保坂展人さんが旧Twitterで投稿してはった記事。
いや、都内に住んではる人が「東京は火葬代が高い。6万円もする」と言うてて耳を疑ったものだが。こんな値段、出せない人も多いんちゃうのか。焼くだけやで。これ。(通常即日火葬してもらえないので、他に保管料とかいろいろかかる)
しかも公営の火葬場が無いとか。滅多に利用しない人ばかりやから問題にならなかったのだろうな。
子どもやら身内やらに負担かけたくない年寄りは公営の火葬場があるかどうかも考慮せんとあかんなあ…
何でこんなんなっちゃったのかしらと思ったらこういうことらしいが。
>厚労省の通知では、火葬事業について「原則として経営主体は地方自治体」とする。全国の火葬場のうち99%が自治体などの公営で、料金は1万~2万円。これに対し、人口が密集し火葬場の新設が難しかった23区では、民間事業者が寺院など古くからあった火葬場を買収し、規模を拡大した経緯がある。
「戸籍を心に合わせる」という設定は一体誰が流布しているのか。
実際には「戸籍を実態に合わせたい」というニーズです。
メディアにおいても、性別を変更するということ、つまりその性別の一人として人生を送るということはどういうことなのか、人生に何をもたらすのかが全く語られていない。
下世話な興味本位のままに風呂やトイレばかりの話にされているが、現在の日本社会や国際情勢において性別が影響することには就職・転職の応募条件、賃金、昇進昇格、婚姻、加入できる保険、渡航やトランジットの可否(特にイスラム圏)、さらにはミソジニーやミサンドリーなど多岐に渡ります。
性別情報の変更を求める人にとって、移行した性別での社会生活を確立しているからこそ「情報の最適化」が切実なニーズとなります。
戸籍情報がプライバシー情報の暴露(アウティング)となっており、また日常の局面局面で過剰な負担や抑圧を繰り返し背負わされているわけです。
そしてこの社会生活の確立には手術は関係しません。
ある日突然思い立って手術し、翌日からその性別の一人として社会生活が成立するなんてことは無いのですが、こうしたことも思考停止してます。
こんな状況で今後もXに広告を出し続けようと思う広告主の感覚のほうが恐ろしい。
Xが広告主らを独禁法違反で提訴、「出稿をボイコット」と主張 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
どうも日本国内で米英の大使が示し合わせてスタンドプレーしてるだけな気もしてきたな。彼自身がシオニストの家庭に育ったシオニストの様なので、監視の目がないところで合衆国ではなくイスラエルの利益を代弁してしまうというのはありそうなことだ。
ラーム・エマニュエル - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ラーム・エマニュエル
どういう解答。
長崎式典欠席「把握せず」 米ホワイトハウス:時事ドットコム https://www.jiji.com/jc/article?k=2024080800235&g=int @jijicomより
これの第1回の参加者と運営スタッフ募集チラシが投函されてた。区のホームページでは募集してない様なので対象地域に撒かれたチラシを見た人が対象ということなんだろう。参加したいけどそれほど地域の事情に精通してるわけでもないからなあ。
(仮称)デザイン会議|杉並区公式ホームページ https://www.city.suginami.tokyo.jp/guide/machi/taiwa/publicdesignmeeting/index.html
式典を政治問題化するもので望ましくない、か。
問題化するまでもなく、めちゃくちゃ政治的なもんだろ。
世のお偉方は、政治的じゃない爆撃、政治的じゃないその被害者なんてもんがあるとでも思ってたのだろうか。
アメリカにて、民主党の大統領候補であるカマラ・ハリスから副大統領候補に指名されたティム・ウォルツ。政治家としてのキャリアを通じてLGBTQの権利を積極的に擁護してきました。2006年に下院議員選挙に立候補した際はミネソタ州が1997年に禁止した同性婚への支持を表明する公約を掲げ、知事になってからもトランスジェンダーの権利を支援する政策を打ち出し、性別肯定ケアのアクセスも保護。現時点で最も実績のあるLGBTQアライな政治家のひとりと言えます。 #LGBTQ
https://www.lgbtqnation.com/2024/08/tim-walz-is-an-ally-for-lgbtq-rights-you-need-to-know-about/
ガザ市民の状況はそこに生まれたというだけで原子爆弾を落とされた広島や長崎の人たちと同じだ。
大日本帝国もハマスも悪だろう。だから日本に原爆は落としても良くガザの市民を虐殺しても良いと。
つまり西側の論理というのはいつもそういうものだったということだ。
かつて我が国は「自衛のため」と言いながら侵略戦争を引き起こした。最後には何十万もの人々が、アメリカの原爆による無差別殺戮の被害を受けた。
79年前の広島と長崎で起きた事実が伝えるのは、どの国だろうとどんな状況だろうと、他国を侵略することや人々を虐殺することに、正義などひとかけらも存在しないということだ。
長崎での平和式典について「イスラエルを招待しないことを理由に不参加を表明した」、これまで国際の平和及び安全を維持しようとしてきたはずの諸国に対しては、改めて問わなければならない。
あなた方の謳う「平和」とは、いったい誰のためのものなのか?と。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240807/k10014540441000.html
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙