明日、久しぶりにデモに行こうと思っている。
確か集団的自衛権か特定秘密保護法かで連日、国会前でデモが行われていた頃のことだったと思う。こんな話が旧Twitterで拡散されていた。
「子どもの入店を断るくらい静謐なムードを尊ぶ高級紅茶専門店で過ごしていると店の前の大通りをデモ隊がシュプレヒコールを上げて通っていく。通り過ぎると、店の奥から店主が出てきて『騒がしくてすいませんねぇ。時々ああいうのが通るんです。でも、大騒ぎするばかりでどんな主張なのか全然分かんないです』と言った。自分の心に残ったのはデモ隊の声より店主の淹れる紅茶の味だ」
……それから10年以上経つ。コロナ禍やインボイス導入と外食産業には厳しいことが続いたが、その高級紅茶専門店はまだ営業できているだろうか?
高級店の中から見るデモ隊はさぞ泥臭く騒がしく鬱陶しかろう。高級な茶葉の香りと味は自分も特別な人間と感じさせてくれるだろう。でも、政治はその店ごと容赦なく踏みつぶす。
https://twitter.com/omou_palestine/status/1757915248634573284?s=20
「真正なクィア」とは何か(自分語り) 3/3
長々と書いた理由だが、つまり私の
場合は「身近な人たちからなんか違うと思われる」「恋愛沙汰が起こる」とき、質問への回答として一時的に自覚が発生する。明確な性自認や性的指向を持つ人に対しては今でも「まじで?」と不思議に思う。その意識は……どこからどうやって生えるものなのか?
ところで私は二次性徴がなかなか発現せず、実際ホルモンバランスが標準とは異なっていた事情がある。これまた親や、男女を問わず友人たちからは「そんなに体が○らしくないなんてことある?」と聞かれ続けた。肉体はもちろんのこと、性欲や感情の起伏は性ホルモンからの影響が大きいのではないかと経験から考えている。しかしこれをうかつに言うことで、非当事者による偏見が生じそうなので言えない。
また、発達特性に由来したジェンダー意識の特性はあり得るとも思っているが、これもうかつに言うことで(以下略)
なお私には学習障害や感覚過敏、左右の認識が不得手という特徴はあるが、発達障害の診断は今のところ下りていない。
くりかえすが、大事なことは原因を追求することではない。焦点は個人がさほど死にたくなく、自分らしく生きられるか、そのために何ができるかだろう。
「真正なクィア」とは何か(自分語り) 2/3
私の性自認はノンバイナリーやアジェンダーと言っている人に近く、性役割や性的指向は固まらない。ゆえに“真正性を証明”できない。「なんらかのクィア」としてクィアネスへの親しみは持つ。
私(1984年生まれ)には小学校の頃から級友に同性愛者かどうかを聞かれることが複数回あった。考えた結果、自分はバイセクシュアルという結論に達し、中学以降はしばらく「どちらかといえば女性が好きなバイセクシュアル」と恋愛沙汰に巻きこまれた際には開示していた。
高校時代、戸籍の性ではない性別の趣味嗜好や価値観を持つと言われることが多かった。
大学時代は「両性ともいけそう」と言われる一方で「モテに無頓着」「性欲がなさそう」とも言われた。言われてみれば確かにそうである。そこで20歳ごろから自分はアセクシュアルだと開示した。
ほぼ同時期、親に「性別移行をしたいのか」「それとも同性が好きなのか」と問われる。移行手術は考えておらず、同性が好きな場合もあると答えた。
社会人以降、保守的で平均年齢が高い職場(勤め先1、勤め先3と仮称)では同性愛者だと思われる、戸籍の性と異なる性自認を持つと思われる、異性装をしていると思われる、ふるまいが性別に則していないと言われることがあったが、スルーした。
「真正なクィア」とは何か 1/2
おそらく「クィアっぽいが自分は本当にクィアなのか」「ずっとクエスチョニングで自分の属性が何かわからない」「異性のパートナーを持つ人あるいはパートナーがいない人として埋没した社会生活を送るため、性的指向/性自認が“証明しにくい”(他人に証明する義務なんてないが)」みたいな悩みを持つ人は少なくない。
大事なことはあなたが死にたくなく、そこそこ幸福に、それなりに自分らしく生きられるかどうかである。←大事
これからまた“思春期や不安定な時期に感じる一過性の混乱”言説が勢いを増してあなたを悩ませるかもしれないが、それはかつても英語圏の大手メディアがばらまき、同性愛が長年戦い続けたトピックである。大体いかなる主義思想も人生が進むにつれて、割と変わる。
どんなヘイト本でも批判するには自腹で買って全文読めと吹き上がる文字列が旧twitterで散見されるが、もう2000冊くらいこのタイプのゴミっぽい本を買って読んできた経験から言えるのは、〈どうしようもなさの標本とするしか後世の人類に資するものはない〉という虚しさですね。
マニアックには、同一モチーフの変容と使い回し・ネタ被りのヴァリアントから、イデオロギーの伝播と仕掛けなどを読み取ることができるとは言えます。
けれども、それをもとにして論文なり著作をものして「元をとる」可能性があるのならばまだしも、普通はそんなの無理だし、そんな暇はないだろうし、真に受ける必要ないと思う。
来週(11/4)発売の「現代用語の基礎知識2024」に寄稿しています。周司あきらさんと共著で、トランスジェンダーに関する項目を執筆しました。
社会で性別が意味を持つとはどのようなことか?という話から始めて、トランスジェンダーの人たちの生活の多様性、トランス医療のこと、データに現われる差別の実態、そして差別言説の問題などについて、かなりの分量で書くことを許されました。『トランスジェンダー入門』でコンビを組んだ周司さんとの執筆は、相変わらずハードでしたが、大切なテーマをある程度の水準で通覧できる記事になったと思います。よろしくお願いいたします。
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俺は少女漫画生まれBL育ち 成人です