美術業界が常に心身を犠牲にして作品のクオリティを上げることを求めてるのは本当にやめないといけないと思ってる。それは、アーティストの意識やキュレーターの意識だけではなく、批評や観客の側からも辞めていかないといけない。線引きは難しいしケースごとに考えるしかないけど、美術批評や評論で、クオリティに関することやアーティストの労働時間を削りやすい規模や大きさを過剰に褒めることを、ちょっとずつ辞めていった方がいい。これは今労働問題が吹き出している、アニメや映画、演劇、歌唱についても同じ問題がある。クオリティにかんすることをどれだけ評価していいのか、そのことを問い直していくしかない。評価基準による競争がある以上、それはまた別の心身の削り方を求めることになるだろうけど、それでもやっぱり考えながらやっていく方がいいのではないかな。