フォントワークス、画像で使われているフォントの名前を調べるサービスの提供を開始║窓の杜
https://forest.watch.impress.co.jp/docs/news/1557550.html
https://www.youtube.com/watch?si=nwmIzCU58Ps5RDZE&v=4F5iYBArTGw&feature=youtu.be
有名な?BBCのろうそくを盗み食いするハムスターの舞台裏動画を見つけた!野生のハムスターは減少の一途をたどってるけど、都市部での生活に適応している個体もいるよって話🪦🐹🏢
町中だと地面を耕されないから安心して住めるプラス、お墓にはお供え物やキャンドルがある(ハムには消化できる)から、重要な栄養源になっているということらしい
あの動画はすごくきれいに撮れてるからコメント欄でヤラセを疑っている人も結構いたけど、たしかにこれだけ高密度で住んでるなら、狙った個体のパトロールルートを調べてカメラを置いておけば撮影できるって想像できる ハムスターなりのお散歩の順序ってシリアンにもあるもんね
署名しました。
わたしはあまり政治や戦争、差別、地球環境など国際的な問題について書きません。親が右翼系な政治思想の持ち主で、わたしも大学進学前まで(親元で暮らしていたころまで)はそういう考え方が中道で正しくてクールな姿勢だと思っていました。
自分の属性がマイノリティになった経験を経てようやく、おかしいことに気づいて20年かけて少しずつ修正してきた感じです。20代後半や30代前半にかけては、まだまだ意識が弱く態度などで差別的なこともしてしまっていたなと振り返っておもいます。その頃の後悔もあっていまだに自信を持って、これが正しいと思う!と公言できず、周りの意見や状況、歴史をじっくり見て勉強して、と亀の歩みのように進んでいます。
すべての差別に抗したい、というのはやはりここ数年でもっとも強くなった考えです。だから今回、ここで署名したことを公言します。
https://www.cultureagainstapartheid.jp/
Twitterを避けに避け、ちいかわを読むときだけブラウザで開いていました。それゆえ毎年恒例の #いろいろなアドベントカレンダー を書き損ね読み損ねました。こっちで失礼して書けばよかったかな…
今年は毎日10個のゴミを拾う人がおり、ツボでした。
倉田タカシさん発案のハッシュタグ、#いろいろなアドベントカレンダー おもしろいですよ。12月にはいろいろある。
下記はTwitterへのリンクです。
https://twitter.com/search?q=#いろいろなアドベントカレンダー&src=typed_query&f=live
行き先の違う電車に乗っていることに今気づいたが、挽回できる、きっと。頭を揉まれに行ってきます! #用意ドン
美術業界が常に心身を犠牲にして作品のクオリティを上げることを求めてるのは本当にやめないといけないと思ってる。それは、アーティストの意識やキュレーターの意識だけではなく、批評や観客の側からも辞めていかないといけない。線引きは難しいしケースごとに考えるしかないけど、美術批評や評論で、クオリティに関することやアーティストの労働時間を削りやすい規模や大きさを過剰に褒めることを、ちょっとずつ辞めていった方がいい。これは今労働問題が吹き出している、アニメや映画、演劇、歌唱についても同じ問題がある。クオリティにかんすることをどれだけ評価していいのか、そのことを問い直していくしかない。評価基準による競争がある以上、それはまた別の心身の削り方を求めることになるだろうけど、それでもやっぱり考えながらやっていく方がいいのではないかな。
実家でのわたしの片付けノルマを全部終えて帰ってきました。年末だし、すがすがしー! また後からなんやかんやと頼まれることはあるかもしれませんが、少なくとももうあの家にわたしのものはなくなりました。
お昼に、近くのハンバーガー屋さんに行きました。この店の前の前には、ここはカフェレストランで、わたしはそこで12年前まで、7年間くらい働いていたんです。居抜きで次々と店が変わったので、テーブルや椅子は当時も使っていたものをまだ使っており、こっそり懐かしみました。あと意外にも、トイレのゴミ箱もたぶん当時からのです。トイレ含めて、内装にはほとんど面影がないのに、小物は受け継がれるんだなーと面白く見ていました。
むかしの内装(天然石のタイルや一面だけ真っ青に塗った壁や巨大な黒板、長いステンレスのカウンター)が好きだったので、それらが全部なくなっているのは、おこがましくもちょっと寂しくはありました。7年も働いていると場所も自分の所有物みたいに思っちゃうんでしょうか。
でも当時のままのガスコンロで焼かれたパテは荒めで食べ応えがあり、おいしかったのでスッキリ昇華です!
フライングタイガー・コペンハーゲン(雑貨屋)ほかで買い物をしました。同店は使い捨てビニール袋を売っていないので、レジで紙や布の袋を買う必要があります。
とりわけ主張が強い袋があったのでそれを買いました。
身辺整理について つづき(長いのでたたんでます。差し障りのあるような話ではない)
一方で、数年前には捨てられなかった思い出のものでも、今はもういいなと思えることも多く、自分の変化を感じました。
来年はフィルムカメラや製本とかの、昔やっていて、整理しながら見直していたらやっぱりやりたいと強めに思ったことをちょっとでも再開して、あとここ数年で新しく始めちゃったけど中途半端になっているものも完成させていきたいです。
とっちらかり気味な制作をガタガタ危なっかしく操縦していく所存です。わたしは寡作なタイプだけど、完成したものはできるだけたくさん他人に見せていけるようになりたいですね、いまさらながら。
それにしても、整理のゴールは見えたもののまだ二ヶ月はひきずりそう……まあ、なんでも一歩ずつよ。
身辺整理について(長いのでたたんでます。差し障りのあるような話ではない)
まだ終わってはいないんだけど、実家の片付け(わたしがやるぶん)と自分の制作物まわりの片付けの終わりが見えてきました。これは実家にあった自分のものや貰ってきたものを、今の家のなかに収めるために、自分の制作部屋(兼図書室)の収納もなんとかせねばと思い、同時並行でここ三ヶ月やっていたものです。
過去の制作物自体は捨てたものもたくさんあるけど、制作するための道具や材料はしばらく使っていなかったものでも捨てる気にはなれず、ずいぶん残しました。6Bから6Hまで芯を長く出すようにして削ったデッサン用の鉛筆から始まり、絵筆や絵具、フィルムの一眼レフカメラ、製本道具、本を作るための大量の紙、粘土、金継ぎの道具と割れた器類、コラージュのために集めたガラクタや雑紙、編み棒と毛糸……。整理しているうちに、ぜんぶまたやりたい、こんなことしたい、こういうの作ったらどうかな、と思えてきます。出来上がっている過去の制作物は色褪せて見えることもあったけど、道具はいまでも待ってるよ!って感じがして、まだ捨て時じゃないなと思いました。
最近、片付けとかしているときに三人が会話しているラジオをよく聴いていたら、なぜか自分の会話がちょっとじょうずになった気がする…! そんなことあるか?って思うけど、三人のうち特にわたしがこの人の喋り方好きって思っている人の口調とかを勝手に真似しちゃってて、それがいいような。もともと、例えば方言とか独特の口調や単語を使う人とかと長く一緒にいると、あっさり移ってしまうタイプだから、それがいいように働いたのかもしれない。あと、ひとりが喋っているラジオや、2人でインタビューのように話してる出演者の役目が決まったラジオではなくて、ある話題について数人が会話してるラジオだってのもポイントかも。不思議なんだけど、これを表現するうまい言い方が出てこない!みたいなことも減った。