Xではネトウヨ的科学教信者にリベサヨとしてレッテル張りされて絡まれ、また別の場所では、強硬な反原発勢力に原子力ムラのフロント市民活動家扱いをされ…、というのが、長く続いている私の立ち位置なのですが、原子力関係は、「どちらでもない」人が入り込むとこういう扱いになるというのが、健全な議論を難しくする理由だと思います。

気候変動の関係から、これまでとは違う分野の方たちが原子力の議論にも参入してきているので、新しい流れが出てくればいいなと思うのですが。

旧来の原子力ムラの方達の論の立て方は、敵対する相手をどう言い負かすかに特化した我田引水な論理展開があまりに多く、これで多くの人に受け入れられるのはまず不可能だろう、と思います。

これだけを書くと、どこにも好かれていないように受け取られるかもしれませんが、原子力の推進派も、様子見も、反対の方にも、無関心の方も応援してくれる方はいらっしゃいます。

応援してくれる方達は、先に書いたような両極端な2極の対立構造が生み出す閉塞感や、現在の政府の意思決定のあり方に対して、問題意識や違和感を持っていて、もっと健全な議論が可能にならないのか、と思われています。

そういう人たちに対しても、旧来の原子力ムラ(両極)の方達は、「推進派」「反対派」とレッテル張りをするか、向き合わずに自分たちの意見と敵にだけ固執するところがあり、一般の人から受け入れられないのは「そういうところやぞ」と思います。

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両極のどちら側にも与しない、というスタンスを私はずっと取っているのですが、日本の原子力界隈は、言論にせよ、お金にせよ、両極端のルートにばかり流れることになっているので、活動の持続性を保つのは、至難の技だと思います。

おそらくは、私が、原子力の賛成か反対か、どちらかに傾いた意見を主張したら、言論上の支持者も増え、お金も入りやすくなるのだろうとは思いますが、両極にしかニーズがないというのは、言論上不健全であると思います(し、自分の信念とも反します)。

真ん中の無関心側の反応を引き出せなければ、この状態は続くのかもしれませんが、気候変動関心枠の参入によって、真ん中の人たちの関心が引き出せることを願っています。

悪のレッテル貼りのコメントをFacebookでいただいたもので、つい書いてしまいましたが、人を名指しで糾弾するなら、まずはちゃんとやっていることを調べてからにしていただけませんか。

12年もあれば、調べる時間はいくらでもあったでしょうに。
活動内容はかなり公開していますし、無償のPDFにしてまとめて公開もしているのに。

ethos-fukushima.blogspot.com/2

ダイアログだって、記録をそのまま公開しているくらいには大っぴらにしてます。

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