ジェンダーユーフォリアを感じる瞬間、ぱっと思いつくのは他人とどうでもいい雑談ができたときかもしれないな。パスしていることで初対面の人間と会話する際もノイズなくコミュニケーションに集中できるし、昔と比べて人とコミュニケーションをとることへのハードルが下がったことを嬉しく思う。
自分で「心ある」と書くの、かなり“心”に自信がある人間だな…履歴書に書ける程度には自信あるけど…
https://fedibird.com/@skipjack/112664023818975893 [参照]
SNS等で活動を公表していなくても、動いている人たちはいるし、自分にできることをやっている人たちは思ったよりたくさんいます。私も活動の全てを書いたり載せたりはしていません。 「沈黙は加担」という言葉は、弾圧あるいは排斥される当事者がそう声を上げることは当然でありつつも、支援者/アライ/非当事者までもがそれに乗っかるのは社会のエイブリズムを加速させる面もあります。また、マイノリティ当事者の声をマジョリティが自分事に引き寄せすぎることで「怒りの乗っ取り」が起こり、運動がマジョリティにとって都合のいいものとして利用されてしまう(マジョリティ側の他の狙いと抱き合わせにされてしまう)ことも、間近で見てきました。 皆それぞれの場で、できることをやるしかないです。できることを探そうにも、何かをやろうにも、それさえタイミングやチャンスという運の要素があるのも事実です。できない人を責める社会にしてはいけないですし、できる人を担ぎ上げる社会にしてもいけないです。
その時間帯に現場にいた人から、暴力的・攻撃的接触はまったくなく、警備員さん達が警察を呼んだようでもなかった、との話をわたしも聞きました。
盾を持った警官20人とか30人とかが30分そこらで安田講堂前グリーンに入ってくるような話ではないのは明確だと思うのですが、いったいどういう流れでこんなことになったのか。
大学当局はそこを明らかにする説明責任があると思います。
可視化しているトランス男性。