しばらく前の話。授業終わりに学生さんが夏休みに帰省した時のことを教えてくれた。実家の近くに男の人がラッパを吹いてる金の銅像が鎮座する建物があり、昔からよく見ていたけど何の施設なのかわからなかったのだけど、それがモルモン教の日本本部だとわかりました、とのこと。前期で読んだAiAの学びがいかされている…!そしてわざわざ教えてくれたのも嬉しい。AiAに出てくるテーマは、エイズに限らず決して今の私たちにとっても遠いことではないと思って授業やっていたけど、こういう身近な発見につながると選んでよかったなと思う。悪い勧誘はないと思うから今度パンフレットでももらっておいでと伝えた。たぶん作中で紹介されるモルモン教の歴史そのままが書かれていると思うし、クシュナーの宗教や信仰というものに対する誠実さもそこから感じられるはずなので。
久々にリストをアップデート。
Good, C. P. Taylor
Cyprus Avenue, David Ireland
Pravda, David Hare, Howard Brenton
Slave Play, Jeremy O Harris
Saved, Edward Bond
『A Number―数』『What If If Only―もしも もしせめて』キャリル・チャーチル作、ジョナサン・マンビィ演出
良くないと思いました。哲学が感じられないというと身も蓋ももないんですが、どちらも終始メロドラマ的な解釈になっている印象。特にWhat If...はなぜ男優二人の配役にしたのかがわからない。パートナーを失った男というゆるいモチーフに沿わないのか?と思ったら未来/現在が女装した姿で現れ(でも女装した男性ではなく女としてだと思う)ゲイカップルにするんじゃなくヘテロカップルなんかい!じゃあ女優を雇え!という不満が募りまくり。リアリズム的なディティールのキッチンの美術とプロジェクションの光で表現される様々な声もミスマッチ…。理解の及ばない部分をファンタジーでごまかしていると思ってしまった。
A Numberも、クローニングの倫理問題は感じられず、自分と同じ人間がいることがミステリー的に使われている感じ。映像の使用は、大阪会場ではめちゃくちゃ見辛いこともあったけど、安易なイメージの提示のように思えてむしろマイナスだった。今の日本だと後期チャーチルはこんな上演になるんかいという悲しみ…。
演習の授業でAiAを読んでいる。今日発表した学生が、ハーパーが南極に行くシーンを現実の南極に行っていると解釈をしていて、あれ?と思って確認してもリアルの南極だと言う。私はハーパーの精神疾患からくる幻覚と思っていたので、じゃあリアルか幻覚かもグループディスカッションで考えましょうということにした。
話し合いの様子やその後の各グループの意見発表を聞いていてハタと腑に落ちた。つまり、ハーパーの南極行きを幻覚と考えるのなら、プライアーが天使と遭遇したり燃える預言書を授かったりというのは幻覚とは考えないのかという問題なのだ。それはとても本質を突いた指摘だと思う。天使と出会ったり預言を聞いたり、幽霊や先祖と遭遇したり、イマジナリーフレンドと南極に行ったりと、現実の世界から乖離した場面がたくさん出てくる中で、観客/読者が何をリアルと思って何を幻覚とするのかは、つまり作中のどういう要素を重要視するかという問いなのだと思う。そしてそのことはエイズ禍の混乱で優先されたもの捨て置かれたものの判断にも繋がるような気がして、だからハーパーの南極の場面も、(どのように上演するかはまた別の問いとして)ちゃんとリアルなのだと受け止めなければなと。面白い視点をもらったなぁとほくほくして帰宅。
ゲイの登場人物が軒並み「おねえ」っぽい演技になってたの、いいのかなぁとは思いながら見た。難しいのは、この作品はベタな恋愛物語を確信犯的にやってるように思うからで、その意味でステレオタイプ的なものって単純に悪いとは言い切れない気がして。でも、コミカルなシーンになった時にあれ?と思うことは多く、笑いを作る上で踏み越えていいラインがあいまいになってる気はしたので、この演技は良しとしない方がいいのかもしれない。
俳優は正直ピンキリ。下手なのはもうしょうがないし下手な人ばっかりとも言わないけど、さすがに演技プランが共演者とちぐはぐなのでは?と感じる人はいた。ヘンリーとマーガレットで特にかみ合わなさを感じた。エリック役の福士さんは好演でした。
あとまぁ、これはイギリス版もそうだったっぽいので仕方ないのかもしれないけど、この話、美男子ばっか揃えないかんのですかね?こう少女漫画のようなキラキラキャスト感ってこの戯曲が求めるもののような気がしつつ、でもそういう華じゃないのが見たいんだよなぁと。これはそもそもの戯曲に感じる好みかもしれません。
『インヘリタンス』東京芸術劇場
面白かったけどいろいろ言いたいところが残る上演という感じ。致命的にダメなわけではないけど、細部の手の届いてなさは単なる未熟さではなく知識や理解が及んでいないからではないかと考えてしまう。そういう意味では新国のAiAの印象に近い。でも演出自体はオリジナルとの違いをちゃんと作れているのかなとも思う。(私は戯曲既読、ロンドン公演見れずですが、当時の写真や批評を見る限りでは)
やっぱ面白い戯曲だなと思った。ゲイ男性のみにフォーカスするところは全面的に乗れない部分もないではないんだけど(これは今回の上演とは別で、戯曲の話として)エイズの経験をどう現代で考えるかって部分のアクチュアリティは本当に上手い。ゲイとしての生の継承が家や場所(ウォルターのお屋敷だけじゃなくエリックの祖父母のアパートとかも)をモチーフに展開する部分は上演で見てクリアになった部分も大きい。
エリックが友人たちと政治の話をするシーンが好きで、政治や選挙が彼らの日常の一部としてちゃんとあるのが良いなと思う。ので、今回の上演でそこにたどたどしさが残るのは一番残念だった。
初日だし大長編だしとは思うけど、台詞嚙みすぎよ…。飛んだか?とヒヤッとする場面さえあったし…。
コンプソンズ『岸辺のベストアルバム!!』
千秋楽に当日券滑り込みで行ったんだけど見れて良かった。面白かったです。
幼稚園の息子が同級生で同じ名前、しかも自分たちも「夏」「秋」「冬」とそれぞれ季節が名前に入っていると意気投合したママ友たちが10年後歌舞伎町で奇妙な再会をし、ところでどうもその息子たちのうちの一人が14歳で殺人事件を起こした少年Aらしく、一方そのころその歌舞伎町で新しくできたホストクラブの店長と姫が新宿に巣くう魔物の話を語りだして…?みたいな導入から始まるファンタジー的な話なんですが、がっつりストーリー性のあるドラマをサブカル要素てんこ盛りのコメディにしてやり通すエネルギーと脚本の達者さが良かった。ザ・ポストモダンなテイストだと思うんです。第三舞台とか遊民社(NODAMAPパロディは実際に出てきてましたが笑)とか80年代小劇場のそれで。だから特にメタフィクション的なナラティブの作り方なんかは決して新しいというわけではないんだけど、きちんと令和のセンスにアップデートしてて(誉め言葉にはならないかもしれないけど誉め言葉として言うんですが)鴻上さんが今新作書くとしたらきっとこういう感じという印象。そういう意味では往年の小劇場というのか、戯曲の力と役者の勢いで見せてる快作でした。
『外地の三人姉妹』
めちゃくちゃ良かった。初演の評判を聞いていたし『かもめ/カルメギ』もとても面白かったから期待していたけど余裕でそれを上回るクオリティで。
日韓関係の政治的なテーマの描き方の素晴らしさはもちろん、チェーホフの原作の理解がめちゃくちゃクリアになるのが翻案として傑作だなと思う。
私、チェーホフ作品でしっくりこないことがたまにあって、その理由の一つは舞台設定が遠く感じてしまうことなんですよね。三人姉妹も、モスクワへの憧憬とか軍人の登場人物の多さとかが、自分の理解の範疇に上手く降りてこない感じがあるんですね。それが、翻案による設定変更によって見事に筋が通ると言うか、こう読めばよかったのか!って発見があった。
中でも三幕の火事の場面ってずっとよくわかんなかったんです。ただの事故以上に意味が取れなくて、というかもしかすると原作でもただの事故としてしか描いてないのかもしれないけど。でも、今回は火事自体は物語上は事故だとしても、それによって朝鮮人への差別が浮かび上がったり、軍人たちの精神的な圧迫感や戦況の悪化を匂わすドラマツルギー上のとても良い仕掛けになっている。ここは原作よりも良いなと思ってしまった笑。
東京の演劇、留学行く前は、退屈だなと思う時ももちろんあったけど、無理って思うことはごく限られた作品だけだったと思う。私の見方も変わったのだろうし、東京の演劇シーンも変わったのかもしれない。(作品の中身だけの話ではないけれど、やっぱりコロナ禍を経ての変化はこの一年とても感じた。)
あと、もしかして東京だけの話かもしれない?とはちょっと思っている。他の地域の作品を観れているわけではないのでこれこそ感覚的な判断だけれど、まぁここはもう個人の感想です、で済ませてください…。
最初の投稿の「自分の中で結構これはまずいんじゃないか」っていうのは、私の感覚がやばいかもって感じているって話です。まぁ開き直ってますが。
もちろん作品での表現は何やったって自由ですよ。でも私の留学中くらいから日本の演劇界でもPCとかハラスメント防止とか、あるいは社会問題への関心配慮があることをみんな表に出すようになって、それなのに?ってやっぱり思うんですよ。私はどちらかというと作家と作品は別と考えている人間で、だから自分でも矛盾していると思うけど、あなたの想像する世界の中に世の中のことそんなに入ってこない?ってやっぱり思っちゃう。意識的に切り離しているのかもしれないけど、だとすればその社会と関係を持たなくなってしまった作品をなんで私が(作家にしたら個人的な関係もなく世の中の一人でしかない私が)観なきゃいけないんだと思ってしまう。そういう作品に特別の説得力を感じられないな、と思いながら一年近く経った。
ただ、理由や根拠みたいなものを求めるようになってしまったのはイギリス演劇に慣れたからだなとは思う。イギリスの作品を理屈っぽいなと思うこともないではないし、ロジックがないからこそ日本の演劇が面白くなった側面もあるとは思う。だから出羽守にはなるまいというのは一番気を付けてる。でも、このまま東京の演劇に慣れたとしてまた楽しめるようにはなるかもしれないけど、だからといってイギリス演劇はダメだなという評価にはならないと思うんですよね…。
これはただの愚痴なんですが、帰国していわゆる東京の小劇場の若手、中堅と言われる世代の作品を観て、意味がよくわかんなくて帰ってくるということが観劇したうちの7割くらいの作品で起こっていて、自分の中で結構これはまずいんじゃないかと感じていたりする。でも、「愚痴」と書くように、そこにはちょっと開き直りもある。特定の劇団、アーティストがまるっとダメというわけでもなくて、同じ人の作品でもAの作品は楽しめて、Bはダメみたいなことも良くある。
一つはっきり原因が説明できるのは、いろいろなレベルでのナイーブさを私が受け付けなくなってること。本当に政治に興味ないんだろうかと思わざるを得ないぐらい、作中に社会性のあるワードが出てないことに苛立ってしまう。テーマどころではなく、言葉の一言レベルで出てこなくて、フィクションにしたって本当に作り手の頭の中にしかない世界じゃないかと思ってしまう。良く書けるなとさえ思う。
もう一つは、理由や背景がわからない演技や演出がとても多いこと。感覚的に動いた・話した、と言ってしまえばそれまでだけど、その直感的な選択にあなたの(政治的な)価値判断がないとはいえないでしょう、とは思う。単刀直入に言えば、身体障害にリファレンスがあるとしか思えない動きって帰国して何度か見た。
全然感想を残せてなくてあれなのですが、読書会はちゃんと続いてます。なので、読んだ作品の一覧だけでも。(前回のリスト https://fedibird.com/@navyblue85/109654077909524168
https://fedibird.com/@navyblue85/109654083522643757 の続き)
Eclipsed, Danai Gurira
Angels in America, Tony Kushner
The Inheritance, Matthew Lopez
The Motive and the Cue, Jack Thorne
Death of England, Roy Williams
Death of England: Delroy, Roy Williams
Ink, James Graham
スウィングキャスト回でしたが、満足して帰ってきました。でもアフタートーク聞いた後だと富樫役は本キャストでも見たかったかも。
アフタートークは杉原さん木ノ下さんに本キャストの岡野さん坂口さん。スウィングキャストの試みのお話でしたが、実験的で興味深い。ダブルキャストやアンダースタディとはどう違うのか気になってたんですが、キャスト固定で再演が重なる作品では新しいメンバーがいい刺激になるようだし、あとメンター的な若手俳優の教育的な側面もあるようなのが面白かった。(スウィングの俳優さんは義経弁慶以外の5役のフォローをするのだけどスウィングキャスト版の役柄として富樫と常陸坊海尊を中心に稽古されているみたいで俳優さん同士の交流も密だったらしい。)ウェストエンドとか商業演劇のアンダースタディは結構システマティックにやっていると思うけど、これはある意味で日本的な劇団制度の中で成立するような試みを思いつかれたのかなと思う。コロナ禍を経て代役問題が直面する中で良い制度を考える上でとても良い実験だったと感じました。
木ノ下歌舞伎 勧進帳
再演を重ねている作品ですが今回が初見。面白かったです。私の歌舞伎での初勧進帳は、富樫が実は山伏たちの正体を察した上であのやりとりをしているという富樫と弁慶の頭脳戦という解釈のもので(一緒に行った友人にこれはオーソドックスな解釈ではないという話は聞きました)勧進帳はそういう話だと思い込んでおり、だから今回の富樫の友達いなさそうなぼっちっぽい感じが新鮮に感じた。逆に歌舞伎の本流の解釈も気になったり。
頭脳戦解釈でいたので、国籍やジェンダーのボーダーラインという解釈はあまり思いつかなくてそれも面白かった。でも、勧進帳のボーダーは比喩としてとるなら国境や難民かなと思うし、偽装してそれを乗り越えるという物語にあまり詰め込みすぎない方がともちょっと思う。
義経の高山のえみさんのたたずまいが良かった。私の席からはちょうど目元が笠で隠れて口元だけが見えて、何を考えているかはっきりとはわからないんだけど、でも良い部下を持って満たされているような表情というのか。弁慶のリー5世さんも、いかつさとインテリジェンスと愛らしさが備わっていて魅力的。あと、番卒と義経の部下が表裏の関係のように見せてるのがとても気に入りました。ダンス的な部分でもここが綺麗。
あと、最近観たものだと捩子ぴじん『ストリーム』も良かった。コロナ禍の捩子さんの私生活を淡々と語るパフォーマンス。コロナという背景があって、結婚やお子さんが生まれたりというかなり大きなイベントがあって、でも語りは流れるように滑らかで穏やか。
コロナ禍を描いた作品って実は意外と出会ってなくて、私が単に見逃してるわけではなくてそもそも数がないと思ってる。イギリスでもほとんど見なかったし、日本でもたぶん少ない?それも、D.ヘアのようなガチガチに政治的メッセージを込めた作品ではなくて、毎日の生活という部分にフォーカスをあてたものは初めて見た。
私はコロナ禍で過ごした3年弱くらいをめちゃくちゃきつい時間だったと思っていて、何事もなかったみたいな生活モードに戻っていることにいまだに頭がバグりそうになるんですね。でも、囚われたままでは生活が回らないので普通なふりをするんですけど、ずっと「こうじゃなかったのでは」みたいなのが過ってる。留学と重なったことも大きいかも。そういう上手く吐き出せないけど抱えている思いを描いてくれた作品だと思って、今のタイミングで観れてとても良かったです。
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