南アフリカで20年も会社を経営しているのはすごいことだ、と言ってくれる人もいる。
でも、本当に自分ではそう大したことをしてきている、という意識は薄い。目の前の仕事を誠心誠意してきてはいる。でも、それは南アフリカだけではないしね。
結局、私は人に恵まれているのだ、と思う。困ったとき、なにか専門外の知識が必要なとき、私には頼れる知人・友人・スタッフがいるのだ。
自分の特技とはこういった人たちとつながること。以降の関係も大切にするし、私に寄せられた「これ知っている?」とか「助けてくれる?」には誠意をもって応えたいと思っている。
中庭でグワーンと頑張っているジェネレーターの音を聞きながら、ちょっと感傷的になった日曜の朝でした。2/2
ここ数日、なんで私は高度な生活スキルが必要とされる南アフリカでの生活がどうしてこんなに好きなんだろう、と考えている。
でも、私にそういうスキルがあるとは到底思えない。
昨日の大雨で私の住んでいる地域が停電。夜8時から10時の計画停電が終わってさらにメインの電気供給が無くなり、ソーラー発電のみとなっていた。で、真夜中にはソーラーの充電も切れ、真っ暗に。
今朝、今週末用事があって帰宅していた息子が、テキパキとジェネレーターを起動してくれているのを見てたらちょっとウルウルしてきた。生前の夫に本当によく似てきた。
途上国での生活スキルが高い人たちは本当にすごいと思う。亡夫も息子もこれに当てはまる。
自分でなんでも直そうと努力する。知らないことは勉強する、人に聞く、実際にやってみる。そうしてそういったことを確実に経験値として身に着けていく。
私はあんなに必死に電気工事の人に聞いて、自分で文章にして冷蔵庫のドアに張っておいたジェネレーターの使い方さえ、「え?それってどこのこと?これはどこにあるの」状態。😢 1/2
ここ数日間、おサルとの関わり合いについていろいろ考えている。
まず、私の家の周りは千の丘の谷(A valley of Thousand Hills)、と呼ばれる風光明媚なところで緑もいっぱい。おサルさんたちは集団で行動するので、この時期赤ちゃんをお腹に抱えたお母さんサルたちもたくさんいる。
最初は彼らが私の茅葺の車庫で藁を引き抜いて遊んでいて、それが構造体の一部を落下させて、真下にあった私の車を直撃。見事にフロントガラスが破損。
その後、私の寝室にも忍び込んだようで、ベッドもぐちゃぐちゃにされたり、お気に入りの壁掛け時計を床に落とされたり。
たまたま同じ集団だったかどうか分からないけれど、おサルさんたちの行動がエスカレートとしているのは確か。
で、昨日の悲劇。
ジャックラッセルとワイヤーヘアーテリアのミックスのピーナッツ君が、赤ちゃんサルをかみ殺してしまったんです。
呆然としているお母さんサルの姿が目に焼き付いて離れない。どれほど怖かったか。赤ちゃんサルもどうしてピーナッツの牙にかかったのかも不明。
野生のおサルたちと飼い犬たちの関係って、やっぱり難しい。
おサルたちがきっと必要に応じてさらに賢くなってきているのも実感する。
で、私が、「OOさん、何に対して謝罪しているんですか。そこの目的語をはっきりおっしゃってください」と静かに言ったら、瞬時に口調が変わり、「私を誰だと思っている?私が謝罪しているんだ。そのまま受け取れ」と。
「いやいや、それはできません。明確に、何に対して謝っているか教えてください」
電話の向こうでイライラしているのが分かる口調で、
「いまだかつて誰も私にこんな口を利いたことはない。なんて失礼なんだ」と。
「あの、謝罪の電話をかけているのはあなたですよね」
でガチャンと電話を切られた。
あの頃の私にいまのようなネットワークや知識があれば人種差別で彼らを公の場で謝罪させることができたのに、と思う。
南アには人種差別行動をレポートする組織だってある。
あの少女にきちんと心の傷を癒すケアが行われていたことを心から願う。そして、私たち大人たちはどんな些細なことでも大きなケースでも、差別する側をそのままのさばらせてはいけないんだと強く思う。
メダルをかけてもらえなかった少女のことをずっと考えてる。私は10代後半で米国・欧州に留学した後、夫の赴任でアフリカ各国を駐在した。留学時代を含め、その20数年間、記憶に残るような差別は受けなかったけれど、南アに移住して一年目に経験した。
契約を結んだ税理事務所でのこと。担当の税理士がメッセージをいくら残しても連絡してこない。事務所に抗議に乗り込んだら、秘書が彼に何も伝えていなかったことが判明。どうしてこんなことが起きたのか説明を求めた。
その説明に驚いた。彼の白人女性秘書が、「非白人からの指示は受けたくない」ってことだった。これ、民主化して10年経った2004年のこと。
でも、夫とも話したけれど、例えそれが真実だったとしても、クライアントである私たちにそれをそのまま伝えるのもものすごい人種差別だと思った。
その経理事務所には書面にて強く抗議。もちろん契約も違約金なしで解除。その数日後経営者より電話。謝罪したい、とのことだった。でも、その電話での口調が南ア白人男性の中にある既得権者としての嫌味がたらたら。で、どうも心からの謝罪ではないのが明らか。続く→
8月の終わりにDurban近郊の一番老舗であり人気のあるFarmers Market にラーメン屋台を出店。その第一回目は大成功。が、翌週に「急なんだけどスポットが」と主催者側に招かれて出店した土曜日が大惨敗。ファーマージマーケットは、そのポジションで勝敗が分かれる、という痛い教訓を学びました。😭
そこで、主催者側には「今度出店するときは、メインのFood Court限定にしてください」と頼んでいたのです。このMarket、なかなかの人気で、出店するには何年も待つ、ということも聞いていたので、8月に申し込んで8月に初出店はかなり幸運でした。
で、今日、このMarketより、常設の土曜日のFood Court のスポットのOfferが来ました!南ア人の好きなフレーズ、"We skipped the queue!" というヤツです。😂
どうも主催者側が私たちのラーメンをえらく気に入ってくれているようです。
毎週土曜日ということになるので、スタッフをどう休ませようかといろいろ考え中。でも、これがお弁当のお客さんにつながっていけば、すごく嬉しいです。がんばります!
南アの白人の女性で、主義も主張も職業もまったく違う友人がいる。彼女との共通点はお互いが経営者、ということぐらい。もっとも彼女の会社は組織ももっと大きくて、売り上げなんかは到底足元にも及ばない。扱っているプロダクトの原価が数百倍なのだから当然のこと。でも、そんな彼女は私のことを信頼してくれている。
ヨハネスの病院にいるお姉さんが肺がんのステージ4で彼女がお金に糸目をつけないで検査やら新薬やらを試している。
今朝、ちょっと時間を見つけて彼女の家に行って様子を聞いてきた。
お姉さんが医者に聞いたらしい。「治療が難しくなったら私に訪れる死ってどんな形?」と。医者は「脳溢血か心臓麻痺」と。
気丈な友人が倒れそうだった。私は傍らでハラハラと泣くだけ。声もなくただ涙が流れる。
私の涙をそっとぬぐってくれて、「うん、そうなったらね、早く安らかに逝って欲しい」と。
そのあと、私は予定していたマーケットリサーチの仕事に行ったよ。一人で車を運転してね。
なるべく痛みがとれますように。少しでも彼女の好きな果物が食べられますように。
私ができることをがんばって、また彼女のところに行ってこよう。また、一緒に泣いてこよう。
こんなことが大切なんだ、ということが身に染みる。
日本の実家の近所で自死された方のご遺体が見つかったと妹から連絡があった。9月の最初の週はは子どもたちにも大人たちにもそういう傾向があるという。
どうか気持ちを切り替えて欲しい。
私でよかったら遠いけど居候にでも来て欲しい。話を聞くよ、と伝えたい。生きていればきっと何とかなる。美味しいご飯を食べにおいで。🙏
ここのところ、毎日毎日、ラーメンの研究?をしておりました。今度の日曜日に、近所のファーマーズマーケットで、ラーメンと手羽先のお店を出店します。
いくらお弁当を商いにしているとはいえ、ラーメンを販売するというのも相当な根性だと思います、はい。😅
南アにはまだまだラーメン店だけで営業しているお店はほとんどありません。ヨハネスやケープタウンにはあるのですが、スープが熱々ではなかったり、日本人が満足するまでは行っていないというか。
でも、お母さん料理の腕しかないくせになぁ、と思いつつも、やってみるものですねぇ。お土地柄、ヒンドゥー教やイスラム教の方々が多いので、使えるものは限られていますが、ハラールの鶏と昆布を使って白濁の美味しいスープが出来上がりました。
麺はいまだ研究中。残念ながらまだ納得のいくものは未完成。ただ、スタッフの彼女たちがそう苦労せずに作っていける方がいいので、今回は入手できる美味しいパスタを重曹でゆで上げる形で。
具材もチキンとポークのチャーシューも味が決まったので、あとはひたすら量産体制に入るばかりです。量産って言ったって、たかだか150食くらいですが。😅
さあ、当日、どうなるでしょう!体はかなりくたびれてきていますが、ワクワク感は止まりません。楽しくて忙しい毎日です。
日曜日の明け方べッド(高さ110センチ)から転落して、背中と後頭部を強打。お昼に大切なお客様をご招待していたで、鎮痛剤を飲みながら料理、接待。何とか乗り切ったんだけど...。🤔
月曜になってもへんな頭痛が消えないので、GPへ。GPがERに行って、Trauma Doctorに判断してもらい、必要だったらスキャン取ってきて、と。
2時間待って診察受けた。脳外科的には問題ないが、痛みは最悪の場合、4~6週間も続く可能性ありと。
4日目の今日もまだまだ頭痛もするし、全身が痛い。
「年取って転ぶな」を本当に肝に銘じねば。😢
でもね、転落の原因は、私のベッドの上で寝るワンコ2匹。端っこに狭苦しく寝ていたのよね。しかも、その一匹と私が大きな犬に追いかけられたいる夢をみていたのですよ。やれやれ。😅
記録的な熱波のローマ。何の因果か、そんなときにローマにいるんです。😂
娘の家族のフラットはローマ市内でも広い方だと思うし、5分もしない距離に公園や森があって、住環境はとってもいいのでは?と想像している。
が!イタリアのフラットって、エアコンがあまりついていないのですよ。4ベッドルームにキッチン、ダイニング、リビングの180平米のところにご臨終間際の旧式のものが一つだけ。さすがに、先週の週末にポータブルのエアコンを一台購入し、それで何とか扇風機と一緒に暑さをしのいでいます。
娘の夫は自宅での仕事。ということは、エネルギーの有り余る11月で3歳と、現在歯が生え始めていてややご機嫌斜めの8ヵ月の赤ん坊、SPCA出身の臆病者ルポちゃんを連れて、涼しいところを探して放浪の旅に。そうです、朝早くから毎日が遠足です。
今日は、彼が外のカフェに朝から数時間でかけてくれていたので、自宅で過ごせました。
まもなく3歳児は9月から学校(幼稚園)が始まるので、それまでの辛抱かな。
寝つきのよい私。10年くらい前までは、ベッドに入って眼をつむり、次の瞬間は朝、というシアワセな人生。
その私が深夜零時に目が覚めた。理由が分からず水を飲む。心が落ち着かない。ふと携帯を見ると米国の妹分より着信が。
20分くらい前のそのメッセージには、米国の父が危篤状態だと。
実は、その数日前、現在滞在中のローマから彼がいるパームスプリングスへ移動しようか真剣に検討していたのだ。が、そうしているうちに自分の血圧が上がってしまって、娘夫婦に移動案は断固反対されて断念していた。
妹にお祈りしているよ、とメッセージを送る。
そして彼女からの次のメッセージは彼が他界したと。
ちょうど私が理由なく深夜に目覚めた頃だった。理由はあったんだね。
もう数ヶ月間意識が戻ったり、戻らなかったりだったのに、最後に私と電話がつながった時はそれこそ昔の彼そのものだった。
上唇をちょっとあげて、
You can come if you cook!
って。
奇跡だよね。
Life is a gift
10代後半から半世紀もの長い間、米国のお父さんをしてくれたジョージ。
もう痛みもないね。先に逝ったベバリーたちと好きな赤ワインを飲んでてね。そちらに行ったら、二人の大好物のトンカツつくるからね。
6月の末からローマに滞在中。暑い!冬のダーバンからの移動はつらい。だって、ダーバンは真冬でも日中は25度くらいに気温があがるのですよ。
でも、8ヶ月と2歳9ヶ月になるgrandkidsが可愛すぎる。寝返りを始めた弟、言葉をセンテンスでしゃべり始めた兄。
兄の言語表現を聞いていると、つい職業的に興味津々。例えば、自動詞と他動詞の使い分けなど、自然に自動詞がでてきている。どうやってこういう選択をしているのかなぁ。彼は英語が7割、日本語が3割といった感じ。娘が本当にがんばって日本語で話しかけている。
お母さんは「おかーしゃん」、これ、どれだけ大変かわかります?小さな人たちには、「ママ」とか「マミー」が言いやすいよね。でも、がんばって、「おかーしゃん」定着しています・お父さんはヘブライ語で「アバ」。問題の私ですが、「ばーちゃん」になってしまいました。😂 せめて「おばあちゃん」がよかったんだけど、ローマ中に響き渡るような大きな声で、「ばーちゃん!!」と呼ばれています。楽しいねぇ。🥰
A Japanese living in Durban South Africa.
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