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横柄な態度でコンビニ店員に100円投げつける高齢男性にしても、電車の中でわざと女性にぶつかってくる高齢男性にしても、高齢ゆえの認知機能低下ではなく「有害な男らしさ」を長年学習してきた結果だと考えている。要は、他者を支配下に置くのが当たり前だと思ってるんだよ。支配下に置けなかった瞬間に憤怒が始まる。本来はこういう手合いには治療プログラムが必要なんだが、治療プログラムのキャパシティーもそんなに多くなく。

この問題、中高年男性を責め立てて終わる問題ではなさそうで、この「有害な男らしさ」が、当の中高年男性の健康を害している。極端な例になると、「有害な男らしさ」ゆえに日々の家事やセルフケアをおろそかにしてきて、それでも仕事があるうちはいいんだけど、仕事がなくなった瞬間に家を失う。有害な男らしさを実践してきた自業自得と言える部分もあるんだけど、半分くらいは有害な男らしさを学習させてきた社会の問題でもある。そのことを考えると、社会的な介入が必要だ。

警察官の熱中症対策を警察庁が公報することの違和感。都道府県じゃないんだ。こういう細かなところに、日本の警察が中央集権的な構造が見える。

映画「プリズン・サークル」を観た。もうかなり前のことだが。島根あさひ社会復帰促進センターの取り組みを知ると、何か事件の被害に遭ったときに、示談によって加害者が刑務所に行くのを回避させることがいいことなのか迷う。刑務所で更生プログラムを受講してくるほうがいい加害者もたくさんいる。

平和はまず地球環境の保全がなされてこそだ。そんなことを考えると、飛行機や自家用車での移動は破廉恥な行為に思えてくる。化石燃料に費やしたお金がどこかで戦費に化けていそうなのも嫌だ。
それなら、同じまちに暮らす路線バス運転士さんの一家の生活費になるようなお金の使い方をしたい。

ファッションを百害あって一利なしと言えるのは、平和な世の中だからで、本当にファッションが国家の敵みたいな世の中を知ったらそんなこと言えなくなる。どれだけの衣服を購入できるかが国家によって統制され、街行くひとの装いもカーキ色一色の国民服ばかりなんて時代をね。そういう時代を望んでいるのだろうか。そんな時代は、つい79年ほど前のことである。
kite-cafe.hatenablog.com/entry

ここまで東京23区に過度に集中することの危険はこれまでさんざん言われてきた。経済的なことだけを考えても、東京23区に過度に一極集中する構造は不平等を拡大させる。今流入している投機目的の資金が消え去ったときが恐ろしい。あとに残るのは不良債権ばかり…
バブル期の反省から生活大国なる構想が出てきて、その中には多極分散型国土にすることが盛り込まれていたはずなのだが。とりあえず東京大学をどこかの人口20万人規模の都市に移転させてみたらどうだろうか。

問題は教育委員会も学校もそんなに強い調査権限を持っていないこと。警察も犯罪性が明らかでなければ腰が重い。ここは家庭裁判所の出番でしょう。少年法を改正していじめ事案はすべて家裁が介入するようにしよう。 / “加害者の今を知ってしまった…「娘の未来は絶たれたのに」中2いじめ、遺族の憤りと煩悶 学校推薦で高校進学、実業団選手に。謝罪はないま…” nordot.app/1173853964572721486

こういうことも自動車の社会的費用と言えるか。高齢者ばかりでなく、こどもや若者の移動にも公共交通機関は必要なんだな。 / “子どもが運動部を希望したら、週末に部員の送迎を求められ、担える環境になく困った…。【NEXT特捜隊】(あなたの静岡新聞) - Yahoo!ニュース” news.yahoo.co.jp/articles/d619

教育行政と現場の学校で処理するシステムが公正ではないとの認識。その認識はわたしも共有する。公正なシステムとは何か。司法手続きをおいてほかにないのではないか。
「体罰事件の処理に公正なシステムを」
muneuchi.art.coocan.jp/rou/mat

…と、昨日夜Mastodonに投稿したあとでThreadsに来てみると、「大学生を本気でほったらかすこと」の重要性を説く投稿を見た。手島純さんらが言いたかったことの少なくとも一部は、通信制高校の生徒を「本気でほったらかすこと」の重要性なのではないか。ただ、大学生ならサークル活動に精を出したり図書館で本を読み漁ったりモグリで講義に出てみたりと、そんなことをするだけの資源が大学内にある。通信制高校にはそんな資源がないので、本気でほったらかすことがそのままネグレクトないし捨て置きになりかねない。本気でほったらかされた高校生がサークル活動に精を出したり図書館で本を読み漁ったりモグリで授業に出てみたり、そういうことができるだけの資源を通信制高校は用意できるか。そこが問題だと気づいた。
たいていのサポート校は雑居ビルのワンフロアで活動が完結してて、生徒が近隣の大学のサークルに潜り込んだり、近隣の大学の講義をもぐりで聴いたり、図書館で本を読み漁ったり、はたまた自分でサークルを立ち上げたりなんてことを実現するだけの資源があるわけじゃあないでしょう。あ、結局予算(おかねと読みます)の問題か。
QT: fedibird.com/@sachihirahira/11
[参照]

ひらのさち  
手島純編著ほか「通信制高校のすべて:「いつでも、どこでも、だれでも」の学校 改訂新版」彩流社、2023年を借りてきて読んでいる。筆者らは通信制高校に希望を見出しているようだが、しかし、たとえば学校図書館活動の困難さが例として挙げられる、資源の乏しさは問題として挙げておきたい。 及び、全日制や定...

仮に非来館型サービスを広域通信制高校の学校図書館が提供したとしても、書架をブラウジングしながら資料を探すことは来館しないと難しい。この点、通信制高校の学校図書館活動は全日制・定時制の学校の学校図書館活動より不利を抱えることになる。

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通信制高等学校における学校図書館活動の実際について述べた文献を探しているが見つからない。学校図書館関係の基本書をめくってみても通信制の学校を前提とした記述は見つからず。通信制高校の生徒は近隣の公共図書館を利用することが前提なのか。全国から入学を受け入れている広域通信制高等学校が本校に学校図書館を設置することの意義がどれだけあるかは謎。本校の学校図書館がどれだけの生徒にサービスを提供できるのだろうか。

手島純編著ほか「通信制高校のすべて:「いつでも、どこでも、だれでも」の学校 改訂新版」彩流社、2023年を借りてきて読んでいる。筆者らは通信制高校に希望を見出しているようだが、しかし、たとえば学校図書館活動の困難さが例として挙げられる、資源の乏しさは問題として挙げておきたい。
及び、全日制や定時制の側が「あ、うちに合わないなら通信制に行けばいいんじゃない」と排除の論理を強めていることも。いつでも・どこでも・だれでもの理念は、通信制のみならず全日制や定時制もまた実現しなければならないものではなかろうか。

ベストセラーの複本をあまり買い過ぎないことの一つの利点は、自分の番が回ってくるまでの間に図書館の書架をめぐって様々な資料に触れてもらう時間を作ることができることだ。このことは今気づいた。

充実した設備と資料をもって住民の資料欲求を増大させていくことが中小都市の公共図書館の使命だと日本図書館協会は1963年に提言した。今、「住民の資料欲求を増大させる」使命を果たせている図書館がどれだけあるだろうか。ベストセラーだけにしか興味がない利用者がそれなりにいそう。

例のトランスジェンダーヘイト本も(多分資料費がなくて)所蔵がないわがまちの図書館。カッコ内が涙。

先週放送のクローズアップ現代を視聴中。罪名から明白に性犯罪であるものはDBS制度に取り込めたが、わいせつ目的の住居侵入などは性犯罪か否かを判断するのが難しいためにDBS制度に取り込むのが見送られたとのこと。今回DBS制度ができたのは大きな一歩だが、次の一歩として、性犯罪を行った者に刑罰としてこどもに関わる職業に就くことを禁ずるよう刑法を改正することを望みたい。この段階で、性加害目的の住居侵入なども対象にしてほしい。

知人に付き合って通信制大学の合同説明会に行ったことがある。参加者は皆教員免許取得を目指しているらしく、教員免許が取得できない大学のブースは閑古鳥が鳴いていた。わたしが通信制大学に今ひとつ行きたくないのは、なんというか、合目的的すぎるように見えるのですよ。キャンパスライフなるものや自律的な学びはなんかできなさそうで。学ぶ環境は近所の公共図書館が中心になると考えると、わざわざ学費払ってまでと思うのね。

1994年施行の高等学校学習指導要領のうち数学科。わたしは高度な普通教育を受けてない根っからの文系人間なのでさっぱりわからないが、数学を修めたひとにはわかるのだろうか(こういうデータベースを引っ張り出してこれるのが根っからの文系人間っぽいでしょ?)
erid.nier.go.jp/files/COFS/h01

少なくとも現段階では、の留保付きだが、AIが人間性(たとえば、人道的な判断をすること、創発的な思考をすることなど)をもつことはできず、それが究極のところで交通が交錯する市街地における自動運転を実装することをほとんど不可能にしているのではないか。人道的な判断をするだけの能力がなければ安全運転はできないのだろう。第一線の研究者が聞けば笑うような話かもしれないが。

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