私は子どもの時に、父と母が「お前を絶対に軍隊のある国の子供にはさせない。戦争をする国の子にはしない。」って言ってくれたのをずっと覚えてる。両親はずっと反戦を掲げてきた。外国人差別にも、部落差別にも声を挙げてきた。PTAや私の部活の保護者同士の会食でも「寝た子を起こすな」と人権教育に差別の話題を持ち込むことに反対する他の親に対してもきっぱりと「そんなことはない」と話をしてきた。丁寧に対話をしてきた。私はそれをずっと見てきた。
父には選挙権がない。今は両親とも立派な高齢者。
私や私のように選挙権があって、自分で外に出て行って誰かと話す元気がある人間が諦めたら、抗うことをやめたら、社会的に弱い人たちから順番にその割を食う。
だから絶対にやめないぞ。自分の力が弱いのを知っていても、決して安易に人間同士を分断するような言説にのっかったり、他人を「あちら側の人間」として自分と違う生き物のように扱うことは絶対にしないぞ。
たまに絶望するけど、何度だって生き返るぞ。
誰かが絶望して起き上がれない時に私が、私が絶望して起き上がれない時には誰かが立っていてほしい。私はそれを連帯だと思ってる。
>> 今の社会のルッキズムの方向性
私も兵庫県の出直し知事選挙の結果を知ったとき、もし斎藤氏が若くなくて、自民党の麻生みたいなルックスだったら、どういう結果になったか、考えてしまいました。
米国の大統領選挙が州ごと間接選挙制度を今でも保っているのは、全国紙なんてなくて、写真すら普及していなかった時代、広大な国土で州を跨いだ選挙運動なんてできない。全国統一候補は無理なので、州ごとに勝敗を決めて、その代議員を連邦議会に送って、大統領を決めるという形式の名残りだそうです。当時はルッキズムが選挙結果に影響することなんて、あまりなかったのでしょうね。
今の映像メディア全盛時代に、米国では昔の制度が残っているところが、不思議ですね。間接選挙は、奴隷制があったため、人口は多くても有権者が少ない南部州が不利にならないようにとの配慮だったそうですが、公民権運動、有色人種に選挙権が与えられてから、60年代に起きた直接選挙への移行の機運も潰れたそうですし。
WIREDのTech Supportのシリーズで古田大輔さんが「フェイクニュース」をテーマにやってる回で「嘘の情報を信じている人に真実を伝えるのに効果的な方法は?」という質問があって、強く信じている人にそれは間違っていると伝えても相手はより態度を固くしてしまう(バックファイア効果)から、「どうしてその情報を信じようと思ったのか」と尋ねてみる方法が提案されていた。
https://www.youtube.com/watch?si=RuGAEQ_ul1z6AWUk&v=H5Yr3e3Z-5w&feature=youtu.be
まじでそれな!!!!
「女が作るとクラフトだが、男が作るとアートだ」
https://www.instagram.com/reel/DBV5_p7udBx/?igsh=MXB4enV3a2UyZDY3NQ==
アメリカにしろ日本にしろ、「何故みんなこんなにもアホで騙されやすいのか?」というところから始めるしかないだろうに、「民意ガー」「大衆蔑視ガー」と出発点に立つことすら拒んでいたら、我々は永遠に野蛮人のままだぜ…?
My translation 2:
続……
アサフ博士は、『ああ、こんな日が来る前にお迎えが来てくれていたらよかったのに。わたしの心の中で葬儀がおこなわれるような気分だ』と述べて、ご自身の感情をあらわしている。
この本のコレクション。集めた人自身よりも長生きするコレクション、生涯をかけ、友人経由で、またアラブ諸国や世界各国の首都を訪れるたびに1冊ずつ集めて構築してきたこのコレクションの持ち主の心境を、想像することがあなたにできるだろうか? 今、その人が直面しているのは、想像もできなかったことである。自身の子供たちの食べるものを買うために、そのコレクションを全部、火の中に投げ込むという選択を余儀なくされる、ということ。
ここガザでは、私たちは人としてのアイデンティティを少しずつ蝕んでいく非人間的な状況下で生きている。そんな中では、人は、道徳観念も倫理的な原則もすべてはがされてしまう。ここで起きているのは、人間の、自然の、本の、文化の、芸術の、歴史の、そして記憶の体系的な殲滅である。ジェノサイドを停止せよ!
……続
香菇蒸肉末。
しゃんぐぅづぇんろぅもぅ。
椎茸の肉詰め蒸し。
ひき肉に蓮根とねぎと生姜と椎茸の軸のみじん切りをこねこね。
もちもちジューシーなミンチと椎茸に、シャキシャキ蓮根で、おいしかったー。蒸してる間に皿に溜まるスープが、また美味しいのだな。
「ここにある一切は、小説の一登場人物によって語られているものと見なされるべきである。」―「彼自身によるロラン・バルト」扉表紙