中学での音楽の授業がわたしの人生の中で最悪な時間だったのですが、音楽の教師が常に怒り狂ってて些細なことで激昂していた上に、ちょっと機嫌がいいとお気に入りの生徒を抱き寄せてベロチューをかましてたからですね。わたしなんかは範疇外だったので実害はなかったのですが、本当に最悪だった。
ぼうっと突っ立って(窓の外とか眺めてるの見つかったら怒鳴られる)「早く終わんねえかなあ」と思ってるだけの時間だったので、3年間の音楽の授業、本当に本当に不毛な時間でしたわね。
とりあえず、わたしの在籍していた3年間は、わたしの把握する限りでは何の問題にもなってなかった。
これ、誰かに相談しようとか、自分の中でそういう発想が皆無だったのは、何でだろうな。
いまだに親にも話してねえな。
で、この作家がどういう作家かというと、ウソばかりついていてそれが職業になった、書くべきものは何一つ書いていない、すべきことではなくやりたいことばかりやってきた、というような作家として描写されています。
放埒に生きていて、それが可能程度には売れっ子だったのでしょうね。
んで、それが自分の死に臨んで、妻に八つ当たりはするは、自棄酒は飲むは、過去の回想も自己陶酔と自己憐憫が激しく、その愚図っぷりも愛嬌を欠いていて、とても好感が持てるような感じではない。
エピグラフの高潔さとは雲泥の差のみじめったらしさで。
でも、たぶん、エピグラフの豹と、この作家はイコールなんですよ。最期夢の中で、作家はキリマンジャロの山頂へ飛び立っていたし。
自己認識と理想と、実際の自己の在り方の埋め難い差。書くべきものを何一つ書いてこなかったという後悔。死に臨んでやっと書くべきもの向き合えた、ある種の救済。
おそらく社会的成功を収めている作家は、自分のその生き方に納得していない。書くべきものを何一つ書いていないからだ。
だから、まあ、たぶん “その豹が何を求めて来たのか、今まで誰も説明したものがいない。” ということになるんでしょうね。
ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「キリマンジャロの雪」読了。
“キリマンジャロは、高さ一九、七一〇フィートの、雪におおわれた山で、アフリカ第一の高峰だといわれる。その西の頂はマサイ語で、“神の家(ヌガイエ・ヌガイ)と呼ばれ、その西の山頂のすぐそばには、ひからびて凍りついた一頭の豹の屍が横たわっている。そんな高いところまで、その豹が何を求めて来たのか、今まで誰も説明したものがいない。”
アフリカへ狩猟旅行に来た作家は、ちょっとした掻き傷が元で壊疽を起こし、死の床についていた。そこで自分の人生を回想する。
冒頭のエピグラフが最高!完璧!美しい!この孤高さよ!もう、これ、エピグラフだけでいいよ!
エピグラフと本文の落差が甚だしい。いやあ、でたん読みづらかった。
本文は、作家の現状と、作家の回想とせん妄、そこからの作家の小説の構想が綯交ぜとなっており、今何を読んでいるのかすぐに分からなくなる。この混乱は意図的なものだと思う。
#読書
漁業関係者の心情は察して余りある…
https://www.fsight.jp/articles/-/50046
ヘミングウェイ『キリマンジャロの雪』「白い象のような丘」読了。
よく晴れたスペイン南部の見晴らしのいい駅の横の酒場のテラス席で、アメリカ人の男女がビールなどの酒を飲み、手術をするだのしないだのと会話をしている話。
ビールが美味しそう。
野坂昭如は「男と女のあいだには/深くて暗い河がある」(『黒の舟唄』作詞:能吉利人/作曲:桜井順)と、酔いどれてドブ川の風情で男と女の関係を歌ったのですが、ヘミングウェイは光に溢れる景色の中で白々と男と女の関係を書くのだなあ、と思った。
野坂昭如のほうは「誰も渡れぬ 河なれど
/エンヤコラ今夜も 舟を出す」と歌うのですが、ヘミングウェイのほうはそんな歩み寄りなんかなくて、女に 「あたし、別にどうもしちゃいないわ。いい気分よ」と言わせるんですね。胸糞悪い。
それはそれとして、ビール美味しそう。
#読書
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