わたしたちはなんだか、壊れかけたついったらんどにどすどす積み上がっていく憎悪の隙間を、友愛の欠片をくわえてせわしなく飛びかうミニチュアのツバメみたいだし、もうすぐ割れるガラスの洞窟で、それでも壁画を描きつづけている人々みたいだ。
ほんとにね、「正しいことを言ってれば通じるはず」「公正さと反差別は無条件で響く」はさ、無いじゃん!!!?? 個人的に悲しいけども。めちゃくちゃ悲しいけども。
だから、いろんなビラとかポスターの「センスの良さ」「ダサくないか」はめっっっっちゃくちゃ重要だと思ってるし、街宣の「うまさ」もめっっっっっっちゃくちゃ重要だと思ってる。私は維新は近寄んな〜の気持ちだけど、でも維新の演説の上手さとかボランティアの「よさ」とかはすごいらしいとは聞いた。
話す内容、書いてある内容、そこにたどり着いて抵抗なく咀嚼してもらうために、まず「視線を集める努力をしなければいけない」っていうの、あるじゃん。
もちろん、そんな努力をするべきだって、いっぱいいっぱいな人や苦しんでる当事者に諭すのは、それは違えだろと思います。それは違う。
「正しいことを言っていればみんな耳を傾けてくれるはずだ」は幻想だということを意識するだけで変わることってあるはず。本当に悲しいけど。悲しいなあ……
「正しさ」って言葉も怖いけどね。
これいいな。印刷して玄関の前とエントランスの郵便受けに貼ろうかな。
https://voteposter.cargo.site/A-13
こういう場所で質問するのは、信用ならない人から言質を取るためにやってるっていうの、分かってない人なんだなあと思うけど、分かってない人はこういう場所向いていないんじゃないかなあ。
なおこのリンクは、全文を読める記事のプレゼント機能を使用しておりますので、boostすることで多数の方が読むことができるようになります。
「捏造は使わない」放送法文書で高市氏 「もう質問しないで」とも
https://digital.asahi.com/articles/ASR3H6J00R3HUTFK01T.html?ptoken=01GVJP89FR373ZAE7VPKY59W65
こっちでもチラチラと推しを推していく。
今日は、大阪の堺市議会議員1期目の藤本さちこさん。
ご本人投稿は少なめなのですが、ちまこがゴリ推ししていきます。
物静かなイメージですが、こんなロックな人はいないと思ってる。
タクシードライバーから鍼灸師になり、そして議員なっちゃったさちこさん。
バイク🏍も乗るし、ほんと全方向に心配りのできる人なのです。
街宣が終わったらいの1番走ってって参加してくれたみんなにありがとうを言って回りはる。
みんなでカレー食べに行ってあら、白いシャツ着てきて暇人党みんなが慄いたのです。カッコいい、ロックだw(お写真はその時の)
弟のケンさん(というか堺チーム)って、ほんと外側からの視点を経験してる人が多く、さくっと話が通じるのです。
なので、ゴリゴリ推したくなるのです。
ツイートは少なめですが、良かったらチェックしてみてくださいね!
ミニチラシはあたしくがデザインさせていただきました୧(ᕯ˙ᗨ˙ᕯ)୨
「帰化人晒し上げbot」は、現在「日本人の最期の良心」というアカウント名🤮で活動しています。ツイートの内容が酷すぎるは当然の事、自身への非難コメントに対して「法的措置を取る」と脅しとも受け取れる事まで言っています。ネトウヨ垢はいっぱい見て来ましたが、これは「ダントツにヤバい」と思います(これに好感を持つネトウヨが出て来ています)。
「凍結されてないから問題無い」と、本人は至って強気です。嘘か本当かは分かりませんが「アンチに対しては弁護士に相談してる」と、しきりに、自身の正当性を訴えています。
僕にとって「通報の師匠」であるTさんも、Twitterだけでなく、『官報』にもメールで通報していました。
Twitterの世界でいくら「セーフ」と主張しようとも、僕たちは「現実世界ではアウトだよ!」という事を訴える必要があります。僕は「凍結」というTwitter上のペナルティではなく、開示請求などの「社会的制裁」が必要だと考えています。『官報』に直接訴えるのも、一つの手段だと思います。
Twitterに対しては「社会の規範から逸脱している」事実を突き付け、イーロン・マスク氏には「最高責任者」として是正する責務がある事を、やはり訴えねばならない。
このアカウントを放置してはならない⬇️
Twitterで有料記事プレゼントしてくださってる方がいらしたので貼っておきます。
2月4日 14:48までです。
同性婚「社会変わってしまう」 首相発言に専門家「差別肯定と同じ」
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASR225WZNR22UTFK00H.html?ptoken=01GRAX30KXESMBXNKPNS2EF3S7
記念館の順路の最後付近に、米軍が空撮した8月6日の午後の写真が展示されていた。広島は火災による煙に覆われていて、中心部は見えない。
聞くともなく、隣に立っておられたご夫婦の会話が耳に入る。奥さんが言われる。「あの雲の下にどれだけの人がいて、どんな目にあっていたか、この写真を撮った人は考えたのかしら」と。もっともな批判だ。だが、僕は思う。日本の人には、8月5日以前に撮影された広島の空撮写真をこそ見てほしい。または南京市街の写真、または京城の写真、義兵闘争で焼かれた朝鮮の村の写真、木浦の港に積まれた米俵の写真を。そして、考えてほしい。そこにどれだけの人がいて、どんな目にあっていたのかを。
焼けただれた被爆者の写真を見るとき、僕は1919年に朝鮮の町の教会に押し込められ、日本軍によって生きながら焼かれた3.1独立運動参加者の人びとの体も、
やはり焼けただれていたのだ、と考えてしまう。戦後も長く苦しまれた人たちの写真から連想するのは、中国で日本軍の化学兵器の後遺症に苦しんだ人たちの姿だ。
もちろん、それらの犠牲はすべて侵略や戦争という愚行の結果であり、それに「正義か、悪か」という判断基準を持ち込むのは愚かなことだ。原爆の被害を展示する資料館に、日本軍の蛮行はもちろん、日本による植民地支配の歴史の展示を求めることも、おそらくは過大な要求なのだろう。
それでも、僕は思う。犠牲を慰めるというなら、韓国・朝鮮の人々、とりわけ亡くなった人たちのご遺族の思いをほぼ完全に無視してしまうようなこの展示は、その目的を充分に果たしていると言えるのだろうか。そしてまた、この展示が「日本人による、日本人のための、日本人の神話」をナルシシスティックに構築する効果を持つ、ということをどう考えるのか。
これらは効果的ではあるのだが、しかし、あえて露悪的にいえば、お涙頂戴のヒロイズムの連続でもある。
たとえば、外出中に被爆したある少年のエピソードとして、帰宅して母親が重症を負っているのを発見し「自分はどうなってもいいからお母さんを助けて」と叫んだという話が紹介される。ある女子高校の女性教員は屋外作業の引率中に被爆し、救護所で「生徒の被害状況を確認できないまま死んでいくことが心残りだ」という遺書を書く。ある医師は自らも被爆しながら負傷者の救助に尽力し「なぜ我々がこんな目に合わなくてはならないのか」と嘆息とともに語る。
そこから伝わるのは、犠牲者の多くが誠実に自分の職能を全うしようとする人々であり、その生涯が理不尽な暴力によって虐げられたという事実だ。だが、その人々が自らが生きる場所であると思い、力を尽くして支えたいと考えていた社会、体制、国家がどんな原理によって立つどんな場所であったかを考えると、僕はその悲劇をただの悲劇としてとらえる気にはなれない。
また、韓国・朝鮮人被爆者にとっての悲願であった被爆者手帳の問題は別のコーナーにおいやられ、しかも「海外に移住した日本人や外国人の被爆者…」という、問題の焦点が伝わりにくい表現で紹介されている。
そこにあるのが平和資料館の偏向なのか、それとも日本社会に蔓延する「日本人ファースト」主義への怯えや過剰な順応なのかは、僕にわからない。けれども、結果としてそれらのものが、そして平和資料館の今の展示全体が、ある効果をもたらしていることは確かだ。
2019年にリニューアルされた平和資料館の展示の基本的な考え方は、原爆被害の実態のアピールと、記憶による被害者と遺族の救済である。そのために、原爆投下前の広島と原爆投下後の広島の姿が効果的に対比され、また犠牲者や遺族の証言が数多く展示されている。
G7の首脳が訪問するということなので、2019年に平和祈念資料館に行った時に書いた文章を連投します。長いです。
いくらなんでもやっぱり少なすぎる、と改めて思った。というのは、昨日訪問した広島の平和記念資料館における朝鮮・韓国人被爆者の扱いのことだ。男性一人の紹介しかない。
もちろん、平和記念資料館はすべての被爆者を紹介することを目的とする施設ではない。そこでなされているのは原爆の被害を訴え、伝承し、被害者と遺族の魂を慰めることだ。すべての人、すべてのケースが紹介できないのは自明のことだし、またその必要もない。
とはいえ、全体で約56万人と推定される広島での被爆者のうち約5万人が韓国・朝鮮人、という現実と対比したとき、膨大な数が紹介される日本人被爆者に対して、「外国人の被害」として米国人、ドイツ人と並べて一人だけ、というのは扱いが小さすぎる。ご本人の渡航の経緯や創氏改名の経緯などは書かれているものの、植民地支配や差別についての言及は大変少ない。
「日本の〇〇が世界に認められて嬉しい!」という声を、そこかしこで聞くし、その気持ちは分からなくもない。「人間椅子」が海外でブレイクした時、僕もそういう気持ちになったから。しかし一方で、日本人は「海外」の事に関心が無さすぎるのは何故だろうとも思っていた。無論、僕自身も含めて。
そう思った理由も「人間椅子」がきっかけ。『針の山』という曲が「メタリカ」の楽曲に自分たちの歌詞を載っけた「替え歌」だったからだ。それに、彼らは「ブラックサバス」に傾倒している事もハッキリと言っている。
一方で、僕は去年「マキシマム・ザ・ホルモン」に愛想を尽かした。「サマソニ」で「リンダリンダズ」というアメリカのバンドの「カタコトの日本語」を「いじった」からだ。それ以前にも海外フェスで「日本語が分からない連中に日本語を教えたった」という動画をYouTubeに上げていて、観客を「アホばっか」と言っている姿を見て、「あの事件は起こるべくして起きた」と思った。僕は今、彼らを心底軽蔑している。
僕は今日、野村玲央氏のブログを読み直して、日本人の「差別意識の低さ」と共に、海外に目を向けようとしない自分を大いに恥じた。
https://leoleonni.hatenablog.com/entry/2022/08/21/064513
https://www.lovepiececlub.com/column/19213.html
このブログを書いている爪半月さんが
"今回の記事は何が何でも最後まで読んでほしい。摘まみ読みもしないでほしい。聞きこぼさずに読んでほしい"
と書いておられるし、私にはない視点から色々と気付かされるところが多かったので、皆さんも読んでみてください。
[拡散希望!]
どうか同じ同志のみんなに届きますように🙏🏽
僕も参加します!
【拡散希望】外国籍の若者の生活実態調査の開始!|Moving Beyond Hate #note https://note.com/movingbeyondhate/n/n85f7b054db70
JCPサポーター。雉白猫のお世話係。イングリッシュハンドベル奏者。石橋を叩いても渡れないくせに時々突進するいきもの。