『関心領域』観てきました。私はあまり映画館で観るべきみたいなことを言わないんですが、時々これはできれば映画館で観た方がいい、あの暗がりの中、外からの音も遮断されそこに映される画と音だけに集中できるあの空間でなければ、伝わるものが半減するのではないかと思うと言いたくなる作品に出会う。この『関心領域』がまさにそれでした。そしてとても怖い映画でした。あの時あの場所で起きていたこと、そして人間というものについて、この描き方で伝えてきたジョナサン・グレイザーはすごいな。音響賞の存在の意味もこの作品がそれを受賞したのもとても納得できる。
WOWOWいったいどれくらい加入しとるん?っていうくらい、何かの件でカスタマーセンターに電話問い合わせした時に対応してくれた方からも、本当に長い間ご契約継続いただいてありがとうございますって言われたくらい、それほど長く(まあ惰性ともいう)続けてるけど、映画を録画して年に一度オスカーをライブで見るだけになってるし、さすがにもういいでしょう。来月から休止してオスカーあたりにまた復活して…くらいで。これから二年くらいは毎日観て丁度いいくらい録画してる映画の円盤あるし。配信もこまめに出入りするの面倒くさくていくつも加入したまま半分も活用できてないし、お金もったいないよねーって、ようやくそういう気持ちになってきた。恥ずかしいくらい馬鹿だ私は。
ああ…これ、わかるわ…。もう最近はピンポイントな自分の興味の方向性とタイミングが上手く合致しないとそのままになることも増えた。とても。
このところ同人関連で色んなことが流れてきて、私はそれに関してはなにも言及していないしこれからも特にするつもりはないんだけど、こんなにも特別な世界だったのかって今更ながら少し怖くなっている。私はあまりにも気楽に足を踏み入れ過ぎたのかも知れないなあと。繊細であり、その繊細さが時にお互いの間に深い溝を作ったり、排除に向かったりしてしまうのかなと。
二次創作は当然全てではないにしても解釈も表現も大幅に個人の自由が許されている世界だと思っているので、他人に書くなとかそんな装丁はおかしいとか、お前は参加するなとか言えるものじゃないという、私はそういう捉え方をしているんだけどそれでいいんだよね。だとしたら自分の嫌いなものや苦手なもの、許容できないものは極力自分の目に入らないように、自分なりに工夫したり決断したりするしかないと思っている。自分が好きなものを好きなように書ける自由と、そこに生まれる密かな満足感を私は愛しているし、今はもうそれだけでいいと思っているよ。
年単位で長い間見続けてる同じ夢ってあるよね。三つくらいあるかなあ。忘れた頃にまた見るみたいな感じに、気づけばもう長いことそれを繰り返している、そんな夢。何かしら意味があるなんてこともよく言われるけど、もう今では意味なんて考えていない。たまに夢の中でも、これは夢なんだけど現実もこれと同じで目が覚めてもここにいるんだって思っていて、そして本当に目が覚めた時にちょっとだけ混乱する。あれ、これ大丈夫なの私?って最初にその感覚体験した時は不安になったりもしたけど、それも今では、ああまたあの夢かって頭のどこかで理解しつつ夢を見続けている。だから目が覚めたらちゃんと夢と現実は切り離されているし不安になんてならないけど、その先を確かめたいのにいつもその前で目が覚めてしまうというもどかしさと格闘する羽目になった。
映画と本とアートが好き。独り言のようななにか。時おり小説もどきの二次創作をしたりする大人。好きな時に好きなものを観て好きに話すだけの人です。