@heping ホックシールド、良書ですので、ぜひ。一方で、こうしたよい書籍を読めば読むほど、アメリカにはこれだけの研究成果が出せる知識人がいながら、社会状況がああなってしまっていることについて、考え込んでしまいます。
宗教が提示してきた良質の物語は、私たちの倫理の基礎となってきたと思うのですが、近代以降の科学が大きな役割を果たすようになった文明はそれに代わるものを提供できていないということだろうとも思います。
中村元、昔、何冊か読みましたが、原始仏典が、時間の経過によってインド・中国でも大きく変わり、仏教の伝播の過程でさらに物語が大きく変わっていることを知って、仏教へのイメージが大きく変わりました。
日本人は原理的・論理的思考が苦手であるというのは、歴史的に変わっていない感はありますね。
悪のレッテル貼りのコメントをFacebookでいただいたもので、つい書いてしまいましたが、人を名指しで糾弾するなら、まずはちゃんとやっていることを調べてからにしていただけませんか。
12年もあれば、調べる時間はいくらでもあったでしょうに。
活動内容はかなり公開していますし、無償のPDFにしてまとめて公開もしているのに。
https://ethos-fukushima.blogspot.com/2022/11/2011-2020-27km.html
ダイアログだって、記録をそのまま公開しているくらいには大っぴらにしてます。
両極のどちら側にも与しない、というスタンスを私はずっと取っているのですが、日本の原子力界隈は、言論にせよ、お金にせよ、両極端のルートにばかり流れることになっているので、活動の持続性を保つのは、至難の技だと思います。
おそらくは、私が、原子力の賛成か反対か、どちらかに傾いた意見を主張したら、言論上の支持者も増え、お金も入りやすくなるのだろうとは思いますが、両極にしかニーズがないというのは、言論上不健全であると思います(し、自分の信念とも反します)。
真ん中の無関心側の反応を引き出せなければ、この状態は続くのかもしれませんが、気候変動関心枠の参入によって、真ん中の人たちの関心が引き出せることを願っています。
これだけを書くと、どこにも好かれていないように受け取られるかもしれませんが、原子力の推進派も、様子見も、反対の方にも、無関心の方も応援してくれる方はいらっしゃいます。
応援してくれる方達は、先に書いたような両極端な2極の対立構造が生み出す閉塞感や、現在の政府の意思決定のあり方に対して、問題意識や違和感を持っていて、もっと健全な議論が可能にならないのか、と思われています。
そういう人たちに対しても、旧来の原子力ムラ(両極)の方達は、「推進派」「反対派」とレッテル張りをするか、向き合わずに自分たちの意見と敵にだけ固執するところがあり、一般の人から受け入れられないのは「そういうところやぞ」と思います。
作家/NPO福島ダイアログ理事長/博士課程後期在学中
原子力災害後の復興政策と地域住民のギャップを埋めるためのローカルプロジェクトの意義と重要性について研究する予定。
・著書『海を撃つ』(みすず書房)
『スティーブ&ボニー』(晶文社)
『末続アトラス2011-2020』(福島のエートス)
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