「厳密な政治家の世襲の定義」is 何?
#なんかみた
岡本喜八、『肉弾』を作ったきっかけが『日本のいちばん長い日』を読んだことで、自分が昭和20年に助かったのはどうしてか分かった、でもここには庶民の姿が描かれていないと思って脚本を書き始めたと、対談集『しどろもどろ』で石上三登志に語っている。色々あって『日本のいちばん長い日』も自分が監督することになってしまったのでこの2作は表裏一体なんですよね。『日本のいちばん長い日』にもごく短くだけど特攻隊の青年たちの姿が描かれる。戦争指導者の姿が美化されているという批判もある作品だけど、日本の敗戦を知らされないまま特攻に向かう青年たちの姿や監督が残すことにこだわった最後のテロップを読めば監督の戦争批判の意図は十分わかると思う。
私は少し前に女性象が苦手、と書いたけど、空襲による友人の死、自身もこの戦争で死ぬだろうという予感を越えて生き残ってしまった、その意味を終生考え続けた人の怒りに満ちた映画はこれから先もたくさんの人にずーっと見られてほしい。『肉弾』も『血と砂』も、安易な感動や感情移入を拒む怒りの噴出が凄まじくて、呆然としながら映画館をあとにしたことがいつまでたっても忘れられない。
BT
「集金力がある政治家しか良い政治ができない」by ピアニスト
これ、四文字熟語で反論できるから好き
般若心経!
清塚ってこんなウヨったバカだったのか……。
『パーティーは良い政治をやるために絶対必要と抜かす清塚信也氏
「政治って絶対お金が掛かるんです、必要なんです、何かをやるのにダダはないんで…例えばパーティーをしてキックバックがあっても何の違法性もないし、しかも良い政治をやる方にとっては絶対に必要なことで、全部政治資金を税金でやるわけにいかないので、それは個人で稼がなきゃいけないし、『集金力がある政治家しか良い政治ができない』と思うんですよ、だからそれは大事なことだと思うんですね、だから本当に良い政治をやろうとしてる方にとって、生命線であるそういう資金力を、無関心な人は特にパーティーと政治家ってだけで、今後、凄いアレルギーになると思うんですよ、『どうせ悪いことしてるんだろう』みたいな、絶対そうではないんですよね、『良い政治をやるための必要な仕組みを脅かした』というところも凄い私はダメージがあるなと思います」さすがフジテレビ とんでもコメンテーターをブチ込んできました』
https://twitter.com/siroiwannko1/status/1736336288897437783?s=20
その番組のキャプを発見したので貼っておく。以下文字起こし。
この作品は日本の50年代に流行した神風映画の慣習に反しているんです。これら50年代の日本映画はある意味ジレンマに陥っていました。
イギリスやアメリカにとってはどうでもいいことだったのです。私たちは戦争に勝ったからです。
英雄を目にすることもできました。残虐な行為もすべて絨毯の下に押し込められました。軍事裁判を受けることもありませんでした。犯罪者扱いもされませんでした。
しかし、日本人は、日本の映画人はこの問題にどう対処したのでしょうか?
若者たちが神風特攻隊として出撃するために恐ろしい犠牲を強いられたのですから、彼らを犯罪者とは言えません。誹謗中傷することはできないのです。
そこで日本映画界は発想を逆転させました。
彼らを「悲劇のヒーロー」という考え方に結びつけていったのです。
しかし、この考え方は政治的にも利用されました。
神風特攻隊を作ることを思いついた大西瀧治郎は、遺書にこう書きました。「日本は戦争に負けるが
この特攻精神で将来日本を再建する」のだと。
つまり「失するとも気高く」という考えです。
『肉弾』はそのような通念を取り上げて愚かだと言ったのです。岡本はこれをブラックコメディに絶対的な茶番劇に仕立てるのです。
枝野先生がツイッターで産経から受けたインタビューの連載記事を紹介してる。共産党に染まらないとか、共産が抱きついてきたとか、社民に呼ばれて講演して9条変えた方がいいって言ってきてやったとか言ってる回のリンクを貼らないところが、枝野先生が気遣いのできるステキな政治家なのをあらしていてたいへん好感がもてる。
『肉弾』は話的には気の抜けたブラックコメディで、かなりサイケデリック。軍隊はアホらしくしか描写されない。映画の後半部分は広い砂浜にひとりで敵兵の襲撃に備えているうちに変な人たちと交流するシーンがずっと続く。昔の映画らしく差別用語も出てくるし、セックスワーカー蔑視、女性蔑視的な描写も多い。基本的に日本の侵略という側面はとりあげられていない。
この話ですらある意味での特攻の美化だとは思うけど、少なくともイケメン俳優の英雄的な悲劇としては描かれていない。たぶん大谷直子と結ばれるのも主人公の妄想でしかない。
『あの花が咲く丘で』は、制作側から「戦争について考えるきっかけにしてほしい」みたいなコメントが出ているが、特攻をヒロイックな悲劇として描いてもなにもいいことはないと思う。戦意高揚映画じゃないんだから。
『肉弾』が作られた背景には、1950年代に特攻を美化する作品が出てきたことに対するアンチテーゼの面があるということを今年放送されたNHKのドキュメンタリで言ってた。
赤城の山も今宵を限り