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『ジンセイハ、オンガクデアル』、おもしろそう。
同著者の同じく「底辺託児所」を舞台とするエッセイ『子どもたちの階級闘争』は、以前読んだことがあって印象に残っている。
代表作ってイエローでホワイトで…だよね、あれも良かったな、と思い出しつつ著作リストを見ていたら、その「2」も出ている。
知らなかった。
読みたい本がどんどんたまっていく
壺井栄『二十四の瞳』
子どもの頃に読んで以来、何十年ぶりかの再読。
岬の小学校の十二人の生徒達と、新任の大石先生との交流から始まる物語。この小説の発表が1952年、作中の時代はさらに前の昭和初期から始まるので、昔の話だなあという時代の違いはもちろん感じる。
が、序盤の一年生の子どもたちのかわいらしさは変わらないし、戦争に翻弄されるそれぞれの人生の悲しさも変わらない。
また、先生自身の子育ての部分も印象的だった。はじめてのランドセルに大喜びで駆けていく無邪気な我が子を見て、先生が「その可憐なうしろ姿の行く手にまちうけているものが、やはり戦争でしかないとすれば…」と物思うシーンがある。先生は、自由な発言ができない中でもその思いを抱きつつ息子を育てたことだろうが、息子は後に、父の出征を誇りに思い、戦死したときにはもちろん悲しみはするものの「名誉」にも思い、内心で母を恥じさえもする。
とても優しいいい子なのに、ただ、幼い頃から平和を知らず育ってきて、それがあまりに当然になってしまっている。それが大石先生という母の目線で描かれるのが、とても悲しく思えた。
そういったことは今も世界中で起こっているのだろうし、私達だって他人事ではない。本当の意味で、この話が「昔の話」になってほしいものだと強く思う。
#読書
リチャード・オスマン『木曜殺人クラブ』読了。
過去の事件をネタに「木曜殺人クラブ」というお茶会を開いていた高齢者施設の住人たちが、実際に起こった殺人事件の捜査に乗り出す、という話。
お年寄りが活躍するほのぼのワクワクする話かと思ったら、もちろんそういう部分は多数あるのだが、それだけではなかった。
「クラブ」初期メンバーの一人は既に重度の介護棟で寝たきりになっているし、今の主要メンバーの一人は、やや記憶の混乱しがちな夫が自分とチェスを指す頻度が下がっていることに気付いており、「もしや、すでに最後のゲームをしてしまったのだろうか」と考える。自分に「あと何回の秋が残されているのだろう」とも思う。一見、良い施設での豊かな老後に見えるかもしれないが、皆それぞれに切実な思いを抱えている。そしてそれは、私たちの誰にとっても待ち受けているものなのだ。
それでも「人生では、よい日を数えるようにしなくては」と、クラブの面々は小気味良く活躍する。周囲や自らの衰えに向き合い、さまざまな別れも経験しながらも、毎日を前向きに生きて新たなことに目を向けられるところには、強さと明るさが感じられた。
できるならば自分もそんな風に年を取りたい、と思わせてくれる。いや、殺人事件には遭遇しなくていいけれど。
#読書
ビックリだ…八重洲ブックセンター本店が八重洲から消える?マジかよ、と。池袋ジュンク堂は大丈夫だろうか。本好きとしては近場に巨大書店の実店舗が必要なんよ。本探しの愉しみが失われてゆく…。
https://twitter.com/yaesu_honten/status/1618413541211443201?s=46&t=cNPQ0C7nj8NuIFlWhW3M2w
辻村深月『傲慢と善良』
序盤は男性主人公に対する違和感が強かった。「こんな人は現実にはいない」という意味ではなく、「本当にこんな人がいそう、悪気はないのだろうが私は馴染めない」という意味で、人物像はリアルだと思ったのだ。物語上の出来事だけでなく、婚約者を「この子」と呼ぶことなども、些細な点でも象徴的であるように感じた。「この子」は30代成人に対して使う呼称だろうか。そのせいか、傲慢だったと自分を振り返るシーンでは、そうだそうだと溜飲を下げる気持ちに一瞬なってしまった。
しかし読み進めて、そういうことではなかったと思うようになった。たまたま彼の一面も一例であっただけ。他の登場人物を追っていくと、あちこちに「傲慢」な側面が浮き彫りになる。その心情描写には、自分も含め誰しもどこかは重なるのではと思う。しかも、そういった面が物語中で特に変わるわけでもなく、普通にそのままであろう人物が多いのもリアル。実際の人間だってそうそう変わらないし、その中で皆生きている。その意味では、上述の主人公はむしろ、自分を振り返って一歩進むことができたのだ。
善良でありたいと思っていたのに知らず知らずのうちに傲慢側にいる、そんなことを皆繰り返しているのではないか。自分も時々振り返って考えたいと思わせてくれる本だった。
#読書
アンディ・ウィアー『アルテミス』読了。
年末に読んだ『プロジェクト・ヘイル・メアリー』がとても面白かったので、同著者の他作品にも興味を持った。そのうち『火星の人』も読みたい。
さて『アルテミス』。
主人公の一人称の語りで話が進むが、もう少し砕けすぎない文体の方が自分は好みだなとは思った(翻訳の影響かも)。また個人的には、やはり『ヘイル・メアリー』の方が、入り込んで読めるストーリーだった。
とは言え、自分が『ヘイル・メアリー』を気に入り過ぎただけで、本作も十分面白い。架空の月面都市生活の描写は細かいところまで凝っていて興味深い。気圧が低いせいで水の沸点が低いため、熱いコーヒーや紅茶が飲めない、とか。著者の頭の中には、設定がもっともっと詰まっているのだろうな。
事件が起こるのももちろん月面上なのに、自分などはつい地上と同様の想像をしてしまいがちで、例えば爆発シーンでは、ドーン!と派手な爆発音を勝手に脳内で思い描いたりする。でもそこで、真空中なので基本的に音は伝わらず、地面を通じて伝わるのみだという説明が文中で入ると、「そういえばそうか」と脳内風景を修正する。そうやってイメージを補正しながら月面のあれこれを想像するのも楽しい。
ストーリー展開は早く、どんどん事件が起こるので、テンポよく読める。
#読書
恩田陸『Q&A』読了、少しネタバレ感想
タイトルの通り、ひたすらQ&A形式で話が進む。主にある事件についての聞き取り調査のような形で、事件関係者となったさまざまな人から話を聞いていく対話形式が続く。
質問に答える人間はどんどん変わっていく。それぞれの視点の話をつなぎ合わせると、どうやらこういうことかと見えてくる(気がする)部分もあったり、つなぎ合わせても最後までどうにもはっきりしない部分もあったり。
結局あれは何だったのかという部分も最終的に多々残るため、推理小説的に明快な解答を求めて読むとスッキリしないけれど、淡々と語られるQ&Aの中のあちらこちらから人間の怖い一面が顔を出しているようで、ゾクッとするものはある。
普通のやり取りをしていた人から次第に歪んだところが見え隠れし始める会話、ごく普通の日常が壊れていく心理、集団となった人間が些細なきっかけで転げ落ちるように異様な状況に陥っていく様子など、負の側面の描写がひたひたと迫る。
ストーリー全景の曖昧さとは裏腹に、いやむしろ全貌が漠然としているからこそなのかもしれないが、「こういう人間の怖さは、わけのわからないうちに普通に自分の目の前にも現れるのではないか、あるいは、実は既にそこにあるのではないか」という身近な恐怖感を呼ぶ。
#読書
赤瀬川原平『新解さんの謎』
前半、新明解国語辞典(新解さん)の様々な項目に飄々とツッコミを入れていくのが軽快で楽しい。
この本の新解さんは第四版だが、家に第七版があったので比べてみたくなった。
例えば「よのなか」という語。
本によると第四版では
「同時代に属する広域を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。」
第七版では
「社会人として生きる個々の人間が、だれしもそこから逃げることのできない宿命を負わされているこの世。一般に、そこには複雑な人間関係がもたらす矛盾とか政治・経済の動きによる変化とかが見られ、許容しうる面と怒り・失望をいだかせる面とが混在するととらえられる。」
結構変化していて面白い。
第四版の方がやわらかい印象。「愛し合う人と憎み合う人」とかロマンティックな雰囲気も。第七版では「社会人」「政治・経済」と少し硬めの雰囲気になると共に、「逃げることのできない宿命」あたり、悲愴感さえ感じられる。世相を反映したりしているのだろうか。
家の新解さんも、もっと使いたいと思った。
後半は、紙にまつわるエッセイ。デジタル化した現代から見ると、隔世の感がある。
#読書
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』ネタバレ感想2
後半にかけても、どんどんテンポよくストーリーが展開していくため、ページをめくる手が止まらない。
とにかくロッキーと主人公のやりとりが良い。
悲しいことや残念なことは「悪い」「悪い」と互いに慰め合うことができ、良いことがあれば「よい」「よい」と共に喜ぶことができる嬉しさ。トラブルがあって落ち込むことがあっても、相談しながらプロジェクトを進められることの心強さ。
主人公の内心の思いは作品内で語られるが、ロッキーの内心にも思いを馳せる。
ロッキーにとって、思いがけず新しい「友だち」ができたことは、いかばかりの喜びだっただろうか。
そして、クライマックスで船体の外から聞こえた「友だち」の声は、それこそどれほどの「しあわせ」だったことだろうか。
身体を弾ませるロッキーを思い浮かべる。
「しあわせ」「しあわせ」と言い合えることの幸せ、「おやすみ」「おやすみ」と言う相手がいることの安堵を噛み締めたい。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』ネタバレ感想1
前半は、主人公があれこれ実験をしてアストロファージの性質を研究したり、試行錯誤しながら異文化コミュニケーションをしたりするところなどがとても楽しい。
一貫して、主人公が何かを疑問に思ったりトラブルが起こったりして、それを検証しようと実験などを行い、結果を考察して一段階知識を増やすという、ある意味では実験のお手本のようにストーリーが進んでいく。そのため、読んでいる側も、主人公と共に謎が1つずつ目の前で解明されていくような気持ちになれて、爽快感がある。
主人公の思考は現実の物理法則や知識をベースにしているから(アストロファージの特性や異星の技術などの前提面では、少々ぶっ飛んだ設定だなと思うところもあったけれど)、これがこうだからこうなるという因果関係も楽しんでたどることができる。
それでいて同時に、太陽系から飛び出して未知の生命体と意思疎通するという大スケールのわくわくする話も成り立っているのがすごい。
個人的には、魔法が出てこようがわけのわからない未来技術が出てこようが全く平気で楽しく読めるのだが(むしろそれも大好き)、そういうファンタジー設定に馴染めない方でもこれなら楽しめるのではないか。これは確かにサイエンス・フィクションだなと思った。
アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』読了。
とても面白かった。
時間の空いた時をねらって正月中くらいに読もうと思っていたにも関わらず、うっかり年内に読み終わってしまった。
おかげで大晦日もお正月も大忙しになるけれど、悔いはない。
次投稿よりネタバレ感想いきます。
560字におさめることは潔く諦めました。とてもおさまりませんでした。
リチャード・パワーズ『ガラテイア2.2』読了
主人公は人工知能ヘレンを育て上げていく。ヘレンは徐々に人間らしくなり、愛について質問したり、意識らしいものを持つようになる。
無垢な子どもから大人になっていくようなヘレンが魅力的。個人的には、主人公やその恋愛相手よりも「人間」に思える部分があった。(主人公の恋愛がずっと並行して語られるが、そのあたりが合うかは人を選ぶかも。個人的には少々きつかった…)
また、二人の男の挿話が印象に残る。
外の世界を語り聞かせる窓辺のベッドの男と、外が見えないベッドで聞く男。ある時、語る男が発作を起こす。空いたベッドに移って、聞く男がはじめて見た外の世界は、煉瓦の壁だけだった。
たった二頁の挿話だけれど、本編もこれをなぞるように続く。
英文学、愛、世界について、聞かせる主人公。それを聞くヘレン。とうとう「窓際のベッドに移してもらった」ヘレン。
「わたしの代わりに世界を見てきて。」最後、ヘレンはどう思ってそこに至ったのだろうかと想像する。
人間と人工知能は何が違うのかという素朴な疑問が湧く。
理不尽さや勝手なところだらけなのが人間なのだろうかとも思うが、ヘレンの方がよほど好ましい人間らしさがあるようにも思えて、では我々人間はどう生きるべきなのだろうかとも考える。
#読書
言語を問わず、文字で書かれたものが好き。
普段は引きこもりがち、出かけて楽しいのは図書館。基本的には小説読みですが、とにかく文字ベースで表現されたものを読むのが好きなので、本でもニュースでもネット記事でも何でも読みます。
そういうわけで、皆さんの投稿も楽しく眺めています。長文が比較的多いのも嬉しいところ。
こちらでは、趣味の読書などについて、自分の記録も兼ねてときどき投稿しています。フォロー・リムーブなど、お気軽にどうぞ。リアクションなどくださる方、ありがとうございます。
いきなり皆さんの投稿にリアクションすることもありますが、共感のしるしだと思っていただけると嬉しいです。
発言は少なめかもしれませんが、よろしくお願いします。