『ただ、あなたを理解したい』の話(褒めてない)
「人を理解しなくても生きていける、この世の中だから…」というコピーに感じた違和感が形になっていたように思いました。
「相互理解は可能」という価値観と「相互理解は不可能だが共に生きることはできる」という価値観を対立させてしまうような帰着はあまりよくないのではないかなあと思います。しかも、それぞれを体現するのが「地方の人間」と「東京の人間」というのがいっそう良くないし、無用な対立を生んでいるうえに、ステレオタイプのようにも感じてしまいました。
そもそも祐也と葵の破局はその価値観の対立ではなく、単にディスコミュニケーションであるように見えます。葵は梓とのコミュニケーションを見るに結構聡明な人だし、「あなたを理解したい」と願うなら、そう思っていると断ったうえで祐也ともう少し立ち入った会話をすることもできたのでは、と思わなくもない。
あと妊娠というごくプライベートな話題を憶測で触れ回ったり、しかも成人しているその人に対して「なにやってんだよ」みたいなこと言うところ、「ウワ……」ってなりました。
でも鈴木昂秀さんの名前がスクリーンに一番最初に出てきたのを観てグッときてしまったので、わたしは鈴木さんのこと全然嫌いになんかなれないんだなとつくづく思わされてしまった。
ザ戦(感想)
ザ戦、本編のハイローをなぞってはいるんだけど、けっこう真逆だな〜、という印象を持ちました。それは本編が「生きる場所」を守ろうとする「個人」たちの物語だったのに対し、ザ戦は「国民」を守ろうとする「国家」の物語としての側面があるように感じたから。
わたしは須和国のふたりが結構好きでした。黄斬の根底には「国家」という権力に疑問を呈する心があり、戦争も、権力を求めて起こる内戦も「国家」が存在することに起因すると解釈するシーンがあるのが良いんですよね。まあそういう思考になるのは「心の弱さ」が起因してると断じられてしまいがっかりはしたんですが。そして吏希丸の方が国王の血を引いているというのがおもしろくて、指導者には王の血よりも重要な資質があると考える吏希丸は決してその「血」に縛られないんですよ。そして吏希丸は黄斬を指導者として信頼しすぎるあまり「国家」をかれに背負わせようと行動に出てしまう。黄斬は吏希丸と一緒に背負いたかったと思うんだよね。本筋で言いたいとこそこじゃないんですけど、その解りあえなさがなんか刺さってしまい……。
ザ戦(新鮮な怒り)
脚本は「男と男が見つめ合う先に未来はない」とか弦流に言わせた挙げ句殺すんじゃないよ!弦流は「社会を変えたい」と望んだのにその仕打ちがこれではあんまりだよ!無責任に未来に託すんじゃなく弦流にそんなこと言わせる社会規範の方をいますぐぶち壊そうとしろ!!!
最低限の譲歩として湧水様が描く同性愛差別のない国家像まで見せてくれなきゃ納得いかないかな、わたしは。
ただそういう描写があったとしても、ピンクウォッシュめいてるな、と思えてしまう。LDHという企業がクィアへの支援をしたところ、わたし見たことないし。知らないだけだったら申し訳ないけれど。『SOLDIER LOVE』の顛末からLDHという企業への視線が厳しめになってることは否定しないです。
『梟』の話(問題点についてもすこし)
シネマンドレイクさんの『梟』の感想で「やや障がい者を便利に利用するプロット」というのは確かにそうだな、と思った部分でした。これは「宣伝」の問題でもありそうだな、とわたしは思いました。
というのも、「盲目」という言葉をミスリード的に使って宣伝しているため、この宣伝によってギョンスの「実は見える」ということが物語のフックとして機能してしまっているんではないかと思うんですよね。
この『梟』という作品の肝は、そのフックよりも権力批判にあるとわたしは感じたので、最初からギョンスの「見え方」を提示していても、物語の魅力はそれほど損なわれなかったのでは?と思う。
ギョンスが「見えること」を隠していた理由も、「盲人が見えることを嫌がる」という台詞でロービジョンであることによって差別されてきたから、というのが読み取れるのでその部分は当事者表象を全く考えていないわけではないんじゃないかな、とも。
ただやっぱりこういう宣伝をするということは「実は見える」をフックにしたかったんだろうし、そう考えると問題はあるよね、ということを思いました。
韓国映画『梟 フクロウ』感想
庶民目線で政治腐敗を描くのは韓国映画ではお手の物ですが、「見えない」のと「見ない」のは違いますよねという寓話的な朝鮮王朝物語としてプロットが練られていました。政治不正を「見えなかったことにする」ことで誤魔化すのは愚行です。聞こえていますか、日本の政治家さんたち…。権力に針を刺す覚悟を私たちは持っておきたい。 #映画
故意に税金未納や滞納繰り返した場合 国が永住許可取り消しへ | NHK https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240219/k10014364291000.html
こんな法案絶対に通してはいけないし、こんなことを検討することすら本当は許すべきじゃない。これについてるリプライがすでに酷いヘイトスピーチになっていて、つまり国家が法案を出すことそのものが国家の排外主義政策の一貫になっていて、本当に何重にも最悪。
#永住権取り消し法案提出に反対します
『スリ・アシィ』の話
アラナがとにかくかっこいい正統派ヒーロー映画でアクションもあり楽しかったです。
脚本は結構大味で、ジャトミコまわりをもう少し掘り下げないと「なんで?」が勝ってしまう感じなんですが、女性が主人公のヒーローものなんてまだまだ全然少ないので、そういう意味でこういう映画ももっといっぱいあってもいいよな〜と思いました。
個人的にはジャトミコは公権力の腐敗に辟易して仕事に意味を見出せていないながらも抵抗はしておらず、署長に「コーヒーお願い」と言われ続けて「自分は軽んじられている」と感じていたところを力を持つ悪魔に付け込まれたのかな〜と思ったけどじゃあ悪魔の力で何をしたかったんだろう?と思ってしまいました。
ありとあらゆるハンサムが揃っており、とりわけカラもタングーもアラナに対して様々な感情を持っているわけですがアラナはまったく意に介さないのもよかったですね。まあ義母の身体の心配でそれどころではないかとも思いますが。
ウ~ンと思ったのはアラナのブラックヘアですね、何のエクスキューズもなかったので。
それにしてもタングーとカラの組合せになんかめちゃくちゃ萌えてしまいました。気に食わなかった相手がヤケクソ胆力を見せてきて「やるな」ってなってるカラがめちゃくちゃ良くて……。
今日は『スリ・アシィ』を観ます
『主人公』観たときの感想掘り起こしてきたので置いておきます!
「昔から男が好きだ」「自分が好きなものに嘘を付きたくない」と言うのに「俺はゲイじゃない」と鼻で笑っていた、周囲の反応を恐れてそうせざるを得なかった同性愛者の池田勇次郎が、自らのセクシュアリティに戸惑いながらも、考えながら「今は男が好き」という答えに辿り着いた濱口大介の「理解されたい」という願いに感化され、自らの意思でカムアウトして「絶対幸せになる」と宣言したのはかなりよかったなあ。
まあ勇次郎がちょいちょいデリカシーなくて最後なんの打ち合わせもなく大介を前に連れ出して付き合ってる宣言したのは「それ事前の合意あった?!」と思わなくはなかったし、「エッチもしました」とかあんまりにも赤裸々に話すからギョッとしたりもしましたが。大介のもともとの性的指向の自認がゲイではなかったことで偏見が少なかったこと、かつ理解されたいという願いの持ち主だったから大事には至らなかったかもだけどあれもアウティングだよ……ということは肝に銘じておきたいよね。
でも勇次郎はずっと性的指向としてゲイであることを自認していた子で、そういう子が「深い理由まで考えない」って言ってたのもよかったな。なにか理由があってゲイになったのではなく、元々そういうものなんだと言ってくれたので。
『梟』の感想(ネタバレ)
かなりポリティカルなことをやっていて好きでした。ギョンスは「明るい場所で全く見えず、暗い場所で少し見える」という症状を持つ視覚障害者で、なぜ見えないふりをするのか問われ「人は盲人が見えることを嫌がる」と言う。「目をつむっていなければ生きられない」とも。そんなかれが、宮中の権力争いとその腐敗を目の当たりにし、世子を殺した王にみずからの選択で「私は見た」と抵抗する。
この権力腐敗の中心である王は、ギョンスが孫を庇う中で「誰に雇われたのだ」と問うのですが、「盲人が自分の意思で動くはずがない」という偏見を露呈しており、そこで「人は盲人が見えること(=自らの意思を持って行動すること)を嫌がる」というギョンスの言葉が反芻されました。
今日は『梟』観ます
成人済みおたくでクィアのアナキスト(they/them)/映画と音楽/トランス差別とあらゆる差別に反対