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健康診断に行く。ひと通りの検査を終え、問診で医者に肩こりや寝起きの倦怠感が酷い旨を伝えたところ、自律神経の問題かもとの事。余りに続くようなら内科に行けと言われる。昔、父親の金魚が転覆病になった時、「人間で言えば、まぁ、自律神経失調症やな」との怪しげな説明を受けたが、この例えの正誤は別として、自分がこのまま行くと逆さに浮かぶ金魚的な状態になると思うと生活習慣、是非とも頑張りたい。ところで、陶芸家だった父親は「今流してるマンドゥ・ディアオってバンドはスウェーデンのバンドでな」と私が言うと「やっぱスウェーデンか、うんうん、確かにロクセットっぽいもんな」などと、時に非常に少ないサンプルを駆使した軽やか過ぎる類推を展開しがちな人物で、仮にネットにハマっていたなら陰謀史観に飲み込まれていたのでは?と思う部分もない訳ではないが、実際にはYouTubeで素朴な金魚動画をたまに楽しむくらいのネット距離感のまま亡くなった。その軽妙なアナロジー能力は全て創作上の造形的発想や技法開発に注がれていて、それは死ぬまで衰え知らずだった。ただ健康診断等に行かな過ぎたせいで早死にしたのでそこだけ歴史改変できたらしたい。

ある団体のリハーサルに参加する。幾つかのルールや適宜入る天の声の指示の元、複数人で即興劇を作る練習をする。終わって喫茶店でのお茶会になる。即興中に差別的な表現などがうっかり飛び出しそうになる事についての話になり、問題のある発言があった場合は劇中であってもその場で随時指摘し合おうという事になる。とても大事な話だと思う。エチュードは演者が思わぬ害意に晒される事があるので、安心安全の環境整備は大切だし、何よりその場で指摘をしないと差別は減らない。また、あらゆる意味で「日頃」が出るのが即興で、昔「バランスをとるなんて事は一部のプロフェッショナルだけができる芸当で、そんな事はU2くらい売れてから考えたら?」と身近な人から言われた事があるが、U2くらい売れてからでは恐らくかなりの手遅れだろう。「昔はこのくらいは言えたのに今だとすぐに怒られる」ではなく「昔は気付けなかったけど当時から傷ついていた人がいた事がわかってきたのでこれからは気をつけよう」という話だと思うし、「言えない鬱憤アピールおじさん」ルートを回避しつつ、基本的に自分は間違えまくるしガチの無知だと思って地道な「日頃」をやっていくしかない。

9月中旬、豊岡演劇祭2022に参加した。参加団体である屋根裏ハイツの「ナイト・オン・アース(remix)」という作品に、タクシーの運転手役で出演したのだ。屋根裏ハイツは「小声」が特徴と言われる劇団で、音楽で言えば「ディストーションペダルを踏まないハードコアバンド」のような事だろうか。本作は、深夜に呼び出し食らってタクシー停めたら運転手の妙な回想が始まり聞いてるうちにその回想の時間軸の乗客が実際に乗り込んできて...という少しSFめいたお話で、素舞台に立つ運転手の「語り」が顕現して現実にもつれ込んでくる構造など、演劇特有の仕掛けに満ちており、自分のやりたい事とも近接していて刺激になった。2ヶ月ほどの稽古期間を経て、1週間弱の現地滞在、そしてわずか2回の上演。演劇をひとつ立ち上げるのには時間も手間も信じられない程かかる。屋根裏ハイツの稽古は理知的な時間の積み重ねで出来ていて、この丁寧で実直な頑張りの累積が小声演劇の強度の源なのだなと振り返って思う。クリーントーン・ハードコアは伊達じゃないのだ。そんな彼らの新作「父の死と夜ノ森」がSTスポットにて1/19-22に上演されるので全員で行こうな。

映画「花より男子 ファイナル」を観た。TVドラマ版「花より男子」をファンが独自編集した走馬灯のような映像をyoutubeで観てはいたが、予備知識のほとんどない曇りなき眼(まなこ)状態での鑑賞となった。本作は2008年の日本興行収入ランキングで第2位(洋画含む)というモンスターヒット作らしく、10億の制作・宣伝費に対し73億の興行収入というから凄まじい。内容は多少現実離れしたところもあるが、モラハラ彼氏と付き合うと大変な目に遭うし、毒親に変な気回しをされると最悪命を落としかねないという教訓めいた部分もあり、ラスベガス〜香港〜無人島〜京都と転々と舞台を移しながら進む物語は絵変わりも多く目に楽しく、小栗旬が若い。また、加賀まりこと北大路欣也の存在感は途轍もないものがあり、この2人が出てくると謎の見応えが唐突に発生するので役者って凄い。13年程テレビを観てない自分もギリギリわかる顔ぶれしか出てこないのも楽しめた要因のひとつだが、上述のモラハラキャラ造形を含め、様々な描写・表現に時の流れを痛烈に感じたし、「ライムスター宇多丸が『花男』を論破!」という古い動画が出てきて視聴をためらっている←今ココ

眼鏡人生の開始からも12年が経つ。楽しみにしていた広島国際アニメーションフェスティバル2010に夜行バスで駆けつけるも、スクリーンが終始ぼんやりと滲む視力低下の現実に直面、慌てて市内の眼鏡屋で急造したものが眼鏡の初代。店頭で太めのフレームが流行りと聞き、その後も太めのフレーム眼鏡が何代も続く。当時、泥酔した状態で眼鏡を外すと視界にドロドロの枠が出現し不思議だったのだが、「普段は太めの眼鏡フレームの存在を消去してくれている自前の脳内パッチツール機能がアルコールにより麻痺、フレーム周辺の景色が、眼鏡を外したあともパッチツールONの状態で認識される為、視界にドロドロの枠が見えている」との結論に、深い思索の果て到達。酒席で毎度、眼前に浮かぶドロドロフレームの説明を泥酔しながらおっ始め、上述の持論を全力で捲し立ててはポカンとされたりするなどその暮らしぶりは酷かったが、眼鏡を新調する毎にフレームは細くなり、そのような醜態も次第に減り、誰とでも美味しく酒を飲みかわせる見事な社交的成熟を遂げ今に至る。ちなみにライブ中は眼鏡を外すクラーク・ケントスタイルのヒーローなので、客席は常にだいたい溶解している。

かれこれ12年はTwitterを使っている計算になり驚く。使い倒しが激化したのはヒーロー活動を始めたここ3年ではあるが、それにしたって干支ひと回しは長い。ネットのヤバい映画好き達だけをフォローしていた頃は、一日中映画の話に明け暮れる彼らの存在に衝撃を受けたものだが、暫くして音楽でも完全に同じ体験をする。初めてのアカウントは学生時代の繋がりがメインで次第に人は減り、2つ目のアカウントはあまりに映画オタク濃度が高すぎるTLに全員をブロ解するに至るも、3つめのアカウント=honninmanではuamiさんを皮切りに、ネットの繋がり→リアルという未体験の流れを沢山経験する。最初は8小節の自作のテキストラップと手塚治虫の名言だけをひたすら投稿するbotめいたアカウントだったのが、今では荒川区有数のヒーローアカウントにまで成長した。これからもっと様々な人と出会うのかなと思った矢先のコロナ禍突入、からの今回の終了騒動ではあるが、もしTwitterに終わりの時が訪れるとして、人類最後のツイートは「やっていくしかないですね...」がベストであり、英語にすればcarry onとなりマイケミが聴きたくなる。

「ファスト映画」の投稿者への5億円の賠償命令が話題だが、honninmanにはエクストリーム映画テラーという、観る側にそこそこの時間と体力を要求するコスパ最悪の動画コンテンツを連続して投稿していた時期がある。これは一本の映画のあらすじを、自らの声と身体で「実際にやってみる」というパフォーマンス動画で、ごく少数の人に「いいね」と言ってもらった実績がある。一本の映画を実演するのに40~50分は要するし、ぼちぼち実際の当該映画を観た方が恐らく手取り早く、かなりの「スロー映画」体験である。ネタバレも厭わない回とネタバレはしませんと豪語して結局ネタバレする回と、何に気を遣っているのかネタバレに異様なほど慎重な回が混在し、諸々のホスピタリティは欠落している。演劇のワークショップで、他の参加者に行ったインタビューを自身の体験として語り直すというものがあるが、いい風に言えばそうしたものと性格は近いのかもしれず、見聞きした事を自分の身体を一度通して吐き出す作業は、己の偏愛や偏見のありかも意識できて面白い部分も多々ある。記憶力も向上するので映画テラー、全人類にお勧めしたいが大変疲れるので私は暫くやらない。

與那覇潤の「平成史―昨日の世界のすべて」を読んでいる。読んではいるが読むのが遅くて未だに97年あたりにいる。歴史修正主義の興りについての記述が興味深く、いろいろと考えさせられる。ところで97年と言えばB’zの「FIREBALL」と「Calling」、そして「Liar! Liar!」が発売された年として広く知られている。どれも言を俟たない平成史上空前の圧倒的名曲である。「FIREBALL」の8cmディスクのパッケージには、表面のシールを剥がすと「No synthesizer & No computer used」との隠しメッセージが書かれてあり、見る度に妙な気持ちになるので捨てずにずっととってある。私もいつの日か、全編打ち込みで作った自分のアルバムに、同様の文言をこっそりと載せテプラで隠して発売したい。しかし本を読むと知らない事が書いてあるので面白い。誰かに突然街角で「97年ってどんな年?」などと聞かれたとして、今までの私なら「FFVIIが発売されてごっつええ感じが突然終わった年」としか答えられなかったところ、もう少しだけ含蓄ありげな回答が今後はできるかもしれずそれを思うと今から嬉しい。

Takeoff が死んで悲しい。honninmanはまともに音楽を聴き始めたのが大変遅く、トラップとの出会いは2017年の春、友人の高橋聡太さんとの会話の流れでたまたま聴いたMigosがきっかけ。その頃は曲作りなどは始めておらず、ただ漠然となんらかの「声を用いた表現」をやってみたいと考えていて、ラップはルールも明解だし、トラップはさらに参入障壁が低いように当時の本人の目には映り(浅はか)、ひとつMigosをやってみようとの思いでスタートしたのがhonninmanだった。なので、初期のhonninmanの楽曲には「駄目 dat way」「Y.N.N(Yatteikushika Nai Nation)」など、Migosのパロディがたくさん出てくる。2018年に曲作りを始めて、その年は64曲も作ったのに(えらい)、結局Migosみたいにかっこいい曲は一つもできず、そのうちハードコアパンクの歴史を調べる方に興味が向いて、今ではMigosもアトランタっぽいトラップも、全然聴かなくなってしまったけれど、Migosと出会ってなければ音楽を始めてないのはきっと確かで、Takeoff が死んで悲しい。

恥ずかしかったり、しょぼかったりする小さな話とか、ぼんやり思ってるだけのまとまらない話とか、全然いろいろ書いていこうと思う

引っ越しました。honninman本人です。以前の日報はこちらでまだ読めますが、そのうちどこかに移して消すと思います。引き続きよろしくお願い致します。

Fedibird

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