隊制服トップが「弱く見られてはいけない」と啖呵を切ったばかりでは?
『サラさんの暮らすイラクでは、一般的に婚前交渉は「ご法度」だ。処女であることを求められ、一部では結婚初夜にそれを「証明」するために、夫側の家族が血のついたシーツを見せるよう要求することもある。「日本はどうなんですか? 女性ばかりがこんな目に遭うなんて、あり得ない!」。サラさんは語気を強めた』
『女性たちの命にかかわる深刻な事態も起きている。家族の「名誉」を汚したとして、婚前交渉を持った女性が身内に殺害される「名誉殺人」が今でも存在するのだ』
https://digital.asahi.com/articles/ASR767GPDR6XUHBI02X.html?ref=th_asahi_shimbun