bluesky、距離の取り方はいろいろだと思うけど、いまのところ「白饅頭、青識、暇、めいろま、dada、手、もへもへ、jiji、ひよりといったデマゴーグの扇動やがいないとツイッターは比較的平和」という感じになってますね…。細かく見るとトランスヘイターもオルタナ右翼も引用冷笑家も入ってきてるんだけど、それがツイッターと違って嵐にならないし、政治の話をしても特に荒れない(そもそもあまり政治の話がでないのだが、まったくないわけではない)
FediverseとはActivity Pubという共通の仕組みを通じて相互に通信するサーバー群の総称です。
MastodonやMisskey、Pleroma、TumblrやWordPress等々、いろんなサービスを使ったたくさんのサーバーが連合しています。
Twitterのように一社が一括して管理しているわけではないため、各サーバーに個性があります。
逆に、統一的な動作は苦手です。
自分のいるサーバーでの見え方と他のサーバーからの見え方は随分違ってきます。
特に注意すべきは投稿の削除です。
パブリック(Misskeyの場合は"連合あり")で投稿したものは、繋がっている各サーバーに向けて直ちに複製され配送されていきます。
そのため、削除が不完全になるのです。
投稿の削除は同じサーバー内でなら有効ですが、他のサーバーには残るものだと思った方がいいです。
また、投稿は暗号化されていません。
サーバー管理者はDMであろうと読もうと思えば読めます。
悪意のあるサーバーが紛れている可能性もあります。
個人情報は書かない。漏れてマズいことは書かない。これが大原則です。
ここに顛倒があります。安倍に批判的だった側の方がむしろ安倍の死に意味を見出そうとし、安倍を称賛していた手合いに限って安倍の死を無意味化しているかのように思われてなりません。もっとも、世の問題を指摘すること自体を攻撃してなかったことにするのが、もっとも「安倍的」かもしれませんが。
私がかねて思っているのは、安倍的な社会の分断というのは、社会に問題があると声を上げると、声を上げた行為自体を権力に仇なすものとして攻撃することで、問題自体がないかのように思い込めるのではないかということです。これは長谷川晴生さんの指摘に想を得ています。
https://twitter.com/hhasegawa/status/1245818580660301829
社会問題を指摘する連中は「偉そう」「上から目線」だ、と「叱られる子供」に逃げ込むことで、その問題はノイジーマイノリティーの「利権」なのだ、と問題自体を拒むのです。問題があると声を上げる当事者はそのイシューでは弱者なのですが、「弱者は弱者らしく多数派のお恵みを乞え」というわけです。
ただ一年経って、親がカルトにはまってしまった子供の救済はある程度進んだにしても、統一協会との絶縁は、なんだか曖昧に済まされてしまいそうな懸念があります。どうせこれで自民党が下野するわけでもない、という下心―遺憾ながら正しいでしょう―でもあるのか、これまでの癒着への反省は見えません。
先ほど安倍をめぐる言説に論理の顛倒を感じたと述べましたが、ここでもまた顛倒があるように私には思えるのです。統一協会との悪縁を過去に遡って清算せよ、との主張は、それ自体は紛れもない悲劇である安倍銃撃を、少しでも前向きな意味のあるものにしようとすることではないでしょうか。
ところが、安倍支持の連中が往々、統一教会追及を「信教の自由がフンダララ」とやめさせたがるように思われます――安倍支持者なら普段は、人権追及を我儘と切り捨てそうなのに。しかしそれをうやむやにしては、それこそ安倍は何のために死んだのか、カルトの恐ろしさを命と引換えに教えてくれたのに。
もうじき発売の新書『トランスジェンダー入門』はもちろん何も知らないがゆえにトランスジェンダーを差別する人や、差別したくはないという多くの(シスジェンダーの)人に読んでほしい
けれども、私はおそらく一緒に書いたゆと里さん以上に、「かつての自分」のような読者を想定しているのだと思います。言葉をもたない、お金もない、情報網もない、トランスジェンダーの当事者やそうかもしれない人たち。身体をどうにかしたいけれど医学的な治療って何するの?とやるべきことが見えない人、親や先生に説明できずに言いくるめられて苦しい思いをしている人、誰も味方になってくれないと世界に憎しみを抱いている人、自身もトランスフォビアでいっぱいの人…..。そんな人たちに届くといい。
【ここまで読んでくれた方へ】
ということで、各地のジェンダークリニックやバー(新宿2丁目以外でも)など、情報があった方が良さげな場所をご存知でしたら、本を送りたいので教えてください。ココへ返信でも、ブログ「周司あきらの自省録」メールからでも。
(続き)自分の感想。Twitterでは、エンゲージメント重視のアルゴリズムやそれに適応したコミュニティによりヘイトスピーチやハラスメント行為が蔓延。ユーザーは「怒る」よう扇動される。
しかし、EU圏ではDSA(デジタルサービス法)施行でフェイクやヘイトの放置に高額の罰金が科せられる。それもありThreadsはローンチ先からEUを外した。そしてフェイクやヘイトを取り締まるモデレーションには多くの人手、コストが発生する。
SNSが「怒り」を増幅するとエンゲージメントは増大するが、それ以上にコストが増加するようになった。なのでMetaは「やりたくない」と考えた。ノンポリSNS指向にはビジネス的な合理性がある。
しかし思うのですよ。「皆さん、それで本当にいいの?」
アルゴリズムにより、Twitterでは怒るよう扇動され、Threadでは怒りを回避し楽しく会話させられる。
どちらも表現の自由、思想の自由への介入であり不正義であると考える立場もあるのでは。
なので自分としては非商業SNS(MastodonなどFediverseや、Bluesky)への関心が高まっています。
Metaが7/6にローンチしたThreadsは、「他人の怒りをあまり目にしない」ような、ノンポリ(非政治的)SNSを目指しているようだ。
以下、Threadsのボス、アダム・モッセリが「政治的なポストは優遇しない」と発言した件に関して過去の経緯も含め掘り下げたThe Vergeの記事をざっと紹介。
モッセリ曰く「政治やハードニュースに付随するさらなる監視、否定的な意見、誠実さのリスクは、"エンゲージメントや収益の増加 "に見合うものではない」
「ニュースや政治を抑制したり、ランクを下げたりはしない」が、優遇もしない。近年のFacebookは、ユーザーが目にする政治的コンテンツの量を減らしている。
ユーザーが「あまり怒らない」公共の広場を作ることが、Threadsの狙いのようだ。
エモに走った演出じゃなかったと思うので、時代背景設定的にも、多分こういう汲み取り方も目指した芝居づくりだった気がする。
世が世なら、出会ってイイ関係になって、あー超好きだし身体も最高だけど、でも生活合わないな~とかで喧嘩しつつ別れたり、主人公が何かしらの社会的な支援を受けて身体を切り売りしない人生を自力で獲得したり、もしかしたら復縁したりな関係になる未来もありえたかもしれないんだ。
「言葉にしたら陳腐」はちょっと迂闊に言えない言葉だなあとつくづく思った。異性愛ならすぐに言葉にアクセスできて、考えたり問題を解決したりして、健康的に社会の中で存在しえたはずじゃないのかなとか。そういうことを受け取りましたです
ンゲキの(눈_눈)ちゃんを演じた人が「クロードと一緒に」という、内容的に自CPに近い人間関係が読み取れる作品で主演するというので観劇。
スリル・ミーよりも前に書かれた戯曲だそうだけど上演頻度は低め?ぽいのね??
なるほど勝手に自CPを重ねて見たりも確かにできる。
言葉にできないけど確かに強く、魂の所有権の境界を無くすような瞬間を持った関係、とかとか、ついリンクしてしまうキーワードがいくつも重なる。
こういうエモみを個々に味わうのは全然ありだよねと思う。
ただ、今は世間がかなり性的マイノリティへのバッシングが盛り返してきてしまっているご時世だから、エモよりも「言葉にできない感情」にならざるをえなかった彼らにとっての現実に思い馳せてしまって、ロマンとしてよりは、やっぱり60年代後半当時の被差別者の悲壮が重たい作品だなと思った
美しい彼との美しい思い出が束の間のもので、美しい壮絶な形で閉じるのは、エモというよりは、やっぱり人間社会に持ち込めないものとされているゆえの悲劇の重さですねえ…
"たとえばドイツやフランス、オーストリアでは、各行政機関によって異なる番号を用いて個人情報を管理しています。なぜかというと、ナチス・ドイツによる行いへの反省があるためだ、と言われています。ナチスは「共通番号」によってユダヤ人らをあぶり出し、それが虐殺につながりました。つまり、住民の選別、国民の統制に使われたんですね。"
世界の「マイナンバー」の現状は? カードは本当に必要か:朝日新聞デジタル - https://www.asahi.com/articles/ASR6H5K78R6HUHBI00S.html
先日のオランダ国王の大西洋奴隷貿易への謝罪、、ここへ至る道は平坦ではありませんでした。
そもそも英仏蘭葡そして米などの欧米帝国主義列強はWWII直後まで「植民地化」=「文明化」として、これを「神から与えられた使命」といわんばかりの態度だったからです。
WWII以後、反植民地独立闘争の大波に対して、むしろ「意に反して」独立を認めていく、というのが最初の段階。
ただし、独立以降も経済利権や「核実験特権」などの植民地主義的構造は継続していきます。
しかし、冷戦後アパルトヘイトが終焉した南アで国連が2001年に開催した「ダーバン会議」で、人種主義、排外主義や植民地主義の歴史に関して、北側と旧植民地諸国が会合。この際は、旧宗主国側は、必ずしも「過去の清算」に積極的とは言えませんでした。
ところが、近年この潮の流れは大きく変わり、2021年にはドイツが20世紀初頭のナミビアにおける「ジェノサイド」を謝罪、オランダの独立委員会も「奴隷貿易に関して謝罪すべき」と勧告。
今回の国王の「謝罪」はこれを受けてのものです。
また宗主国が略奪して首都に陳列してある美術品も徐々に「返還」の方向に向かいつつあります。
翻って日本政府の態度はどうでしょうか?ここのところをとくと考える必要があります。
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Twitterで虐殺の犠牲者を掲載していたアウシュビッツ平和博物館のアカウントは、マストドンでも活動しています。
https://mastodon.world/@auschwitzmuseum/110653925763700836 [参照]
さきほどツイッターでこの書評が紹介されていた。本書は『Down Girls』でミソジニーを分析し注目を集めたケイト・マン(Kate Manne)。 その続編が『Entitled:How Male Privilege Hurts Women』が邦訳されて出版されたそうだ。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15675687.html?ptoken=01H4774XY7K0S00TX3WKGMQM04
この書評に、こう書かれていた。
『マンが用いたのは法律との類比だ。性差別は男性優位の社会規範を正当化するイデオロギーであるのに対し、ミソジニーはその規範に逆らう女性を罰する「法執行」の機能を持つ。それは、実に明快な整理だった。』
まさに。これ以上の正確な定義はないな。読んでみたい本。『Down Girls』、『Entitled』両書とも、Wish Listに入れておいた。
Twitter 避難用。漫画アニメヲタですが一般的なこともトゥートすると思われます。
▼漫画アニメ
二次創作Shipper。CP超偏食で受攻固定。逆&相手違いCP本命の方は基本フォロできない人です。
ヲタ外の話題のRT連発多い為フォロバのお気遣いご無用。
進撃(エルリ、ケニウリ、エレミカ)、呪(宿伏)、れつご(カルブレ、豪烈、樹矢)、 ゆぎお海闇。
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歌舞伎ヲタ(菊五郎劇団中心。贔屓が次々鬼籍に入ったので観劇ペースゆるゆる)
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