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『梟』の感想(ネタバレ) 

かなりポリティカルなことをやっていて好きでした。ギョンスは「明るい場所で全く見えず、暗い場所で少し見える」という症状を持つ視覚障害者で、なぜ見えないふりをするのか問われ「人は盲人が見えることを嫌がる」と言う。「目をつむっていなければ生きられない」とも。そんなかれが、宮中の権力争いとその腐敗を目の当たりにし、世子を殺した王にみずからの選択で「私は見た」と抵抗する。
この権力腐敗の中心である王は、ギョンスが孫を庇う中で「誰に雇われたのだ」と問うのですが、「盲人が自分の意思で動くはずがない」という偏見を露呈しており、そこで「人は盲人が見えること(=自らの意思を持って行動すること)を嫌がる」というギョンスの言葉が反芻されました。

『梟』の話(問題点についてもすこし) 

シネマンドレイクさんの『梟』の感想で「やや障がい者を便利に利用するプロット」というのは確かにそうだな、と思った部分でした。これは「宣伝」の問題でもありそうだな、とわたしは思いました。
というのも、「盲目」という言葉をミスリード的に使って宣伝しているため、この宣伝によってギョンスの「実は見える」ということが物語のフックとして機能してしまっているんではないかと思うんですよね。
この『梟』という作品の肝は、そのフックよりも権力批判にあるとわたしは感じたので、最初からギョンスの「見え方」を提示していても、物語の魅力はそれほど損なわれなかったのでは?と思う。
ギョンスが「見えること」を隠していた理由も、「盲人が見えることを嫌がる」という台詞でロービジョンであることによって差別されてきたから、というのが読み取れるのでその部分は当事者表象を全く考えていないわけではないんじゃないかな、とも。
ただやっぱりこういう宣伝をするということは「実は見える」をフックにしたかったんだろうし、そう考えると問題はあるよね、ということを思いました。

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