旧鳥板の投稿なのですが、弊学ガイドラインの公開に興味を持ってくださった方たちに、こちらから始まるスレッドも読んでいただけたらなと思います。
「今になって、東大でも大学院生活を生きていける未来が描けそうになってきました。東大が変わってきて、本当によかった。本当に嬉しい。だけれども、変化するのが遅かった。私の学部生生活は苦しい記憶でいっぱいだし、もう進学先も決まってしまいました。
性的マイノリティは昔からいて、昔から、制度の中で苦しんだり、そもそも入学すらできなかったりしてきました。(性的マイノリティの若者が、親から理解が得られず、経済的に困窮することはままあることです。)私たちの苦しみがずっとあったことを書き残しておきたいのです。」
https://twitter.com/topiauttopia/status/1755621937597059110?s=61&t=NxEgmZBXIk4NkG_y-h_7EA
・ 「私もよくわからないのですが、最近はLGBTQとかいう人たちもいるんですよね」と、自分は無関係である風を呈示して、あたかもLGBTQ当事者が自分たちとは異質な「他者」であるようにふるまう(LGBTQ 当事者の「他者化」を行う)。
これ、カムアウトしていない当事者がそれでもその場のオフェンシブな空気に介入したいときにやりがちな手法でもあり、心当たりがありすぎて笑ってしまった(これを枕に怒涛のアライ発言)
東大の「性的指向と性自認の多様性に関する学生のための行動ガイドライン」実際よいなぁ!
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/actions/sogi.html
黄色マーカーのとこ、よくぞ言語化してくれた!って感じだし、終わりにアファーマティブアクションにも言及していて納得度高い。
私も初めて男女共学の大学に入った時「男子はこれやって、女子はこれやって」って指示を先生から受けたり、男子だけは「くん」呼びだったりの文化に出会ってショックだったんだけど、やっぱりそういう男女で不要な扱いの分け方をする文化はこれからなくなっていってほしいな
3/9(土)に神奈川県の大きなシンポジウムに登壇します!
関東学院大学と、神奈川県弁護士会の連携協定による初のシンポです。
全体のテーマは「LGBTQ+の課題と展望」ですが、わたしからは「トランスジェンダーの「未来」を懸けた争い」という基調講演を行います。演題から分かるように、いつもよりガチの話をします。神奈川県弁護士会の強いバックアップのもと、トランスジェンダーの人権を前に進めるために、自分の務めを果たそうと思います。トランスジェンダーの存在を「未来」に釘付けにしようとする人々と、「現在」に時計の針を留めて誠実さと良心を保ち続けようとする人々の「争い」について。
事前に申し込みを推奨しています。神奈川県以外の方でも、どなたでもご参加いただけます。大きな会場を押さえていただきましたので、余裕をもって参加していただけると思います。ぜひ、よろしくお願いいたしますー!!
https://lgbtqplus-kgu.peatix.com/
友人の戸籍性変更申立て、無事に変更許可が出たようでよかった。
しかし一方で、いくつか妙な話も聞こえてくる。未オペの当事者が変更申立てのためにクリニックに身体所見の診断書を依頼したところ、断られるケースがいくつもあったり「胸オペしていないと診断書は出さない」と断言しているクリニックもあると。10年近くホルモンを続けている人でも断られ、院長に直談判して納得してもらい漸く診断書を書いてもらえたという話には驚いてしまった。GIDの診断は既に下りていて自認の性別で社会生活を送っている当事者の戸籍変更をわざわざゲートキーピングする意味が分からないし、そんな権利が彼らにあるのか?
疲れている人、落ち込んでいる人、全員これを見てほしい。
“長い間Aroaceを『アロエッチェ』って発音してたわ”
https://www.instagram.com/reel/CqRBIMDgSt2/?igsh=ZDE1MWVjZGVmZQ==
話題の「淫行ブロマンス/BL映画」(未成年淫行を告発されたことのある俳優が子役とW主演として共演している)について
『カラオケ行こ!』については、原作も作者の倫理観がどこにあるのかもわからない描写のまま進むし、反社会組織構成員の成人男性と未成年の児童の関係性を「BL」(作者がインタビューでそう発言している/そう販促されている)でコーティングしているのが無理すぎるのですが、実写版映画版においては一度マジで未成年淫行で問題になってるのになぜかスルーされている俳優がその作品でW主演として子役と共演してるので、こんな映画の製作と公開(さらには絶賛)が許される社会であってはいけないと思っているし、これを評価している人のことも私は「(普段どれだけ人権について語っていようと)自分の"萌え"のためなら人権なんて本当はどうでもいいのでは?」って目で見ています。私自身、フィクションにおいて有害な関係性(toxic relationship)に"萌える"こともある側のオタクなんだけど、インモラルなものはインモラルなものとして描くべきだし、消費するにしてもそれがインモラルなものだと理解しておくべきだと考えている。あと、実在の子どもをこういう「淫行」要素を多分に含む(その"toxicさ"が売りの)作品に関わらせることに反対です。
アリス・オズマンが日本の作品を(英語版出版なしとはいえ)違法サイトで読んでいたという批判はまあ成立するにしても、なぜそれを持ち出したのか?(『植民地主義』説を強化するためだろうが、彼女の指摘した問題に対しての反論や反省もなく別件の過ちを持ち出す姿勢)には不信感が増すばかりだった。
「トランス排除はミサンドリーの問題でなくトランスフォビアの問題だ」という意見もあったが、ミサンドリストの人々の様子を観察していると(全ての女性がうっすら抱いているようなミサンドリーとは桁違いの)『強いミサンドリー』こそがトランス女性を"男性"と結びつけているのではと思わざるを得ない。彼女たちにとって強烈な憎悪の対象と自分はあくまで"別の存在"でなければならなく、性別が越境されたり境界が曖昧になるなどあってはならないことなのだろう。当然、性別二元論を支持しトランスヘイトに邁進することになる。
そしてこれは今までミサンドリーを許容し目を逸らしてきたフェミニズムの問題でもある。ミソジニーに利用されるような形でなく、自分達でミサンドリーに向き合い研究し、構造的な問題を明らかにしていくべきだったのではないか。
可視化しているトランス男性。