清水俊史『ブッダという男』読了。
面白かったし、とても分かりやすかった。説明が親切で明朗!
これを読んでもブッダという人がどういう人だったのかは分からないのですが、どういう考えを持っていたんだろうかというのは分かります。
はじめにに“これまでの専門書や一般書の多くが、歴史のブッダを探索しているはすが、彼が二五〇〇年前に生きたインド人であったという事実を疎かにして、現代を生きる理想的人格として復元してしまうという過ちを犯してしまっている”とありまして、本文に“ブッダは、無から仏教を発明したわけではない。当時のインドの諸宗教の前提を受け継ぎ、それを批判し乗り越えるかたちで仏教は生まれた”とあります。
前半では、ブッダは古代インドの価値観の中に身を置いた存在だったと解き、後半で、仏教と諸宗教を分かつもの、ブッダの独自性を紐解いていきます。
諸宗教と比較しながら論が進むので、古代のインドの考え方のさわりに触れられるのも、楽しかったです。
わたし達の理想を投影した「神話のブッダ」について決して否定的ではないのが、良かった。長い歴史の中で、求められていたのは「神話のブッダ」なのだから、と。
んで、経典は解釈で左右されるの例で出てきた、戦中・戦後の浄土宗の偉い人は、言ってることがデタラメやった。
#読書
中村哲先生に生き方については、次男の方のくだりが迫力があるんですよね。
息子の生死よりも優先するものがあった。自分にできることのほうを選択した。
覚悟がガン決まりで、だからなんつーの、中村先生の生き方に倣えとか、倣いたいとか、あんまり言えないところがあるっつうか。
ただまあ、爪のほんのひとかけらの灯火ぐらいは、あやかれる人間でいたいよね。
https://api.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/4371021/4371021.pdf
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『砂の本』読了。
集英社文庫版には「砂の本」「汚辱の世界史」と短編集が2編収録。「砂の本」は淡白で、「汚辱の世界史」は脂ぎった感じなのですが、どちらもわたしには味わう舌がありませんでした。文字の表面を撫でるだけで、分かんなかった。
終わりもなければ、始まりもなく、霧のように茫洋としていて、砂を噛むような読み心地。
作者の中のものを紙に写していて、説明をしてるんだから読めば分かるだろ、分かんなかったらそれでいいよ、って感じだった。
“詩人は頌歌を奉呈した。それを彼は、荘重に、確信をこめて、草稿に一瞥もくれずに朗誦した。王は、うなずきつつ嘉納を示した。一同は、戸口につめかけた者にいたるまで、一語も解せぬにもかかわらず、王の身ぶりに倣った”
(『砂の本』「鏡と仮面」より)
#読書
サンダルの修理頼もうと出かけたら、雨規制で足止めくらって、にっちもさっちもいかん。
ついったーの永久凍結が解除されました。
おたくらしいですよ。基本的にやる気がないです。フツーにダメ人間です。今特に腰を据えてるジャンルはありませんが、ときどき何かをぽつぽつ書いてます。オススメ本とかは常に募集中です。
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