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沖縄の出版社・ボーダーインクさんより入荷したての、新刊2冊。
①「我が内なる沖縄、そして日本」大濱聡 著
②「野草がおいしい おきなわ 野の薬草 基本料理レシピ」大滝百合子 著
どちらも沖縄ならではの、ユニークな”県産本”です。
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①:著書は1948年生まれ、日本復帰前の1967年にNHK(東京)に入局し、報道やドキュメンタリーの番組を制作してきた方。
内容は、仕事を通して外から沖縄を見てきた経験談や、生まれ故郷・石垣島での思い出、雑誌に連載した時事コラムや書評など。
昭和〜平成の沖縄を、硬軟とり混ぜ綴るエッセイ集。
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②:沖縄の野草に着目したレシピ集。
フーチバー(ヨモギ)・センダングサ・ニガナなど、”ぬちぐすい(命の薬)”とされる21種類の野草が、サラダやスープ・リゾットやキッシュなどのお洒落な料理に。
野草ごとの効能や食べ方、外見の特徴や生育場所も解説。
著者の野草研究の知見が詰まった一冊です。
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(→続き)
日本兵から手荒な真似をされないよう、父親の言いつけで少女の格好をしていた事。
表情がうつろなのは、食糧を奪おうとした日本兵から暴行を受け、目・腕・頭に大怪我を負っていたため。
また米軍はこの写真を撮る際、壕にあった血まみれの服を用意し、わざわざ着がえさせたという話も。
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幼い”少女”までも殴って、食糧を奪った日本兵。
血のついた服で、悲惨さや自らの善行を強調する写真を撮った米軍。
住民を巻き込んだ「地上戦」で、沖縄の人々は軍隊の欺瞞や醜さを身をもって経験しました。
その証言には、私達が知るべき戦争の暗部が刻まれています。

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大田昌秀著①「これが沖縄戦だ」(1977)。
表紙の女の子は1945年6月に米軍が撮影、”うつろな目の少女”として有名に。
ところが後に、大田氏は生きていた本人と面会、実は女装した男の子だった事を知るのです。
その驚くべき逸話が②「沖縄戦を生きた子どもたち」(2007)に記載。
(続く→)



ウクライナやパレスチナで多くの住民が殺戮される事態に、非人道的だとの声が上がるのは当然でしょう。
しかし沖縄戦を振り返れば、戦争の現場で軍隊にルールや人道など期待できない事、巻き込まれる住民にとって敵軍だけでなく友軍も恐ろしい加害者となる事は、明白です。
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10代半ばの少年がスパイや特攻をさせられた鉄血勤皇隊・護郷隊。
3600人もの住民が死んだ、強制疎開によるマラリア禍。
住民を殴って食料を奪い、壕を追い出し、スパイの濡れ衣で斬殺した日本軍。
農民に偽装した日本兵や、女性や子どもからのゲリラ攻撃に怯え、捕虜にすべき住民まで殺した米軍。
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沖縄戦や戦後の米軍統治から現在まで、沖縄の人々がどれほど生命・財産を奪われ、人権を踏みにじられ、非人道的に扱われてきたか。
海外の戦争のみならず、私達には沖縄という見つめるべき対象がすぐそばにあるというのに、いつまで目を逸らし続けるのでしょうか。
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来週の金曜からです!
「ライオンロードⅢ」若山大地 石獅子展、まめ書房にて開催。
スフィンクスからシーサーまで、世界各国の獅子達が石獅子となって登場。
10/20(金)~25(水)
11:00~19:00 期間中無休
作家在廊日:21(土), 22(日)
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10/22(日) 16:00〜は「石獅子探訪記」のトークショー。
若山大地さん・恵里さん(ZOOM参加)夫妻による、石獅子を巡るお話会です。
若干空席がございます、まめ書房までメールでお申し込みください。
料金¥600・ドリンク付き
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→ 書籍「那覇10.10大空襲」は、膨大な資料を収集・研究して空襲の全容を浮き上がらせた、大田昌秀氏による力作。
米軍の作戦地図や司令官の証言から、綿密な計画とその狙いが浮き彫りに。
また日本軍の記録からは、警戒不足や無謀さ・傲慢さが見え、住民の体験談からは、混乱と恐怖が伝わります。
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「戦禍を生き延びてきた人々」は、50名を超える沖縄戦経験者の証言集。
10.10空襲の爆撃時間や被害状況の図解も掲載。
他に、強制疎開によるマラリア禍やスパイ嫌疑による住民虐殺など、日本軍による加害の証言も。
その実態がどれほど悲惨でも、私達は沖縄戦を何度でも学び、共有すべきでしょう。

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79年前の今日、沖縄が未曾有の大規模空襲を受けていた事をご存知ですか?
1944年10月10日に米軍が行った、通称「10.10空襲」です。
早朝から5回、のべ1,000機以上の艦載機による無差別爆撃により、那覇市街の9割が焼失。
攻撃は奄美・宮古・石垣まで及び、日本軍の港や空港が壊滅しました。
(続く→)



沖縄の雑誌「porte」最新号のVol.40が入荷しました!
特集は”沖縄の秋を楽しむ。小さな本屋、秋のさんぽ。”
沖縄に近年オープンした個人経営の書店と、散歩がてら立ち寄りたいカフェやレストランを紹介しています。
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登場する書店は、八重瀬町「くじらブックス&Zou Cafe」や那覇市「古書ラテラ舎」、うるま市「本と商い ある日、」、北谷町「砂辺書架」、沖縄市「波止場書房」…などなど。
いずれも個性的な店主さんが、それぞれの想いを持って営む素敵なお店です。
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沖縄旅行の際に本屋さんに立ち寄って、地元ならではの”県産本”や珍しい古書を手にするのもオツなもの。
本との出会いが、忘れ難い旅の思い出となるでしょう。
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昨日(10/8)、那覇にて世界最大の綱引き「那覇大綱挽」が行われました。
4年ぶりの通常規模での開催となり、人出は27万人を超えたとか。
こちら新城和博さんのエッセイ「来年の今ごろは」(2023年刊)でも、那覇大綱挽について触れ、この盛大な”祝祭空間”への想いが綴られています。
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綱引きは元来、農村の豊作祈願の行事ですが、都市である那覇では、琉球王朝や那覇市政の慶事の祭りとして続いてきたそう。
1935年を最後に一旦途絶えるも、沖縄戦を経て日本復帰直前の1971年に復活。
開催日は1944年に那覇が大空襲を受けた10月10日とされ、復興への意気を示しました。
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新城さんは小学生の時、この36年ぶりとなる那覇大綱挽に参加。
「来年の…」に、その様子を書いた当時の作文が引用されていて、人々の喜びと熱狂が目に浮かびます。
また同書には「与那原大綱曳」の観覧記もあり、新城さんのユーモアを交えた語り口から、地域の綱引きの個性と楽しさが伝わります。
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先日までの暑さから急に肌寒くなり、体調が優れない方もおられるのでは?
そんな時には温かい「実からうまれた月桃茶」で身体を温めてみては。
沖縄では「サンニン」とも呼ばれる月桃は、独特の甘く爽やかな香りが特徴。
その鎮静効果で心も落ち着けてくれるでしょう。
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月桃は抗酸化作用のあるポリフェノールが豊富なうえ、その実(種子)は亜鉛も多く含み、漢方薬にも用いられてきました。
亜鉛が不足すると味覚障害になるそうなので、おいしく手軽に亜鉛が取れる月桃茶は、ありがたい飲み物です。
沖縄で古くから親しまれてきた月桃の風味を、ぜひお試しください。
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1948年、沖縄戦による養豚の壊滅で食糧難に喘ぐ沖縄を救済しようと、ハワイの沖縄系移民が550頭の豚を集め、船で沖縄へ届けました。
こちら「海からぶたがやってきた!」は、この実話を元にした児童向けノベル。
大きな文字に豊富な絵と写真で、豚を運んだ7名の移民の活躍が描かれます。
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船中での飼育の苦労、嵐や機雷の危機。
移民達の“沖縄のために”という意志の強さ。
読みやすい文章で語られる内容は、大人が読んでも感動的です。
画家でもある著者の下嶋哲朗氏は、90年代には忘れられていたこの豚の逸話を自ら調査し、本書を書き上げました。
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後書きで著者は、沖縄の膨大な基地の存在を否定し、沖縄に注目して「考える習慣」を持ってほしいと説きます。
しかし、考えず従う事に慣らされ、考えて物申せば嘲笑される今の日本。
”「考える習慣」が意志を育て、生きる力となり、歴史をも変えうるのです”という著者の言葉を噛み締めたいです。
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沖縄から、ZINE「うみかじ」5号が届きました。
内地生まれの”うみ”さんが単身沖縄に渡り、辺野古をはじめ社会問題の現場に立って、その体験を綴ったフリーペーパー。
虚飾の無い真摯な言葉で語られる想いが、読者の心にまっすぐに向けられています。
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今号の「日記」は、1ヶ月にわたる韓国滞在の様子が中心に。
各地の朝鮮戦争にまつわる記念館や博物館、「戦争と女性の人権博物館」「西大門刑務所」などを訪れ、見たもの・感じた事が詳しく書かれています。
平澤の米軍駐屯地でのヒリヒリとした緊張感など、痛いほどに伝わります。
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辺野古でも韓国でも、人々の目を見て語らい、その声に懸命に耳を傾けるうみさん。
日本各地や韓国とも繋がり、多くの友情が生まれたようです。
沖縄への冷酷さをもはや隠そうともしない今の日本で、自分達に何ができるのか。
重く苦しい状況の中、うみさんの行動と言葉に勇気をもらいました。
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この表紙の迫力!
こちら「多幸山」は、同名の沖縄芝居の劇画化作品。
漫画の作者・新里堅進氏は、壮絶な沖縄戦を描く「沖縄決戦」や自然と人間の重厚なドラマ「ハブ捕り」などの作品で高く評価され、今年でデビュー50周年を迎える重鎮です。
さっそくページをめくってみると、驚くことに…!
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なんと、フキダシの中の台詞が全て、沖縄芝居と同じウチナーグチ(沖縄語)で書かれています。
そして不慣れな読者のために、フキダシを上下に区切り、”標準語スーパー”を添えるという斬新なスタイル。
沖縄芝居ならではの会話の雰囲気や、台詞の情感を再現しようという意図でしょう。
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原作脚本の真喜志康忠氏は、人間国宝にも選ばれた戦前戦後の沖縄芝居の大スターであり劇作家。
物語は、多幸山で山賊に襲われ、家宝の刀を奪われた挙句、成り行きで山賊の弟を殺めてしまった男にまつわる因縁話。
新里氏の熟練の劇画で、沖縄芝居の魅力を堪能できる、実に贅沢な作品です。
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去る9月26日、琉球ガラスの名工・稲嶺盛吉さんが亡くなられたとの事。
稲嶺さんは1940年那覇生まれ、15歳でガラス職人の道へ。
流れるような気泡を活かした斬新な作品を生み出し、1994年に国の「卓越した技術者(現代の名工)」に選ばれた他、国内外で数多くの賞を受賞しました。
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焼け野原となった戦後まもない沖縄で、米軍人が捨てた飲料の廃瓶を再利用し、彼らの需要に応えるパンチボウルやガラスの造花などが作られ始め、泡の混入した琉球ガラスのスタイルが生まれます。
稲嶺さんはさらに独自の工夫を重ね、繊細かつダイナミックな作風を確立、琉球ガラスの第一人者に。
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作品集「炎」や「ほむらとわざ」では、その有機的な美しさを堪能できます。
また「稲嶺盛吉伝」は、稲嶺さんの生い立ちや作品創出の経緯、本人・家族・弟子達へのインタビューなどを収録。
美の追求も工房の経営も、苦労を重ねて歩まれたその人生が、戦後の沖縄の歴史と重なります。
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すみません!投稿冒頭に誤りがありました。
誤:沖縄で70年続く
正:沖縄で60年続く
お詫びして訂正します。

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沖縄で70年続くラジオの人気番組「民謡で今日拝(ちゅううが)なびら」。
そのプロデューサー兼司会者を務めてきた上原直彦さんが、9月29日をもって番組を”卒業”されたそう。
上原さんは沖縄の伝統芸能全般に造詣が深く、沖縄芝居の脚本や民謡の作詞も手がけ、その発展に寄与してこられました。
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また沖縄を代表する多くの唄者や役者と、長年の親交がある上原さん。
著書「ふるさとばんざい」や「島うたの小ぶしの中で」では、そんなレジェンド達の逸話や、沖縄の芸能文化への想いが、ラジオでの語りそのままの軽妙洒脱な文章で綴られています。
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20年以上も前、私(店主)が沖縄旅行中に乗ったタクシーのラジオから、偶然聞こえてきた民謡番組。
軽やかなウチナーグチ(沖縄語)のトークを聞くうちに、より深い沖縄音楽の世界への扉が、開かれていくような気がしました。
その番組こそ、上原直彦さん司会の「民謡で今日拝なびら」だったのです。
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沖縄・大宜味村より、二つの美味しい味が届きました。
大宜味名産・シークヮーサーの酸味が引き立つ「シークヮーサーバター」。
希少なカラキ(沖縄シナモン)を贅沢に使用した「カラキ ソイミルクキャラメル」。
どちらも添加物を使わず、丁寧に手作りされたスプレッドです。
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トーストやパンケーキに塗って良し、アイスクリームにかけても良し。
シークヮーサーバターは、ポークソテーなど肉料理のアクセントにも。
カラキソイミルクをホットミルクに溶かせば、甘いシナモンの香りがいっぱいに広がります。
美味しくて健康的、沖縄の自然の恵みを、ぜひお試しください。
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今日(9/29)は旧暦の8月15日、十五夜。
沖縄では「フチャギ」というお菓子をお供えする風習があります。
こちら①安次富順子著「琉球菓子」(2017刊)と、②沖縄タイムス編「おばあさんが伝える味」(1979刊)に2種類のフチャギが載っているので、ご紹介しましょう。
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①に掲載のフチャギは、伝統的かつ今も一般的なスタイル。
餅粉から作った楕円形の餅の表面に、茹でた小豆を沢山まぶしたお菓子です。
②には、珍しいタピオカフチャギが登場。
戦中戦後の食糧難のおり、餅米が無いのでタピオカ澱粉で餅を作り、代用としたのだそう。
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タピオカは畑の土が痩せるため、戦後沖縄での栽培は終息。
この本でタピオカフチャギを紹介しているおばあさんも、”今はタピオカを知らない若い人が多くなりました“と。
まさかそれから40年も後に、全国の若者の間でタピオカがブームになるとは、当時誰も想像できなかった事でしょう。
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【10月のスケジュールのお知らせ】
🟩10/20(金)~25(水):「ライオンロードⅢ」若山大地 石獅子展(期間中無休)
🟧22(日):書籍「石獅子探訪記」トークショー(16:00〜17:00/予約制)
どうぞお楽しみに!
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OPEN 11:00〜19:00
神戸市東灘区岡本1-12-26 マンション藤105
定休日 水・木曜/Tel. 090-8209-3730
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鹿児島県にあっても、文化的には琉球からの影響が強い奄美諸島。
こちら「奄美の長寿料理」は、そんな奄美の郷土料理を紹介する本です。
地元の野菜や魚介・肉・調味料などの食材と、それらを使った料理のレシピ148品を収録。
またお菓子や行事料理・調理道具なども、豊富な写真付きで解説。
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沖縄と似た豚やゴーヤーの料理がある一方、フル(ニンニク)の葉やツワブキの料理・鶏飯やうどんの炒め物など、奄美ならではのメニューも続々登場。
鶏飯は薩摩の役人の接待料理だった事、うどんは戦後メリケン粉の配給を機に主食として用いられ始めた事など、その歴史的背景も説明されています。
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奄美出身の著者・三上絢子氏は、奄美の歴史や経済・儀礼などに関する著書や論文を多数上梓。
この本も、地元の方からの聞き取りや現地調査を重ね、自身でも調理するなど、研究を重ね書かれたそう。
まさに、奄美の食文化の全てが盛り込まれた労作です。
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