いくら場が「荒れる」ことだろうと、正しいことを言っているのだから好きなだけ主張するというのは、確かに個人でやるぶんには結構なことだけれど、それが集団のうねりになった結果として「荒らされてしまった」場所で、誰がもっとも傷つくことになるのかとか、そうやって場所が「荒らされた」ことで生まれる傷をケアするためのコストが誰にしわ寄せとして向かうことになるのかとか、まったく想像しもしないのは一体どういうつもりなのか。そんなことは考えるつもりも考える責任もないと言うのなら、もうマイノリティの状況になんて関心がないとはっきり言えばいい。社会運動における「ケア」の問題がこれだけ認識されているのに、どうしてそんな非難の濁流のようなことを続けられるんだ。
「作家の読書道」にインタビュー載りました。写真は先日浴衣で遊んだ友達が撮ってくれたやつ。(普段から着物生活をしているわけではない) https://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi256_otani/index.html
新しいタトゥー入れた〜!
・腕の外側は内側よりちょっと痛い。楽しかった(※特殊な訓練を受けた変態の感想です)
・肘関節に近い所はさすがにしっかり痛い。楽しかった(※繰り返し)
・「まだ隙間あるな…」と思ってしまう。
私は太っていることを差し引いても胸がだいぶデッケエのですが、その事自体はかなり気に入っていて、なんというか巨大なトラックとかイカツいフロントグリルの車に乗っているような気分になれるからです。なのでどーんと張り出して生活したいんですけど、私の意図とは違う受け止められ方をすることが往々にしてあるのが悩ましいですね。