年金請求書の用紙がひどい。記入すべき箇所と記入してはいけない箇所が色で示されているんだけど、薄い山吹色と薄い黄色で、両者の差異がほとんどない。色覚に障害のある人のことが全く考慮されていない。明度もほぼ同じだから弱視の人も困るだろう。公的機関がこれって…(呆)
前にTwitter にも書いたことですが、中高生、大学生が福島第一原発事故についてちゃんと知ることができる書籍がないです。岩波ジュニア新書か、筑摩プリマー新書から信頼できる著者によるものを出してもらいたい。漫画の「いちえふ」や映画の「Fukushima50」ではダメだと思う。どんなことかが起きたのか、なぜ東電の事故が福島県で起きたのか、若い人たちがちゃんと知る機会が必要だ。
(国会事故調の報告書があるが、この年代の人たちには少し難しい。)
見てる人がほとんどいないここで吐き出すわ。
今仕事で関わってる小学生に、自分の思うようにならないことに直面すると、感情を爆発させて手当たり次第に物を投げつけたり、その場から逃げ出したりして、ほとほと手を焼いている子がいるのだけど、先日は大暴れするその子の対応をしていた学校の担任が、角膜に傷を負う怪我をしてしまった。前から職場の責任者に、専門家の診断を受けて支援につなげるよう保護者と話し合いをもってくれと訴えていたのだけど、とうとうこんな事になってしまった。今回の事件でやっと学校は動きだしたけど、遅いんだよ!去年、入学したときからちゃんと対応していればよかったのに。1年をただ無駄にしたよね。ほんと、現場の負担を考えてほしい。保護者からのクレームに怯えてなぁなぁにしていた管理職の責任は重いよ。
日本、食べ物関連であればどこぞの風習を採用して独自に発展させて定着させる率が高い印象ある。バレンタンとかクリスマスとか。恵方巻きとかも。
サン・ジョルディの日がいまひとつ盛り上がらなかったの、バラと本だからなのでは……これがなんかの食べ物だったらまた変な方向に発展して根付いたのでは……とか思っちゃう。
花祭りも甘茶ってところが地味で商業的にスルーされてるのかな
僕はしつこいので言い続けますが、「アベノマスク」って、一体何だったのか。
結論はもう出ていますが、効果もなく、金だけかかったアレ、後世で「疱瘡よけのお札に等しい」と言われることだろう。まさか「政治と宗教」のヨコシマな繋がりがこんな形でも現れるとは(笑)。一言で言えば、大規模なおまじない。でも、多くの国民が「痛いの痛いの飛んでいけ〜」みたいにその「おまじない」をある程度支持したんだよな。
ふと、ローテルムンド先生の『疱瘡神:江戸時代の病いをめぐる民間信仰の研究』(岩波書店、1995年)を手に取った時、思い出したくもない天下の愚策を思い出したので、ここに書きつけます。
日本はイジメがあったり、社会として冷たい部分が多いけれど、介護や医療部門には、本当に聖職者よりもずっと使命感と愛に満ちている人たちがいる。在宅での父の終末ケアを手配をする際に、日本の医療と介護システムの進化とそこで働く人たちの仕事ぶりを見る機会があったのですが、「こんなに素晴らしい人たちが日本にいたのか?」と感嘆するほど素晴らしい人たちばかりだった。医師、看護師、薬剤師、医療ケアマネ、介護ケアマネさんらがチームを組んでの連携プレー。最期まで父を「個人」として、本人らしく暮らして死ねるように全力をかけてくれ、父を在宅でケアする我々にも目を配ってくれた。今でも思い起こすと、有難さに涙がでる。他人にあんなに優しくされたのは初めてでした。ひろゆき氏とかホリエモンとか、あるいはSNSのインフルエンサーを持ち上げる社会でなく、他人の人生を本当の意味で豊かにしてくれる人たち持ち上げる社会にすべきだと思う。「カネカネ権力」と違う価値観をどうすると推進できるのでしょうね。人生の最期は資産額でなく、自分は人の役に立てたかがどうかが気になるそうです。自戒を込めて、この教訓を忘れないようにしない、と。
SPY×FAMILYマイナンバーカードを普及するためのエサになったの知って軽く心が折れそう。私は該当作品を履修してないのでファンというわけではないしそういう意味でショックだってことじゃなくて………………だってこれが「インフルエンサーを使った世論の誘導(しかもめちゃくちゃダイレクトなやつ)」じゃなくてなんなのよ。こうやってプロパガンダに利用されるしか生き残る道はないわけですか。日本の文化芸術。あのちゃんと金がかけられたサイト。つっっっっっら。
https://mynumber-pr2.digital.go.jp/
これは知りませんでした。
この文化度。
17世紀から権利として認められている、バレエダンサーが42歳で年金を受けられる制度を、マクロンが64歳まで引き上げようとした事に対するストライキの一環で、パリ交響楽団のバックアップのもとオペラ座前で白鳥の湖のパフォーマンスを行ったと。
2019年の出来事。
これ、とても洗練されているだけでなく、交響楽団だけでなく様々な人々がバックアップしないと成り立たないわけですよね。
いやあ、文化とはこういうことかと、改めて感じさせられます。