水都の穆桂英さんの場合、挂帥(将軍)であることが本望でもあり呪縛でもあるから、印綬を手に取るより印綬を手放すことが自分の意志で戦いに出る決意の象徴になりそうだなあとも思う
桂英さん、戦が終わって宗保が帰ってきますようにという願いはどこに対しても一番矛盾がないからしょっちゅう口にしているだけなんじゃないか、本当の願いは自分が辺境に行って宗保さんと共に戦うことなんじゃないか、と個人的には思う 桂英さんは自ら動いて叶えていく方が性に合っているから だけど街にいて街を守る責務があるからそれができない
強くて何でもできてみんなの信仰の対象である女将軍の「女の子たちには好きなことを思い切りやってほしい」というセリフはかなりポジティブな鼓舞だけど、桂英さん自身は強くて何でもできるが故に身動きが取れない そういう矛盾の中に生きているキャラクターなんだよね……
『穆桂英挂帥』の京劇、一度見てみたい 一線を退いた穆桂英が元帥の印綬を前にもう一度戦場に立つかどうか迷い、決意を固めていく「接印」のシーンがとても良いらしく……
遠くから徐々に響いてくる陣太鼓に合わせて舞い、最後に「私が元帥にならねば誰がなる!」と印綬を手に取るめちゃくちゃかっこいいやつ 見たい……
作中の年齢設定の都合もあるだろうけど、過去か水都軸の今の話が基本のキャラクター紹介も誕生〜幼少期の物語だし、天灯や噂話で言及されるのも若い頃のエピソード(天文陣など)までで、それより後のエピソード(上であげた京劇のエピソードなど)は今のところ出てきてないと思う
あと朱棣さんの外伝を見る感じ、水都には見た目年齢より後の記憶がなさそうな感じの人が多いので、桂英さんと宗保さんもそうなのかもと思う あの世界では宗保さんが辺境で亡くなって帰ってこない時はまだ来てないし、たぶん半永久的に来ないんじゃなかろうか
逆に見た目70歳〜くらいの佘太君は夫の楊令公は天国にいると言っていたので、本当いつの姿を切り取られてるかで決まるのかもしれん……といろいろ噛み締めている
穆桂英は一般的に楊家将演義(小説)より『穆桂英挂帥』や『楊門女将』などの京劇で馴染み深い人物(キャラクター)かと思うんだけど、水都の穆桂英さんは京劇の要素はほぼ無い
明代の絵師が描いた絵巻物の世界という設定だから、20世紀成立の京劇ではなく明代成立の小説の方を基準にキャラ造形がされているってことなのだろうか?だとしたら世界観へのこだわりすごい とても素敵よ……
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