ロボットの機体をトランスの身体のメタファーとし、戦闘をロマンスのメタファーとしてるらしいトランスレズビアンたちの物語『Heaven Will Be Mine』が8割引になってるよ~。ぼくもこれからプレイします。
https://store.steampowered.com/app/836450/Heaven_Will_Be_Mine/
ようやくYouTubeでのゲーム実況配信を再開できたところで、ゲーム実況だけではやってきたゲームや配信のあれこれについて伝えきれてない感じがするし、ノウハウの蓄積というかやってきてうまくいったこといかなかったことの記録も別にやっときたい感があるので、平行してアウトテイクというかライナーノーツ的な感じでブログでもやろうかなと思いはじめた。
というわけでとりあえずWordpressのブログサービスのアカウントで立ち上げの準備だけしといてる。
Ich liebe es Treppenhäuser zu fotografieren, dieses hier ist in #nantes
I love photographing staircases, this one is in #nantes
#staircase #yellow #streetart #streetphotography
精神的不調がもしかしたら男性の更年期障害なのではと思い男性ホルモン軟膏の導入を考えつつ、もう少し現実的な対処として漢方(十全大補湯だとか補中益気湯だとかが有効らしい)の導入も考えてはいるが、運動だとか生活習慣の見直しも療法としては有効らしいのでまずそっちか…とも思い。
そろそろようつべのゲーム実況に復帰したい。精神的不調でろくにゲームできてないあいだに買ったゲームやりたいゲームも増えたので。
関連して。この記事では、東電側が賠償額などを読み上げるのは「訴訟戦術」と書く。記者は「被害者いじめ」とも評している。
2023年12月18日
(Another Note)東電の「いじめ」を記事に、原告に叱られ見えたもの 大月規義
https://www.asahi.com/articles/DA3S15819798.html
一方、東電は現地進行協議で「冷淡」だった。原告の主張が終わるとすぐに、「こちらの原告の世帯に支払った賠償額は……」と、家族1人ずつと、その合計金額を万円単位までつまびらかにしていった。10軒すべてでだ。
津島訴訟の裁判以外でも東電は個々の原告の賠償額や、賠償金で修繕した家屋の状況などを法廷で明らかにしたり、福島は多額の国の予算ですでに復興を遂げているような印象を与えたりしている。
いずれも、被害者の生活水準が原発事故の前より良くなっているように説明し、すでに十分な賠償が支払われていると主張する「訴訟戦術」だ。
ただ、自分の財産を勝手にさらされる被害者には、たまったものではない。現地進行協議では、下を向いたり涙ぐんだりする原告もいた。東電のやり方が私には「いじめ」にしか見えなかった。
原発事故にまつわる東電の費用はかさむ一方で、そのイライラが「被害者いじめ」につながっているように見える。
あまりに異様。
東京電力弁護団が福島・浪江で「詳細な個人賠償額」マイク使い読み上げ 「嫌がらせと受け止めるしかない」原告側が抗議文
https://www.tokyo-np.co.jp/article/297440
この行いに合理的な説明はできるのか?
東京新聞の取材に対して東京電力は「引き続き訴訟手続きにのっとり適切に対応していく」と答えになっていないコメントを返している。
東京電力弁護団が福島・浪江で「詳細な個人賠償額」マイク使い読み上げ 「嫌がらせと受け止めるしかない」原告側が抗議文:東京新聞 TOKYO Web
tokyo-np.co.jp/article/297440
これ、事故で住めなくした上にさらに分断を呼んで住めなくするぞという脅しだろ。
まず依頼主の東電が丁寧に謝罪した上で当該の弁護士をクビにするべき。
それとも東電は弁護士を用心棒かなんかだと考える反社組織なのか?おかしいだろこんなの。
From: @minna_iiko
https://fedibird.com/@minna_iiko/111623834085975862 [参照]
エミコヤマさんの読書ツイートとか、みんなが見られる。
https://bsky.app/profile/macska.org/post/3kh3vswcfiq2o
今回のアップデートでBlueskyがログインせずとも投稿が読めるようになったようだ。Blueskyだけ使っている人の投稿を紹介しやすくなったなー。
https://bsky.app/profile/karabako.bsky.social/post/3kh636qokku2d
抽象化して考えるとか、数字にして統計でとらえるとか、そういうのはたしかに大事ではあるけれど、それだけで正解を導けたり全てをとらえられるとは思わないほうがいいのではないか。
いや当たり前じゃん? て思う人もいようけども、抽象化や統計化(て言葉あんのかな)が示しうる「ある事実」というのも、たしかに事実ではあろうし、だいたい人は事実とか真実にとか現実に弱いのでショックを受けてしまうだろうけど、一面的にならざるをえないのもまた事実だと思うんだ。
もっと端的に言うと、抽象化や統計化がつきつける「事実」も、現場にある事実や現実にいざ対面したとき、微妙に、もしくは微妙とはいえないほどに相違してくるんじゃないかなぁ、と。
初老のおっさんです。最近ゲームばっかしてるのでゲームの話しかしないかもしれません。