「真正なクィア」とは何か 1/2
おそらく「クィアっぽいが自分は本当にクィアなのか」「ずっとクエスチョニングで自分の属性が何かわからない」「異性のパートナーを持つ人あるいはパートナーがいない人として埋没した社会生活を送るため、性的指向/性自認が“証明しにくい”(他人に証明する義務なんてないが)」みたいな悩みを持つ人は少なくない。
大事なことはあなたが死にたくなく、そこそこ幸福に、それなりに自分らしく生きられるかどうかである。←大事
これからまた“思春期や不安定な時期に感じる一過性の混乱”言説が勢いを増してあなたを悩ませるかもしれないが、それはかつても英語圏の大手メディアがばらまき、同性愛が長年戦い続けたトピックである。大体いかなる主義思想も人生が進むにつれて、割と変わる。
「真正なクィア」とは何か(自分語り) 3/3
長々と書いた理由だが、つまり私の
場合は「身近な人たちからなんか違うと思われる」「恋愛沙汰が起こる」とき、質問への回答として一時的に自覚が発生する。明確な性自認や性的指向を持つ人に対しては今でも「まじで?」と不思議に思う。その意識は……どこからどうやって生えるものなのか?
ところで私は二次性徴がなかなか発現せず、実際ホルモンバランスが標準とは異なっていた事情がある。これまた親や、男女を問わず友人たちからは「そんなに体が○らしくないなんてことある?」と聞かれ続けた。肉体はもちろんのこと、性欲や感情の起伏は性ホルモンからの影響が大きいのではないかと経験から考えている。しかしこれをうかつに言うことで、非当事者による偏見が生じそうなので言えない。
また、発達特性に由来したジェンダー意識の特性はあり得るとも思っているが、これもうかつに言うことで(以下略)
なお私には学習障害や感覚過敏、左右の認識が不得手という特徴はあるが、発達障害の診断は今のところ下りていない。
くりかえすが、大事なことは原因を追求することではない。焦点は個人がさほど死にたくなく、自分らしく生きられるか、そのために何ができるかだろう。